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ケチは本当の金持ちになれません カネは使えば使うほど、殖えるものなのです
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38936
2014年05月12日(月) 週刊現代 現代ビジネス
55周年記念巻頭企画
日本の大金持ちはこんなに凄いぞ 史上初 日本を引っ張る大富豪がここに全員集合!
実業で大成功を収めて手にした莫大な資産を、世のために注ぎ込む大金持ちが、日本にも確かに存在する。次々と私財をなげうちながら、それを惜しむ様子もない彼らが、本誌55周年記念の巻頭特集で自らの金銭哲学を明かした。
■破産の危機でもおカネを注ぎ続けた
春の訪れとともに、東京・上野公園には音楽が満ちあふれる。'05年から毎年開催されている「東京・春・音楽祭」が始まり、東京国立博物館や国立科学博物館、東京文化会館など、公園内の各施設で、世界的音楽家を招いた音楽イベントが連日開かれるからだ。
この音楽祭に巨額の私財を投じてきたのが、インターネット通信事業の草分けであるインターネットイニシアティブ(IIJ)の創業者で、同社会長の鈴木幸一氏だ。
「15年ほど前、指揮者の小澤征爾さん、劇団四季の浅利慶太さんとお酒を飲む機会があったんです。
その際、東京は世界有数の音楽市場でもあり、聴衆のレベルも高い。それなのに音楽に関しては受け身の状態がずっと続いている。そろそろ新しい音楽を東京から発信していくべきじゃないか、という話で盛り上がった。そして、いつの間にか、音楽に関してはまったく素人の私が、音楽祭を主催することになってしまったんです」
だが、海外の有名音楽家の招聘など、国際的な音楽イベントの開催には莫大な経費がかかる。鈴木氏も当初はカネの問題で、随分苦しんだという。
「初めの頃は『いきなり大がかりな音楽祭をやるなんて、カネをドブに捨てるようなものだ』『ヘタをすると鈴木は破産するんじゃないか』と散々言われましてね。実際、'05年の第1回公演の東京文化会館のチケットは2割程度しか売れず、頭を抱えましたよ。
おまけに本業では、関連会社が会社更生法の適用を申請したりする時期もあって、一時は本当に破産寸前に追い込まれたこともあったんです。私個人だけでも、当初は数億円単位のおカネを音楽祭のために注ぎ込んでいました。使った金銭の総額は、恐ろしくてとても口にできませんが、ビルの1棟は優に建つぐらいの金額でしたね」
それでも粘り強くイベントを続けるうちに、協賛してくれる企業も次第に増えてきた。
それと足並みを揃えるかのように、本業も右肩上がりで成長していき、IIJの売上高は、初めて音楽祭を開催した'05年には400億円程度だったのが、'13年3月期には1000億円を超えるまでになった。
趣味である音楽祭を続けるためには、事業も拡大させなければならない。鈴木氏にはそういった使命感もあったのだ。
「自分でやる、と言った以上は後に引けないという気持ちが強かった。それに、私は厳しい状況になればなるほど発奮するタイプなんです。だいたい、おカネなんていくらあっても墓場までは持っていけない。多くの人たちが喜ぶことで自分も満足できるなら、生きているうちに使ってしまおうと思ったんです。
言ってみれば、音楽道楽。毎年、春になると『あ、また、上野で音楽祭が始まるね』という会話が人々の間で自然と出るようになれば、私のやってきたことは報われると思うんです」
いまや、上野の春の風物詩として定着しつつある東京・春・音楽祭。今年も4月13日まで開かれている。
■自分の「使命」を知った
ちなみに3年前の東日本大震災の直後は、日本中が様々なイベントやコンサートを自粛したが、鈴木氏はこれに強い違和感を覚えたという。
「むしろ、こういうときこそ音楽の力が大切なのだと思い、本当に腹が立った。そこで、自腹で新聞の一面を買い音楽祭の広告を打ちました。余震の中で行われたコンサートはとても感動的でしたよ」
震災にもめげず、音楽を通して人びとに感動を届けた鈴木氏。一方、福島県を拠点とするスーパーマーケット、ヨークベニマルの社長・大善興氏は、震災の当事者になったことで、被災地の子供たちに何かしてやれることはないか、と真剣に考えた。
「福島第一原発の事故以来、福島の子供たちは外で遊ばなくなった。除染が進むまで、公園は放射線量が高くて危険だったために、子供の姿が公園から消えてしまった。これはマズイな、と思っていたとき、あるニュース番組を見たんです」
