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それは不思議な世界だった 大金持ちになると見えてくる「世界」が確かにあるんです
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38937
2014年05月13日(火) 週刊現代 :現代ビジネス
55周年記念巻頭企画 日本の大金持ちはこんなに凄いぞ 史上初 日本を引っ張る大富豪がここに全員集合!
一代で財をなしたり、親から引き継いだ会社を大きくしたりした実業家たちは、ほぼ例外なくがむしゃらに働いてきた人物だ。自分やその家族、従業員のために、寝食を忘れて動きまわり、努力と実力と運で、成功を勝ち取る。
ただ、そうして「真の大金持ち」になったときに、見えてくる世界があるという。自分がこれまで粉骨砕身してきた理由、その原点は何だったのか。功成り名遂げた今、自らその出発点に立ち戻り、自分を支え育ててくれた周囲や社会に財産を還元していく―。そんな考えに至った人びとがいる。
全国に「たかの友梨ビューティクリニック」を124店舗展開し、成功した女性経営者として脚光を浴びることも多い、たかの友梨氏はこう話す。
「私はこれまで、寄付をしていることを公言してきませんでした。仕事でおカネを稼いで、できる範囲で静かにやればいいと考えていたんです。売名行為と取られかねませんからね。でも今は、私を含めた社会全体で行動していこうと、考え方も変化してきました。
これまでも事業が大きくなるにしたがって、ユニセフや赤十字などに寄付はしていたのですが、どのように使われているか、よくわからないじゃないですか。だから、目に見える支援として、児童養護施設『鐘の鳴る丘少年の家』(群馬県前橋市)を直接支援させていただいています。もう30年になりますね。
なぜかというと、実は私が子供だったとき、この施設にお世話になったからなんですよ」
たかの氏の人生は順風満帆なものではなかった。彼女は新潟県で婚外子として生まれ、その後、養子として別の家庭にもらわれる。養子先の両親も離婚、母親は、たかの氏を連れて群馬県に移り、再婚する。
「母は再婚相手との間に男子をもうけましたが、その子は脳性まひでした。男性とも離婚をしてしまい、子供は小さいし、おカネもないし、先の展望など描ける状況ではなかったのだと思います。その頃、弟を背にした母親と手をつないであてもなく歩いていたことを覚えています。後に聞いたら、母は自殺しようと真剣に悩んでいたそうです。
そんなときに出会ったのが、『鐘の鳴る丘』でした。母が私たちを預かってもらえないかと、お願いに行った。すると、園長先生が『ここは親のいる子供は引き受けられない。だけどあなたはまだ若いんだから、一生懸命働いて、生きていきなさい』と励まし、母子の歩く道を照らしてくださったんです」
結局、母は身を粉にして働くことを選び、たかの氏は小学校3年生のときに祖母のところに預けられ、厳しく育てられる。
「朝の薪運びから、炊事洗濯、編み物。祖母は散々私を働かせたけど、その代わり、働いた分だけお小遣いをくれました。その結果、働かざるもの食うべからずという考えが身に染み付いたんでしょうね」
中学校卒業後、たかの氏は手に職をつけるため、前橋市の理容学校と定時制高校に入学し、理容師になる。20歳で上京し、24歳で渡仏。エステの技術を学ぶ。'78年に30歳で念願だった「たかの友梨ビューティクリニック」の1号店をオープンさせた。
「母が自殺ではなく、厳しくても生きる道を選ぶことができたのも、『鐘の鳴る丘』の園長先生が温かい言葉をかけてくださったからです。私がこうして生きているのも、時流に乗って会社を大きくできたのも、この施設のおかげ。そういう意味で、私の人生にとって、とてつもなく大きな存在なんだと思います」
たかの氏は現在、『鐘の鳴る丘少年の家』の後援会長を務め、食育施設「レインボーハウス」の建設費2000万円や施設改築費5000万円なども寄付。毎年クリスマス会を開いたり、子供たちをディズニーランドに招待したりするなど、コンスタントな支援を継続している。
「私、レインボーという言葉がとても好きなの。晴れた日には虹は見えないでしょう?雨上がりに出るのが虹。私の人生もそうだったけど、雨降りがあったからこそ、虹が出るんです。
子供って、どんなに性格が歪んでいようが、その子に罪はないんですよ。その先に無限の可能性がありますからね。児童養護施設を支援することで子供の教育に関われることが、私にとって大きな喜びですし、そういうのが生きたおカネの使い方じゃないですか。私も一方的におカネを出すだけではなく、逆に『鐘の鳴る丘』の存在が励みになっています。だから、一番トクをしているのは私かもしれませんね」
寄付することが自分にとってプラスになる―これこそが、大金持ちならではの「世界観」かもしれない。
■足るを知る者は富む
たかの氏のケースからもわかるとおり、目先の利益を追い求めるだけでは、実業家として成功したとは到底言えない。缶詰の「シーチキン」が主力商品のはごろもフーズ会長・後藤康雄氏は、こんな経営哲学を祖母から引き継いだ。
「はごろもフーズの前身は、祖父が1931年に作った会社です。1946年に祖父がなくなり、すぐに父が後を継ぎました。父は仕事一筋の人間で、そのため、必然的に祖母と過ごす時間が長くなったのです。
