04. 2014年4月01日 08:07:18
: WYkaDPEcjY
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20140325/176641/?woml 年収500万円では結婚する気になれません2014年3月31日 取材から2年半後、結婚した男性と結婚しなかった男性の違いマイミクなどと共有するサービス「mixiチェック」に登録するブックマークを共有するソーシャルブックマークの「はてなブックマーク」に登録するツイッターに投稿する ロスジェネ未婚男たち50人の「その後」を追ってあれこれ感想を述べる本連載、いよいよ最終回である。本当はもう少し続けたかったのだが、12人は再取材ができなかったために38人目で終わりを迎えた。その理由は前回記事を参照してほしい。 取材させてくれた38人(平均年齢33.9歳)のうち、結婚していた人は15人。半数に満たない数字である。 取材先のほとんどが僕の友人なので「身びいき」も込めて言うが、残りの23人は変人ぞろいではない。気軽に取材に応じてくれ、楽しく語りながら飲み食いできる穏やかな人がほとんどだ。中には「一人でいることが好きなのです」と言い切る修行僧のような人もいるけれど、大多数は「いずれは結婚したい」という意思を持っている。 ではどこが違うのか。最もわかりやすい特徴は、残念ながらお金である。結婚した人の平均年収が661万円なのに対して、結婚していない人は584万円であった。なお、結婚していない人の平均値は年収2000万円の渉外弁護士が一人で引き上げているため、彼を差し引くと520万円となる。 今どき520万円も稼いでいれば十分な金額だ。女性にモテないわけでもない。実際、看護婦や患者からモテまくっているのに学歴主義者の母親に結婚を阻まれている医者なども含まれている。 しかし、彼女のいない人(13人)になるとやや深刻になり、平均年収は444万円だ。さらに、前回の取材時(2008年7月〜2009年7月)も今回(2011年1月〜2014年2月)も恋人がいなかった人となると398万円になり、400万円を割り込んでしまう。 年収400万円では恋愛する気にもなれないのは、数年前に年収360万円を体験した僕の実感でもある。月収30万円というと「悪くない」と感じるが、家賃や税金などを差し引くと食費などに使えるのは10万円程度で、旅行や外食を楽しむ余裕はない。都会の借家暮らしではかなり苦しい年収なのだ。実家に戻れば楽になるのかもしれないが、30歳を過ぎて経済的な理由で実家暮らしの男性に彼女ができる可能性は低い。というか、本人に「その気」がなくなる。 大雑把にまとめると、年収400万円未満では彼女ができ.. 大雑把にまとめると、年収400万円未満では彼女ができず、年収500万円では結婚に踏み切れず、年収600万でようやく結婚に向かえる。繰り返していうが、ルックスや性格によって女性からモテないのではなく、年収600万に近づかないと本人に結婚して家庭を築く自信と余裕が生まれない。 安定成長の時代に生まれた僕たちの世代(1972〜1982年生まれ)は、父親は外で夜遅くまで働き、専業主婦の母親が家事を一手に引き受けていた家庭で育った人が多い。 日本の成長が止まり、共働きと家事分担が当たり前の時代に変わっても、「お金は男が稼ぐもの」という価値観に縛られ続けている。せめて600万円ぐらい稼げるようにならなければ、結婚して子どもを作ろうとは思いにくい。理性的な判断ではなく、気持ちの上での「勢い」がつかないのだ。 ちなみに僕は500万円台に収入が回復したときに調子に乗って付き合い始めた女性と翌年に再婚し、自宅を東京から地方都市に移した(家賃が安い!)。 昨年の収入は600万円に届かなかったが、共働きの妻と意外にも仲良くやっている。相手とよく話し合い暮らし方を工夫すれば、年収500万円程度でも元気を失わずに結婚生活を送っていけると感じる。 年収300万円ではデートもできず、恋愛する気も起きないのは体験的によくわかる。でも、400万円ぐらいあれば勢いで恋愛結婚してもいいと思う。共働きで支え合って心身が健康になれば、仕事に集中できるようになる。ブラックな職場から脱する勇気も出る。 僕たちの世代は男が女を養う必要はない。養われるのも違う。養い合うべきなんだ。「一人ぶちは食えないが二人ぶちは食える」という昔ながらの言葉を今こそかみしめたい。 (おわり) ●お知らせ 4月からは新連載「お見合いおじさんは見た!(仮)」が始まります。筆者・大宮冬洋がお見合いおじさんとして恋愛・結婚市場に復帰し、未婚の友人・知人のお節介をしまくる様子を描きます。3月現在、すでに2組の「縁談」が進行中。ご期待ください。 イラスト/つぼいひろき 【第36回】 2014年4月1日 吉田典史 [ジャーナリスト] 「あんた、私をなめてるだろう?土下座しろよ!」 