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「残業代ゼロ」法案はブラック的で的外れ。労働の規制緩和は「解雇の金銭補償」で一点突破せよ!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39130
2014年04月30日(水) 山崎 元「ニュースの深層」 現代ビジネス
産業競争力会議は、一定の条件を満たす労働者について、労働時間に対してではなく、労働の「成果」に対して報酬を払うことを可能にする制度改正を検討している。労働に関する規制は、俗に言われる「岩盤規制」の中でも代表的なものだが、果たしてこの方向にドリルを突き立てて、穴は開くのだろうか。
■「残業代ゼロ」法案は、有効か?
今回の産業競争力会議で企業経営者を務める民間委員が提言した案は、年収1000万円以上、あるいは従業員の半数以上をカバーする労働組合がある会社の組合の同意があって、且つ社員個人が同意した場合に、労働時間と報酬の関係を切る契約を可能にする、といったものだ。
数年前に議論されて立ち消えとなった「ホワイトカラー・エグゼンプション」の拡大版に近い。
これは、端的にいって、社員を「残業代」と無関係に働かせることが出来るようになるような法改正を進めるということだろう。現在でも、一定以上の管理職の社員は残業代がつかない形で働かせることが認められているが、その対象範囲が、拡大される。
仮に、8時間労働で得られる平均的な「成果」を社員に求めるとするなら、社員の一定比率は8時間よりも働くはずだし、同じくらいの比率の社員が、8時間よりも短い労働時間で同水準の報酬を得ることが出来て然るべきだろう。本来の効果は、上下対称で総合的な損得は中立的であるべきだ。
しかし、実際の職場の様子を想像するに、経営者側は「8時間労働で得られるはずの成果」を経営側に都合良くレベルアップして社員に伝えるだろう。
結局、この改正の実質的な意味は、管理職未満の社員に対しても「残業代ゼロ」の働き方を可能にすることだ。少なくとも、そのように利用する企業があることは、想像に難くない。仮にこの制度が出来れば、その効果は上下非対称で、経営側にとって有利なものになるだろう。
はっきり言うと、この非対称性に何となく後ろめたい感じがあるからこそ、「年収1000万円以上」とか「労働組合及び本人の同意」といった、言い訳の利きそうな付帯条件を持ち出したのだろう。
そして、身も蓋もない言い方を許して貰えば、こんな提案にならざるを得ないのは、もともとの筋が悪いからだ。
例えば、現在の日本企業の組合は、特に年収の高い企業にあって、組合は幹部が経営者と仲良しの「御用組合」だ。幾つかの業種の大企業では、組合幹部は、出世コースの一つでさえある。こうした企業の社員は、組合などという余計なものがあることによって、かえって残業代を稼ぎにくくなるわけだ。お気の毒なことだ。
付け加えると、政府が給料を上げようとしている時に、実質的に賃下げしようとする制度が覆い被さってくるのだから、この提案はマクロ的にもピントがずれている。
■残業代ゼロ構想は経済的「正義」に当てはまらない
ところで、労働と報酬との関係を労使の「取引」と見なすなら、報酬が労働時間によって決まるのではなく、仕事の内容・成果によって決まるべきだ、という成果主義の考え方は一つの経済的「正義」だ。外資系企業にお勤めのエグゼクティブなら、大半が、「それが当たり前だ」と考えるのではないか。
しかし、筆者は、今回の残業代ゼロ構想が、この「正義」には当てはまらないと考える。
成果主義的報酬制度が「正義」であるためには、できれば成果が労使双方から見て客観的に測定出来ることが望ましいし、最低限、個々の労働者に対して仕事の成果に対する丁寧な評価と納得が行く説明がなされるのでなければならないだろう。
客観的にも、納得的にも「成果」が明らかにならない中で、成果を基準にして報酬を決める取引はフェアなものにならない。
前者は、証券会社のセールスマンやトレーダー、あるいは保険や車のセールスのような「稼いだ利益」で成果を測ることができるような、ある意味では単純な仕事に対しては適用可能だが、一般的なオフィスワークや集団でする製造の仕事、あるいはサービス業に適用するのは難しい。
期初に「目標」を設定して、その「達成度」で成果を測り、評価を伝える「オフィスのママゴト」のような俗流成果主義は、日本の企業で広く取り入れられているが、多くの場合、評価者の力量不足もあって、十分機能しないばかりか、かえって弊害を生んでいる。
個々人の仕事を丁寧に評価して、評価について納得の行くコミュニケーションを行うのは、大半の企業のマネジャー達には無理だ。そこまでマネジメントが出来る企業ならやってもいいが、そうでない一般の会社はやらない方がいい。
労働時間に対して賃金を払って、労働効率については、使う側がリスクを取る形が現実的でフェアだろう。
そして、今回の提案では、「ブラックな」意図を持った企業・経営者に悪用される可能性が排除出来ない。「ブラック」まで行かなくとも「グレー・ゾーン」を拡げようとするのが、今回の提案の腹の内にある意図ではないのか。
■「解雇の金銭補償ルール」を一点突破せよ
筆者は、雇用に関する規制緩和に賛成だ。但し、残業代ゼロ提案のように、(1)有利不利が一方的で、(2)取引の曖昧さを拡げることを手段に用いる、のは二重の意味でアンフェアだし、市場原理にも反すると考える。
目指すべき規制緩和は、正社員に対する金銭補償による解雇のルールの確立だ。横道に逸れずに、ここを一点突破すべきではないだろうか。
率直にいって産業競争力会議だけの力で実現は難しいと思うが、それなりに忙しいはずの大人が大勢集まって、この急所を外した議論を重ねるのは、まったくつまらない。委員たち自身は残念だと思っていないのだろうか。
ルールで決まった額の補償金(例えば勤続年数によって月収1ヵ月〜12ヵ月分くらい、あるいはもっと多額)を支払うと、正社員を解雇出来るようになると、企業経営にとっては、以下のようなメリットが生まれる。
(1) 必要のない仕事や縮小したい仕事に関わる人員と人件費を容易に削減出来る。
(2) パフォーマンスの低い社員を除去したり、外部の有能な人材と入れ替えたり出来る。
(3) ビジネスの縮小、転換、人の入れ替えを、あらかじめ予想出来るコストの下で考えることが出来る。
働く側にとっても、悪いことばかりではない。「クビがあり得る」というプレッシャーは増えるが、次のようなメリットがある。
(1) ポストの空きが出来やすくなるので、転職が容易になる。
(2) (中小企業で特に多い)補償なしのクビに対して、「泣き寝入り」せずに、また裁判に訴えずに、一定の補償を確保出来る。
また、ビジネスライクに解雇出来るので、社員を退職に追い込むような圧迫が少なくなる可能性もある。
但し、もともと、社員を過酷に使い潰して、会社都合ではなく、自己都合退職に追い込む「ブラック」な会社のインセンティブは、今と変わらないし、むしろ酷くなる可能性もある。この連中には、別の対策が必要だ。
金銭補償の解雇ルールが確立されれば、経済全体としては、人的資源配置の効率化が可能になる。これなら、成長戦略の一環である、と言っても恥ずかしくない。実現を目指すべきは、こちらだろう。
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