それは郡山市内の施設で開かれた子供用の室内遊び場の様子を報じたものだった。3日間で3500人もの子供や保護者がそこに押しよせている光景を目にして、大氏の脳裏に天啓のようにひらめいたものがあったという。
「そうだ、放射能の影響で屋外で思い切り遊べない子供たちのために、屋内の専用遊び場を作ろう。そう思ったんです。これこそ、私に課せられた使命だとさえ感じました」
知り合いの医師から、家に籠もった状態でいる子供たちに鬱症状が見られるようになっていること、5~6歳の子供たちの体重増加が全国平均より1kgも少ないことを聞かされたことも、大氏の危機感を強めることになった。
このままだと福島の子供たちの将来はどうなってしまうのか―。地元のNPO団体も行政もその不安を共有していたが、いかんせん資金繰りがつかない。そこで、大氏は一肌脱ぐ決意をする。
遊び場の土地として、ヨークベニマルが倉庫として使っていた7000m2の土地と2400m2の建物を無償提供したのだ。改装と遊具購入資金の5億円は、大氏の私財とヨークベニマルの出資、賛同者からの寄付でまかなった。子供たちへのクリスマスプレゼントにと、'11年12月23日のオープンを目指して、わずか3ヵ月間の突貫工事で遊戯施設の建設がはじまった。
「私はセブン&アイ・ホールディングスの取締役でもあり、施設建設にあたっては同社会長の鈴木敏文さんにも相談しましたが、『地域のために頑張ってください』と後押ししてくれました」
こうして東北最大級の屋内遊び場『ペップキッズこおりやま』は予定通りオープン。入場無料で、今年2月までの来場者数は70万人を突破する盛況ぶりだ。
大氏はどうしてこれほどの使命感に駆られたのか。その答えは彼が小学校5年生のとき、父親に連れられて見た黒澤明監督の映画『生きる』にあった。
主人公の市役所課長は胃がんに罹り、余命半年の宣告を受ける。一時は自暴自棄になる彼だったが、部下から「あなたは何のために生きているのか?」と問われ、人生の意義を再考する。そして自分の最後の仕事として、多くの市民から要望を受けていた公園作りに邁進し、反対する上司を粘り強く説得して、ついに公園を建設。本人はその公園のブランコで静かに死んでいくというストーリーだ。
「今から60年も前に見た映画ですが、『自分はどんな生き方をしていきたいのか?』と問いかけられ、私の生き方の原点を決定づけた決して忘れられない作品ですね。
私はペップキッズにさらに3000万円を寄付し、日本一楽しい子供たちの遊び場にしてから、自分の人生を終わらせたいと思っているんです」
東日本大震災ではヨークベニマル自体、大きな損害を受けた。震災で犠牲になった従業員24名。従業員の家族の犠牲者は148名。自宅が全半壊した従業員700名。原発による避難従業員519名。全170店舗中、105店舗が一時休業状態に追い込まれた。
「あの震災で着の身着のままで避難した方たちは、現金を持っておらず、大変な苦労をされた。うちの従業員たちも同様でした。そこで、私はすぐさま人事部に亡くなった従業員の家族や被災した家族に一律10万円ずつ支給するよう指示したんです。
ところが、被災証明がないと会社のカネは出せないと言う。そこで、個人の預金から1億円を下ろし、当座の援助資金として従業員に配ってくれと、人事部に手渡したんです」
■代償を求めてはダメ
トップ自らが身銭を切って従業員のフォローにあたったことは、結果的に組織内の絆を強めることになった。それは売り上げに如実にあらわれている。
今年2月期の決算は売上高3750億円(前年比105%)、連結の営業利益165億円(同106%)。日本のスーパーマーケット業界の半数が減益という厳しい時代に、ヨークベニマルは増収増益を実現した。
「正直、震災直後はこれでうちの会社も潰れるのか、と思いました。しかし、震災から3年たったいま、会社はこれまでで一番伸びている。その理由は、自分の店は自分が守るという意識が震災の試練を通じて従業員に浸透しているからではないでしょうか」
同時に、私財をなげうって地域貢献する大氏の姿勢が、消費者から強い信頼を得て、会社のブランドイメージを高めたという点も見逃せない。鈴木氏や大氏のケースは、「生きたおカネの使い方」のお手本とも言える。経営コンサルタントで、『お金持ちの教科書』の著者でもある加谷珪一氏もこう語る。
「これまで多くのお金持ちと言われる人たちを見てきましたが、貯めこむことや散財することを考えているお金持ちには、それ以上の発展はありません。集めたカネをどう有効利用するかを考えて行動に移す人は、稼ぐのと同じくらい使い方が上手で、しかも面白い使い方をする。使い方が上手でないと、おカネというのは殖えないのです」
