02. 2014年5月12日 13:12:08
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景気や雇用が改善し、失業率が下がれば、ブラックは淘汰されるhttp://diamond.jp/articles/print/52755 永田公彦 パリ発・ニッポンに一言! 【第12回・前編】 2014年5月12日 永田公彦 [Nagata Global Partners代表パートナー、北九州市立大学特任教授] “考えず、従う”姿勢が生む「国民総残業社会」 ――女性が疲れる社会ニッポンへの警鐘【前編】 「女性が輝く日本へ」と題し、安倍政権のもとで女性が活躍できる社会づくりが始動しています(首相官邸HP)。ところが実際には、女性の就業率や指導的地位に占める割合が高まるにつれ、輝く女性よりも、疲れた女性が増えることが憂慮されます。なぜなら、日本人独特の文化価値観がつくりだす労働偏重社会によって、ただでさえ大変な彼女たちが、さらに重荷を背負うことになるからです。 そんな日本の労働環境は、世界のビジネスパーソンの目にはどのように映るのでしょうか。ドイツ人のAさんとインド人のBさん、2人の対話形式で見てみましょう。 ニッポンは「国民総残業社会」!? Aさん「日本の会社では、残業が当たり前らしいね。しかも民間企業だけじゃなく、役所や学校でも」 Bさん「その残業は、役員や管理職だけじゃなく?」 Aさん「いや、不思議なことに、管理職より責任も報酬も低い平社員も同じように残業するんだよ。それに驚くなかれ、給料や労働条件が正社員より悪いとされる非正規雇用者(契約社員、派遣社員、パートタイマー、アルバイト)も、正社員と同じように残業することがあるらしい」 Bさん「国民総残業か…なるほど世界でもユニークな国だ。でも彼らは、喜んで残業しているんだろうか?」 Aさん「それは人によると思うけど、大多数の人は、会社がやれと言わなくても残業するというから驚きだ」 Bさん「え? プライベートライフより仕事が大事? 家族、恋人、友人より、上司、同僚、お客さんを優先?」 Aさん「そうかもね。そもそも日本では、仕事とプライベートをはっきり区別する人は少ない。会社は、単なる仕事場以上のもので、中には“人生の舞台”とか“自己実現と成長の場”と考える人もいるらしい」 Bさん「なるほど、日本では、職場を舞台に人生や恋愛を描くテレビドラマや漫画が受けるというけど、背景にはこうした日本人の文化価値観があったんだ」 Aさん「これに加えて、残業は、会社やお客様のために頑張っている証とポジティブに見なされる風潮がある。なので『最近忙しくて、毎晩終電だよ〜』と、残業の事実を恥じらいなく自慢げに話す人も多いらしい」 Bさん「だから日本人は、定時に退社して謝るって訳か。『すみません、今日はどうしても私用があり帰らせていただきます』とか『申し訳ございません、担当の田中は、本日は退社させていただきました』とか、すごく丁寧にね」 Aさん「そう。さらに不思議なことは、手当をもらう権利があっても、無給でやる人も多いということ」 Bさん「え!それって権利放棄だよね。でもなぜ、自分の時間、知識、エネルギーを、タダで会社に渡すんだろう?」 Aさん「日本には“個人の権利”より“組織の義務”を優先すべしという道徳観とか、暗黙の了解があると聞くけどね」 Bさん「う〜ん減私奉公か……タダで夜遅くまで働いてくれる社員に支えられる会社の経営は、さぞかし楽だろうね……」 What is“No zangyo day”(ノー残業デー)? Aさん「もうひとつ理解に苦しむことを教えてあげよう。僕たちは、社員は定時に帰るものと思っているよね。ところが日本では逆、だから会社が、社員に定時に帰ってもらうように仕向けるんだ。例えば、4割近くの日本の会社が――なんと外資系も含めてだよ、“ノー残業デー”というものを設けているらしい」 Bさん「No zangyo day?」 Aさん「つまりNo overtime dayさ。