05. 2014年4月14日 13:02:42
: niiL5nr8dQ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40441 米国のサブプライムローンの復活 今度は住宅ローンではなく、自動車ローン 2014年04月14日(Mon) Financial Times (2014年4月11日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) ほんの数年前、「サブプライム」はほとんど罵りの言葉だった。金融危機の間、サブプライムの借り手――つまり、お粗末な信用履歴を持つ人々――に関連した住宅ローンは、壊滅的な損失を招いた。損失が大きいあまり、多くの資産運用担当者は2度とサブプライムには手を出さないと宣言したほどだ。 だが、金融の世界は忘れっぽい。低利資金とイノベーションが合わさった時は特にそうだ。サブプライムローンはここ数カ月、不動産絡みではなく、もう1つ米国人が熱中するもの――すなわち、自動車――に関連して、ひっそりと驚くほど力強い復活を遂げた。この新しいブームが、ナイーブな消費者の間だけでなく投資家の間でも、また大勢の被害者を生むまであとどれくらいかかるだろうといぶかる人もいる。 歴史的な類似点は気味が悪いほどだ。過去10年間のほとんどの期間を通して、自動車関連債務の金額はわずかしか増加しなかった。ところが2010年に7000億ドルだった自動車ローンの残高は、過去3年間で25%も急増した。これが自動車販売の急増につながり、ゼネラル・モーターズ(GM)のような企業に恩恵を与えている。 他の多くの形態の消費者ローンが2007年の金融危機以降低調にとどまっていることを考えると、自動車ローン残高の急増は目を引く。例えば、クレジットカードのローン残高はこのところ、10年ぶりの低水準近くにとどまっており、先日公表されたデータでは、2月に24億2000万ドル減と予想外に大きな落ち込みを記録した。 だが、自動車ローンは――学生ローンとともに――、同じ2月に大幅に増加した。さらに注目に値するのは、これがローンの質が急激に悪化する最中に起きていることだ。5年前、サブプライムローンは融資残高全体の10%を占めるのがやっとだった。それが今は3分の1を占めている。 特にサブプライム比率が高いGM GMの自動車販売では、とりわけ大きな部分がサブプライムローンで賄われている。一方、今は新規ローンの10%がいわゆる「ディープサブプライム」の消費者に向かっている。ディープサブプライムとは、以前なら資金調達の機会がほとんどなかった消費者だ。自動車価格が跳ね上がっている一方、比較的貧しい家計の所得が横ばいにとどまっているか下落しているとあっては、なおのことお金を借りられなかったはずだ。 このブームにはいくつか理由がある。1つは、資産運用会社が現在、超低金利の世界にあってリターンを生み出すもの――どんなものでも――を見つけるのにあまりにも必死なため、彼らがあらゆる種類の債券に手を出していることだ。そして投資家は、前回の信用危機の時に住宅ローンよりも自動車ローンの方がパフォーマンスが良かったという理由で、自動車ローンを裏付けとする債券を購入することに特に熱心だ。 これが、米国の消費者は自動車に対する愛着が非常に強いから、車を保持するためなら何でもするという広く受け入れられた(そして潜在的に危険な)前提を生み出している。 だが、ブームのもう1つの理由は、抜け目のないプライベートエクイティ(非上場株)投資会社やヘッジファンドがこの騒動に割り込み、過去3年間で膨大な数の新たな自動車ローン会社を後押ししてきたことだ。 これらの会社は独創的な方法でローンを消費者に押し付けてきたが、これは非常に実入りの良いビジネスだった。消費者はサブプライムローンに対して20%近い利息を払うこともあるが、金融会社の資金調達コストは、投資家の飽くなき需要のおかげで、わずか2%ということもある。 これまでのところ、このブームが悲しみを招いている兆候はほとんど見られない。自動車ローンのデフォルト(債務不履行)率は約1%と、過去の水準から見て低くとどまっている。だが、金利が上昇すれば、デフォルトはほぼ確実に急増する。特に所得が横ばいにとどまっている場合はそうだ。 自動車株が急落している理由 格付け機関は不安になり始めている。ウォール街の最も賢明な市場参加者の中には、ひそかに投資を現金化しているところもある。