女性客にまで暴行されるコンビニ店員の“悶える格差” 今回は、あるコンビニエンスストアで筆者が目撃した、暴力事件を紹介しよう。女性の客から罵倒され、胸ぐらをつかまれ、足を蹴られ、負傷するアルバイトの店員がいた。 この30代前半と思える男性は、そのとき限りなく無抵抗だった。暴力をふるい続ける30代後半に見える女性に、ひらすらお詫びをしていた。もう1人の男性店員も、うろたえるだけだった。2人は自ら警察に通報しようとせず、結局見かねた筆者が通報することになった。 それを機に、筆者はこのアルバイトの男性と話をするようになった。彼の話からは、すでに30代になりながら企業に正社員として就職できず、アルバイトで低収入の日々を送る「生活苦」の現状が浮かび上がった。言わば彼は、これまで連載で紹介してきたような「悶える職場」以前のところで喘いでいるのだが、不満の声すら上げることができない。 見ず知らずの女性客にまで殴られ、軽くあしらわれながらも、生活のために無抵抗を続けるしかないアルバイト社員は、なぜこのような境遇に陥ってしまったのか。彼はこうした「究極の悶える職場」から再起を図ることはできないのだろうか。男性への取材を基に、「格差社会」の現状と課題を筆者なりに分析してみたい。読者諸氏も、一緒に考えてみてほしい。 「女だからってなめるな! 土下座しろ」 筆者が目撃したあるコンビニの暴力事件 「女だと思って、なめているだろう? 土下座しろよ。この野郎!」 昨年12月、JR中央線のA駅南口から徒歩数分の交差点の角にあるコンビニエンスストアで、暴力事件が起きた。店内の隅々まで響く声を出していたのは、30代後半くらいの女性だった。 顔は面長で、目鼻はモデルのようにはっきりとしている。化粧は比較的、濃い。靴は黒いヒールだった。背は、165センチ前後と長身の部類に入る。 服装は、上は黒の革ジャン、下は青色のジーンズ。買ったばかりに見える。年齢のわりには細見で、足は長くてスタイルがいい。ひとことで言えば「美人」である。ところがその女性の行動は、外見とはまるで似つかわしくなかった。お酒を少し飲んでいるのか、多少酔っているように見えなくもなかった。 彼女は、不意にレジを打っていた30代前半の男性の胸ぐらを両腕でつかんだ。そしてレジの中から外に引きずり出した。腕力は強そうに見える。足のひざで、男性の太ももの付近を何度も蹴る。と言うよりも、蹴り上げる感じだった。「ゴーン、ゴーン」と音が響く。骨と骨がぶつかる音だ。 「すいません!」「痛い!」 怯える店員を蹴り上げる凶悪美人 男性の店員が「すいません、すいません」「痛! 痛!」と声を出す。(@)その声は脅えていた。女性の蹴り方は慣れていた。ためらうことなく蹴りを繰り返す。 店内を見渡すと、30代前半と思える男性の店員がもう1人いた。女性の数メートルそばに立ちすくむ。小さな声で「ああ〜〜」「ああ〜〜」と言い、泣きそうな顔でうろたえていた。(A) 筆者は、警察に通報しようとした。コンビニの客は筆者を含め、3人。他の2人は雑誌を読んでいた。(B)店の隅で暴力事件が起きていることを知っているようだったが、あえて関わらないようにしていたのかもしれない。 女性の声は響く。 「この野郎! 女だと思って、なめやがって……。さっきの(レジでの)対応はなんだ!土下座しろ!」 レジでお金を払おうとした際、店員の対応に怒り、キレてしまったようだった。その一部始終を筆者は見ていたわけではない。もしかすると、店員の対応に何かの問題があったのかもしれない。 数秒後、「パーン」と音がした。その瞬間は見ていないが、おそらく、女性が男性の頬をひっぱたいたのだと思う。 女性は男性の胸ぐらを両腕で強くつかみ、今度は店の裏のバックオフィスのほうへ連れて行こうとする。熱いお茶などを並べてある棚の横のドアのほうへ向かう。その姿は、明らかにケンカ慣れしていた。このようなことは、「素人の女性」にはまずできないだろう。 体格のいい筆者も思わず後ずさり 逃走を図る女性の危ないタックル 「殺すぞ! この野郎! 裏で土下座させてやる!」 この言葉を聞いた瞬間、筆者はその場で携帯電話を使い、110番通報をした。手が怒りのあまり、震えるのを感じた。 電話に出た警官は、落ち着いた口調で対応した。筆者は、「30代後半と思える女性が興奮し、店内で店員を相手に暴れている」と伝えた。警官は、「酔っ払い?」と尋ねた。それ以降のやりとりは覚えていない。 電話を切った後、とっさに店の入口のドアを閉めようとした。警官の指示ではない。「何かしないといけない」と思った。 もう1人の店員がこちらを向く。「援軍が現れた」という、わずかに安心した表情を見せる。 筆者は「今、警察を呼んだ!」と言った。今度は店員が、女性にとびかかろうとする。ライオンがシマウマなどを襲うかのように、数メートル離れたところからジャンプするような姿だった。 女性は、男性の店員の首のあたりを絞めていた手をゆるめ、急いで筆者のほうへ向かってくる。筆者がドアの前にたちはだかろうとすると、女性は5メートルほど前から、ラグビーのタックルのようにぶつかってきた。 