『皆さん、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)は大切です。今日くらいは定時に帰りましょう!』という日(苦笑)」 Bさん「ゲッ!そこまでしないと家に帰らないのか…? 残業代目当ての人もいるとか?」 Aさん「恐らくね。でもいずれにせよノー残業デーは、日本人の気質に合った対応策だと思う。なぜなら彼らの多くは、自分(個人)の考えとか信念に従って行動しない。少なくとも会社の中ではね」 Bさん「え?じゃあ何に従うの?」 Aさん「2つのことに従う傾向がある。1つは、組織のルール。社内規定、慣習、暗黙の了解、業務マニュアル(やり方)、先例などに厳格に従う。2つ目は、周囲の目。上司、同僚、お客さん、家族が自分をどう見るだろうかにより行動する。まあ、少数派だけどそうじゃない人もいるけどね」 Bさん「なるほど、日本のノー残業デーは偶然の産物じゃないわけだ。会社(雇用主)が『みんなで帰るべし』のお墨付きと号令を出す、つまりこれも一種の“ルール”だね。そこで自分だけ残ると周りの目も気になるし、みんながルールに従って帰るから、自分も帰るってワケか」 Aさん「そう、でも自分(個人)の裁量でもって退社する僕たちには、馴染みにくい文化だけどね」 Bさん「ということは、日本のクールビズの成功や、国民の祝日が多いことも、同じ理屈で説明できるかも(笑)」 Aさん「その通り。政府(お上)が率先してネクタイとジャケットを取った。これが全国の役所や企業に拡がって一種の社会的ルールになり、それにみんなが従ってクールビズをやりだした。 それから日本人は、有給休暇の権利があっても、実質的に取得判断が個人に委ねられていることもあって、一部しか消化しない。みんなで休む日と国が定めたルールだから、会社もこれに従って休む。会社が休みだから、これに従い社員も休むという構図になる」 日本企業の意思決定=「細かい全員野球」説 Aさん「よく外国企業は、日本の会社は意志決定が遅いっていうね。でも、なぜだと思う?」 Bさん「トップダウンじゃなくコンセンサス、つまり社長とか特定の責任者だけではなく、関係者全員の話し合いで決めるから時間がかかる、と聞いたことがあるけど」 Aさん「そう、特に部門横断型のプロジェクトでは。しかも関係者の多くは、物事が決まった後に実際に動く現場の人達」 Bさん「……ということは、最初から実務的な細かい話になる」 Aさん「そう、みんなそれぞれ、自分が所属する現場で想定される細かいことを念頭に置いて、意志決定に参加する。また、会議で話されたことは、自分の独断では決められないから、いったん部署に持ち帰ってチームメンバーと一緒に揉む必要がある」 Bさん「現場にお伺いを立てる、というやつか……でも、最初から、どんどん細かい部分へ入ってゆくようだ」 Aさん「そう、大木に例えるなら、欧米では、最初に木に伸びてもらいたい方向(ビジョン)、その実現に欠かせない太い幹(基本戦略)、この2つから成るコンセプト(基本概念)を固めるのに時間をかけ徹底議論する。細かい枝や葉を見るのは、そのコンセプトが決まった後だ」 Bさん「それに対し日本では、最初から、何万とある小枝や葉を関係者全員で1つ1つ丹念に見てゆく、そして後からコンセプトを決めるか、コンセプト不在のままプロジェクトが動き出すこともある……」 Aさん「そう、極論だけど、欧米人はコンセプトさえ固まれば全てが決まった気になる。日本人は詳細が全てクリアにならないと決まった気にならない、と」 Bさん「決断という言葉の意味や、そこに至るまでの過程や方法が全然違うんだね」 Aさん「それに日本人のいう“詳細”って、我々が考えるものよりはるかに細かい(涙)」 Bさん「なるほど、“細かい全員野球”を目指すから、普段からメンバー同士の連携や細かなすり合わせを入念に行う必要がある。だから、全員が集まる練習時間や、試合中のコミュニケーションの時間が長くなる……」 意見の戦いは人の戦い、 意見の否定は人格の否定? Aさん「日本人の仕事に時間がかかる理由の1つには、“ハイ・コンテクスト文化”もあるね。