危機が迫っているという強い確信を持っているため、ローンの逼迫が自動車販売に打撃を与えるとの不安から、GMのような自動車株をひそかに空売りしている金融業者もいる。 これが、イグニッションスイッチの欠陥を巡る最近の見苦しいスキャンダルによって説明される範囲を超えて、自動車会社の株が今年大きく下落した理由を説明できるかもしれない。 これらの懸念は時期尚早かもしれない。何しろ前回のサブプライムバブルが破裂した時は、その何年も前から人々は不安を口にしていた。また、ありがたいことに、サブプライムの自動車ローンが本当に危機を作り出したとしても、その規模が住宅ローンよりはるかに小さいため、必ずしもあれほどのシスミックな影響をもたらすことはないだろう。 だが、少なくともこのちょっとした物語は、米国の現在の回復の一部が不安定な基礎の上に築かれていることをはっきりと思い出させてくれる。そしてそれは、低利資金が予期せぬ場所で歪みを生み出すという嫌な癖を持っていることを示すもう1つの時宜を得た説明――何か説明が必要だとすれば――でもある。たとえこうした歪みが、大抵は以前と全く同じ場所で起こらないとしても。 By Gillian Tett http://jbpress.ismedia.jp/articles/print/40442 金融の未来:最後の貸し手としての国家 2014年04月14日(Mon) The Economist (英エコノミスト誌 2014年4月12日号) 国による補助金と保証が再び金融セクターを蝕み、新たな危険を生みつつある。 リーマン・ブラザーズが破綻した2008年以降、一般的な認識としては、危機が起きたのは国が金融の管理を市場に明け渡したせいだとされてきた。従って、解決策は規制の強化であるはずだと考えられた。最近の規制強化の標的になっているのは、リーマンを破滅させた危険性の高い融資の元となった米国の住宅だ。 住宅ローン市場に公的な安全装置を提供し、危機の際の損失の90%を政府が保証するという案も浮上している。それは安心を生むかもしれないが、安心ばかりもしていられない根拠が2つある。 安全装置に安心できない理由 第1に、国による支援で守りを固めることが、過剰なリスクテーキングの防止にどうつながるのか理解しにくいこと。 そして第2に、米国の住宅市場の問題がどんなものであったにせよ、この市場はそもそも政府による管理を欠いていたわけではなかったことだ。米国の住宅市場は、自由市場にはほど遠いものだった。それは世界でも有数の規制の厳しい業界で、税金による補助金に支えられ、融資の決定は政府が下していた。 1856年、本誌(英エコノミスト)の編集長だったウォルター・バジョットは、自身が「ブラインド・キャピタル(やみくもな資本)」と名付けたものを金融破綻の元凶として非難した――資金が考えなしに、リスクを無視して、愚かな対象に投じられていた時代のことだ。そうしたパニックが避け難いことに加え、経済における金融のシステミックな役割を考えても、政府は金融の安全を強化するために、何らかの特別なルールを考える必要があった。 バジョットが考案したルールは、中央銀行は危機の際に市中銀行を救済しなければならない、というものだった。 だが、バジョット・ルールには棘もあった。すなわち、救済を受けた者に問われる責任は懲罰的であるべきという主張だ。そうした厳しい主張の根底にあったのは、政府は金融業界を他の産業とできるだけ同等に扱うべきであり、可能な限り多くのリスクを銀行家や投資家自身に引き受けさせなければならないという考え方だ。 国がシステムを保護すればするほど、システムの中にいる者が何の罰も受けずにリスクを冒す可能性は高くなる。 そうした危険は、2007〜08年に十分に実証された。銀行は好況時に国の保証のもとでリスクを冒し、それにより得た利益を懐に入れておきながら、バブルが弾けると、請求書を納税者に回した。だが、その時の教訓は活かされてこなかった。 2008年以降、あまり実際的でない米国のドッド・フランク法から欧州の取引税まで、大量の新規制が導入された。銀行の資本と流動性を強化する施策の中には、金融の自立性を高めるものもある。米国の銀行には、厳しいレバレッジ比率が新たに課せられている。 だが、全体的に見れば、規制と保護に対する強い要求の結果、業界は国の支援に頼りすぎるようになっている。 バジョットも嘆くはず 現在の数字には、バジョットも驚くだろう。米国民はいまや、どんな銀行にも、最高25万ドルを何の心配もなく預金できるようになっている。その金額が政策により保護されているからだ。