その祖母が言うには、『人材こそが宝。その人材を生み出すのは教育』だと。また祖母は、事業をするにあたって、目に見える大事なものは1割にも満たないと言うんです。見えないところに、社員とその家族、取引先や地域社会がある。だからこそ、その見えない部分を大事にしないといけないと、幼い私に語りかけてくれたものです」
こういう考えがベースとなり、後藤氏は'86年、1億円の基金を拠出し、「はごろも教育研究奨励会」を設立した。同会は優れた教育を研究する教師を助成することを目的としている。
事業が順調に推移すると、人材育成こそが世の中を良くする仕組みだということが見えてくる。
「本当は学校を作りたかったんですが、さすがにそこまで巨額の資金はなく、代わりに報われていない先生方をサポートしようと財団を作ったんです。意味のあるものだけど、非常に地味な教育研究をしている先生方もいらっしゃいます。そういう方々を表彰して、資金面で支援できるようになればいいと思っています。
事業とは、元は何もないところから、多くの人に支援してもらって大きくなるものです。それにはやはり人材が大切で、人材を育てる教育が大事だと思っています。私どもの活動の結果、一人でも多くの先生がよりよい研究をされて、それが生徒たちにフィードバックされれば、それ以上の幸せはありません」
『老子』の言葉に「足るを知る者は富む」というものがある。「自己の分際をわきまえて、貪りの心を起こさない人は、心が豊かである」といった意味だ。この言葉を掲げ、「知足美術館」を発足させたのが、新潟県で地質調査、建設コンサルタント業を営むキタックの創業社長・中山輝也氏だ。
「元々美術品が好きでしてね。あまり値段の高くない品物を買って密かに楽しんでいたんです。そんななか、歌川広重の『東海道五十三次』全55図に出会い、思い切って購入しました。ウン千万円もしました。さすがに会社として購入するのには躊躇して、借金をして個人で購入しました。ただ、自分一人で楽しむだけではあまりにもったいないと考えたんです。私自身が美術品から多くの恩恵を受けていますからね。
そこで、'95年に本社ビルを新築した際、知足美術館を別棟として建設しました。その後、'98年に会社を上場させまして、東海道五十三次を購入した借金は上場益ですべて返済しました。以来、個人で購入したものを美術館に寄託する形が今も続いています」
■これが私のライフワーク
美術館と並行して、中山氏は「社会福祉法人知足常楽会」を設立し、老人ホームの運営も手掛ける。もちろん採算は重視するが、営利目的ではない。
「少子高齢化はますます進み、その対策が県内でも国内全体でも急務となっています。孤立した高齢者は、これまで当たり前とされていた家族による看取りも難しくなっている。一人暮らしをしていて、いざというときに不安を抱える高齢者が増えている現状を鑑みて、交通の便利な新潟市内の住宅地にケアハウスを作りました。4階建て30室の都市型ケアハウスとして、満室状態が続いています。
これまで多くのお客様たちに支えられて私も会社も成り立っているものですから、会社組織が発展していくにつれ、社会的責任が大きくなるという考え方が根本にあります。大それた社会貢献ということは考えていませんでしたが、たとえ少しであっても、身の程に合った還元をしていきたいですね」
心やさしき実業家たちの眼差しは、何も人間だけに向けられるわけではない。人間たちのエゴによって犠牲になる動物も、その対象となる。
お酒を割る「ハイサワー」で有名な博水社の社長・田中秀子氏は、5年前から保健所で殺処分されていく犬や猫を救うボランティアに精を出すようになった。
「ネット上で保健所から犬や猫をもらえることを知り、東京・月島の公民館で里親探しをしていた『日本動物生命尊重の会アリス』というNPOを訪ねたんです。そこで初めて、犬猫の殺処分が年間に約18万頭に及ぶこと('11年度)を知りました。
ほかにも、東京と神奈川では保護から7日目、埼玉では3日目に殺処分されること、ボランティアがどんなにがんばっても収容された犬猫の1割すら助けられない現実を知りました」
田中氏は勇気をもって、殺処分の現場を訪れた。すっかり痩せこけてしまった犬もいれば、怯えきった猫もいた。安楽死とは到底思えなかった。つい先日まで名前で呼ばれていたはずの犬が「○○区の98番」などと、収容番号で呼ばれる。その姿を見て、田中氏は犬や猫を救う活動に従事することを決意する。
「犬や猫が『まだ間に合うから助けて!』と言っているように見えたんです。そこで『まだ間にあうから』という題の詩を書き、それをネット上で見たドイツ在住の日本人音楽家が曲をつけてくれました。CDの収益はすべて現場のボランティアに寄付しています。
欧米では、経営者が仕事とは別にライフワークを持っていることが多いと聞きます。世界のユニセフに何億円も拠出ということはできないけど、自分でできる範囲でやっていけばいいのかなと思っています」
大金持ちたちは、実業での成功の先に、社会貢献という「別の世界」を見据えている。このような日本を引っ張る大富豪が増えていけば、社会はもっと明るくなるに違いない。
「週刊現代」2014年4月12・19日合併号より
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