彼らは、言葉少なに曖昧かつ間接的な表現で、互いの考えや気持ちを察し合う傾向がある。逆に言うと、自分の言いたいこと全てを直接的かつ論理的に相手に伝えるのが苦手ということだ」 Bさん「じゃ、彼らは会議中も互いに察し合うってこと? だとすれば、みんなの考えを理解して合意と決断に至るまでには、莫大な時間がかかるだろうね。さっさとその場で議論して決めればいいのに」 Aさん「確かに、僕らにとって会議とは、物事を参加者の間で議論して決める場だよね。でも日本の会議はそうじゃないことが多い。顔合わせとか情報共有の場(報告と連絡)だったり、既に決まっていることを承認する場であることが多い」 Bさん「でも、情報共有は会議の前後でもできるじゃない? せっかくみんなが忙しい時間を縫って集まってるのだから、会議を議論と決断の場にしてみたらいいのに」 Aさん「仮にそうしても、ほとんどの人は発言しない形式的な会議になっちゃうだろうね」 Bさん「自分の考えを伝えるのが苦手で自信がないから?」 Aさん「それも大きいと思うけど、他に2つ理由がある。1つは、どうやら確固たる自分の意見を持たない人が多いらしいこと。たぶん好奇心や参加意識が薄いか、人から意見を聞かれることが少ないから、自分のアタマで考えなくなっているのかもしれない。2つ目は、考えがあっても、それが議論の中で他のメンバーと衝突することを避けるせい」 Bさん「彼らにとって、意見の衝突は悪いことなの? みんなで違う考えをぶつけ合うから、より良い成果が生まれて、みんなで本音を出し合うから、透明性と信頼感が保てる。これが本当のチームワークだ!と思わないのだろうか?」 Aさん「彼らは、衝突して人間関係が悪くなる、組織の中で自分の立場が悪くなる、組織の雰囲気が悪くなるのが怖いんだよ」 Bさん「そういえば、日本では“意見の戦い=人の戦い”、“意見の否定=人格の否定”と勘違いしている人も多いと聞いいたことがある」 Aさん「その通り。そしてメンツがかかっている。だから、みんなで集まる会議は踊らない……」 事件は会議室ではなく 飲み屋で起きている!? Bさん「なるほどね。でも会議で議論して決めないなら、どこでどう話し合って決めるんだい?」 Aさん「それが、会議室とは別のところで、関係者それぞれと個別に話をするんだよ。これをひたすら繰り返して、じっくりお互いの理解と信頼を深め合い、合意と決断を導く」 Bさん「出た! ジャパニーズ“根回し”ってやつ?」 Aさん「まあ、そんなとこ。しかも昼夜問わずやっている。特に本音の議論や重要な決定は、会社を出て、夜、飲みながらってことも多いそうだよ」 Bさん「えっ! 会社で残業した後で疲れてるだろうに、場所を変えてさらに延長サービス残業か…」 Aさん「日本人社会では、“酒場=ざっくばらんに本音で話せる場”という、暗黙の了解があるらしい」 Bさん「わかった! だから日本人は夜になると急変するんだ。昼間は静かでポーカーフェースの彼らも、酒場ではまるで水(酒!?)を得た魚みたいに大声で話しているよね」 Aさん「そう、まさしく会議は踊る」 Bさん「そして夜10時を過ぎても、街じゅうが会社帰りの男女で埋め尽くされ、電車内でも会議の延長みたいに大声で話している」 Aさん「世界の他の都市では見られないユニークな光景だよね」 Bさん「でも、ちょっと待った。最近は日本でも飲みに行く人が少なくなっていると聞くけど、こういう人たちは、どこで本音を語ってるんだい?」 Aさん「確かに飲みに行く人の数や回数は減ったらしいが、その分昼間の会議室で本音の議論がされているかというと、そうでもないらしい。その結果、互いに理解不足で中途半端なコンセンサスが形成される。動き出した後に、関係者と話がうまくかみ合わなかったり、人間関係がギクシャクしたり、無関心な人任せの社員が増えたりしているらしい」 Bさん「心のすり合わせが大切な国で、それができなくなってくる……日本企業の競争力の源泉だったチームワークが、崩れかけているとも言えるかもね」 (明日5月13日公開予定の【後編】に続きます) |