その政策のどこに、銀行の健全性の確認を促す要素があるのだろうか。 ほとんどの国では、利子の支払いを課税対象から控除できるようにすることで、いまだに企業や個人の借り入れが推奨されている。米国では、住宅ローンの利払いに対する補助金の総額が1000億ドルを超えている。 バジョット自身が唱えた金融上の「最後の手段」でさえ、ねじ曲げられて補助金に化けている。大手金融機関が必ず国に救済されることを投資家たちが知っているため、そうした企業はほかの企業よりも低利で資金を借りられる。米国の住宅ローンを扱う巨大機関、ファニーメイ(連邦住宅抵当金庫)とフレディマック(連邦住宅貸付抵当公社)は、1200億ドルもの国の補助金を使って、何十年にもわたって株主の懐を潤してきた。 国際通貨基金(IMF)によれば、銀行の補助金の総額は、英国と日本では1100億ドル、ユーロ圏では3000億ドルに上る。先進国全体で6300億ドルに達するこの歪みは、スウェーデンの国内総生産(GDP)よりも多く、上位1000行の銀行の純利益を上回る。 多くの場合、規制や救済を実施する根拠は、一般投資家を金融的厄災から守ることにあった。だが、全体的な効果は、国による保護クッションをさらに分厚くし、リスクテーキングを歪める方向に現れている。 これは過去のパターンと一致している。本誌の今週の評論記事でも触れているように、規制側は、危機が起きるたびに金融の保護を強化する対応を取ってきた。1792年から1929年までに起こった5回の危機を振り返ると、現在の金融システムの由来が見えてくる。その中には、株式銀行や米連邦準備理事会(FRB)、ニューヨーク証券取引所など、大きな成功を収めた改革も含まれている。 だが、システムを蝕む潮流も見て取れる。すなわち、国の関与が徐々に増大していることだ。その良い例が、預金保護だ。1934年に米国で導入された当初、保護される預金額は2500ドルだった。この額は当時の平均収入の数倍程度で、銀行への取り付け騒ぎのリスクを緩和するものだった。 現在の米国は極端なケースだが、西側諸国では10万ドルを超える預金保護が一般的になっている。これは富と所得を保護するためのものだ。そのせいで、投資家は信用度を気に掛けないようになり、適用利率だけを心配し、脆弱なアイスランドの銀行など資本バッファーが不十分な銀行に揃って資金を預けている。 そこから生まれる全体的な影響として、単に金融業界が潤うだけでなく、金融のプラスの効果が弱まることになる。健全な金融市場は、資金を必要としている企業にお金を回し、経済を加速させる。また、資金を持たない企業に融資し、既存の企業と争わせることで、経済の公正さと競争力を高める働きもある。 現在の金融システムは偏りが大きく、貯蓄は補助金と税制上の歪みの方向へ引き寄せられている。住宅業界が債務を燃料に活性化する一方で、機械や特許への投資は干上がっている。そのすべてが成長を鈍化させる。 甘やかしすぎは止めよう このように、まるでゾンビのようにしぶとく復活してくる国による金融への介入を、どうすれば止められるのだろうか? 預金保護については段階的に縮小し、最終的な保護額は年収と同程度――米国では5万ドル程度――にすべきだ。決済システムを保全するには、その程度で十分だろう。 銀行経営者は、預金保護が導入される前のように、自己資本比率を宣伝してもいいかもしれない。企業の資金調達費用に対する税控除は賢明な措置だが、調達資金のすべてを自己資本ではなく負債と見なすのは賢明ではない。 また、失敗の責任を、納税者ではなく投資家自身に取らせるようにするためにできることはまだある。その第1歩となったのが、破綻時の処理計画にあたる「リビングウィル(生前遺言)」の作成の義務付けだ。リビングウィルには、メガバンクの事業縮小方法や、危機の際にバッファーとして機能する損失吸収債券に関する説明がまとめられている。 だが、この点では欧州は米国に大きく遅れを取っている。また、国境をまたいだ巨大銀行をどう解体するのかという問題が残されている。 政治家が金融への介入を止める可能性は、悲しいほど低い。だが少なくとも、バジョットの助言に従い、業界支援のコストを明確にすることは可能だろう。金融のセーフティネットは、いまや銀行の枠を大きく越えて、資本不足の手形交換所やマネー・マーケット・ファンド(MMF)にまで広がっている。政府は会計上、ほかの補助金のケースと同じように、そうした負債を明らかにし、受給者に応分の代償を負わせるべきだ。そうしなければ、次なる危機を招くだけに終わるだろう。
|