生コンクリートやセメントなどの建設総合資材の商社・山一興産社長の柳内光子氏も、稼いだおカネを惜しげもなく、社会貢献に注ぎ込んでいる。
「日本にはお金持ちはたくさんいるでしょうけど、代償を求めずに、地域社会のために貢献しているお金持ちというのは、随分、少なくなったような気がしてなりません。その一方で、社会貢献している人に対しては『何か裏があるんじゃないか』とか、『どうせ見返りを計算しているんだろう』といった誤解や邪推がある。本当に困ったものです」
そう語る柳内氏は'98年に私財10億5000万円を注ぎ込んで、特別養護老人ホームを開設した。それを皮切りに、首都圏で5ヵ所の老人ホームを開設、さらに医療施設、保育園、保育専門学校と、子供からお年寄りまでの世話をする施設を20ヵ所も開設している。
「私の父は36歳で、母は46歳で亡くなったため、親孝行が出来なかったことがずっと心残りでした。社長になってからは、両親の代わりに家族の一員である従業員の親の面倒を見たいと思うようになりました。
同時にいまの時代には施設に入れない高齢者が非常に多いことを知って、老人ホームを開設しようと思い立ったんです。経営者が社会に役立てることはいろいろある。税金を払うこともそうですし、将来性のある政治家に献金することもそう。そのひとつとして、私は福祉事業に貢献したいと思ったんです。もちろんこれらの事業で儲けてはいませんし、施設の理事長はしていますが、そこから給料はもらっていません」
経営者としての柳内氏のモットーは「心の経営」を実践することだ。
「いまの大企業はいくら儲けても社員や社会に還元しない。つまり心がないんです。私はその反対に儲けを社員や社会に還元することで、人と人とのつながりを大切にしていきたい」
同社の昨年の売上高は505億円。手堅い経営を続けている。
「業績が好調だったので、ボーナスとは別に全社員に現金で5万円を配りました。振り込みにしなかったのは奥さまに取られないため(笑)。貯金せず、自分のために使うようにという社長命令を出しておきました」
■最後はすべて使い切る
事業で成功した利益を社会貢献に還元する経営者とは逆に、社会貢献をするために事業を始めたという異色の存在が、消費者金融プロミスの創業者・神内良一氏だ。神内氏は児童養護施設を作ろうと志し、手始めとして起業した金融業で大成功を収めた。
「私は'52年から'57年まで、大阪にあったキリスト教系の児童養護施設で働いていました。そのときに養護施設の劣悪な環境を見るにつけ、『宗教だけでは人は救えない』と実感し、自分で施設を作ろうと考えたんです。しかし、こうした社会事業をやるには、サラリーマンではダメだと思い、施設を作るための最適な方法として選択したのが、消費者金融だったということです」
貸金業をはじめるにあたって、神内氏が心がけたことがあった。
「それまでの金貸し業は、人の弱みにつけこむような体質だったので、それだけはしたくなかった。貸し手と借り手が対等になる仕組みを作ることを念頭に置いたんです。あるとき、お客さんから『他の業者は返せないのがわかっていて、どんどん貸し込むが、おたくは返済能力の範囲内でしか貸そうとしない。これはすごい』と感心された。随分、励みになりました」
プロミスの経営から退くと、すぐ養護施設の開設実現に向けて動き出したが、
「私が働いていた頃とは違って、随分、児童養護施設の環境もよくなっていることがわかったんです」
そこで児童養護施設の設立からシフトし、海外の困っている人を助けるための援助活動に資金を投入、その一方で北海道に約2000haの土地を取得し、赤牛の飼育やマンゴーの栽培などを行う農場「神内ファーム21」の経営もはじめた。
「私は今年88歳。贅沢する気はさらさらないし、欲しいものもない。わずかな生活費ですら、いつも余っている状態です。稼ぐだけ稼いだら、それを使い切って死ぬというのが私の理想。死んでも葬式もしないし、戒名もつけない、墓も作る気はありません。ただ、私が作った海外支援のための財団と農場については、私が死んでからも最低10年は継続してもらいたい。そのための活動がちゃんとできることを念頭において、いまはおカネの算段を進めています」
おカネは使ってこそ生きるし、それがまたおカネを呼ぶ。この哲学を実践できる大富豪のいる日本も、捨てたものではない。
「週刊現代」2014年4月12・19日合併号より
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