ゴーンと大きな音がした。何が起きたのかわからない。身長180センチで体重90キロ近い筆者が1歩、2歩後ずさりをするほどに、強力なタックルだった。 女性がドアの前で倒れる。多少、意識が朦朧としているように見えた。数秒後に立ち上がり、足を引きずり、ドアを開けて必死に走っていく。 筆者は、後を追おうと思った。しかし、背骨が折れるように痛み始めた。パトカーの音が聞こえた。想像以上に警察の到着は早い。パトカーに状況を伝えるほうが優先と思い、それ以上女性を追うことはしなかった。 2人の男性店員は足が震えたり、しゃがみこんだりしていた。他の2人の客は、何も気づかなかったように雑誌を読んでいた。 その後、2人の警官が現れた。店員や筆者が経緯や状況などを伝えると、もう1人の警官は外に出て無線で連絡をしていた。警官はいつの間にか、4人ほどになっていた。その女性が何者だったのか、そしてその後彼女が捕まったのかは、わからない。 「早急にしかるべき対応をします」 電話口で感じた本部の危機意識の薄さ 翌日、筆者はこのコンビニエンスストアの本部へ電話を入れた。女性におののく男性の店員の姿を見ていて、会社に言いたかったことがあったからだ。 会社として、防犯マニュアルの整備や、犯罪に巻き込まれた際の対応に関する教育が、あまりできていないように思えた。少なくとも、2人の店員は騒動のさ中で、何をどうしていいのかわかっていなかった。 電話に出た女性社員は、暴力事件のことを知らなかったようだった。店での経緯などを伝えると、「ええ、ええ」と大きな声で相槌を打ち、盛んにメモをしているようだった。 筆者はこう強調した。 「お客さんであったとしても、店員に暴力をふるい、店の奥に連れ込み、土下座をさせようとするなんて、もはや客とは呼べない。まさしく犯罪である。御社は、店員がひるむことなく警察に通報するようにさせるべき。そのような教育や指導を、全加盟店に周知徹底させることをなぜしないのか。あれでは、男性店員たちが気の毒で仕方がない」 女性社員は、「早急にしかるべきところで検討します」と答えた。そして、お礼を繰り返した。声は、やや興奮しているようだった。 数ヵ月経った今、例のコンビニエンスストアで、2人のうち1人の男性は時折見かけることがある。近くで見ると、30代後半にも見える。マネジャーや店長ではなく、アルバイトであることは間違いない。 この暴力事件をきっかけに、彼とは多少挨拶を交わすようになった。店が面する商店街の通りですれ違い、数分であるが話した。その日はアルバイトとして勤務していたのではなく、「何もすることがない、休日」なのだという。 その後、防犯マニュアルは店のオーナーなどを通じて、全店に周知されるようになったという。しかし、あの暴力事件のことには、彼も筆者もお互いに深くは触れなかった。 しょせんアルバイトには何も言えない 足を引きずる被害者店員の諦めムード 気になったのは、あのとき足を蹴られ、しばらく引きずるようになったにもかかわらず、彼が店のオーナーから何の補償もあてがわれていないことだった。本人いわく「アルバイトだから、言える立場ではない」とのこと。(C) 身の上話を聞くと、彼は10年ほど前に大学を卒業した後、いくつかの会社の採用試験を受けたという。だが、内定を得ることができずに、アルバイト生活をしているようだった。コンビニエンスストアとクリーニング店で一週間に数日働き、収入を得ていた。 「あんなコンビニに永久就職ですよ」 格差構造の中で危険と隣り合わせの職場 彼は「あんなコンビニに永久就職ですよ」と自嘲気味に言い、へらへらと笑っていた。それで別れた。商店街の少し勾配のある坂道を歩く後ろ姿は、60代の疲れた会社員に見えた。エネルギッシュな雰囲気は一切感じなかった。 あのコンビニエンスストアが、彼にとって「悶える職場」であるのかはわからない。はっきりと言えるのは、時にはお客から暴力を受けることまである劣悪な職場でありながらも、店側から何の補償もないことである。 アルバイトで生きていくことは、自ら選んだ道と言えばそれまでだが、今の生活が一定の安定した収入を得ることに結びつくとは思えない。それでも、当面はここで働かざるを得ない。 さらに言えば、筆者にはこの男性が会社に入り、安定した収入を本当に得たいと思っているのかどうかもわからなかった。10年にも及ぶアルバイト生活が続くと、人はその制約の中で生きていこうとするものなのだろうか。(D)話をした限りでは、あえて現在の生活から抜け出そうとしているようには見えない。 世に言うアベノミクスの追い風により、大企業や一部の中堅企業では、今春賃上げが行われる予定だと聞く。一方で、そんな動きとはおよそ無縁の職場がある。そこでは、お客に胸ぐらをつかまれ、暴力を受けながらも、怒りを雇用主に伝えることさえできない人たちが、低賃金・重労働に耐えながら、黙々と働いている。 これを「悶える職場」と言わず、何と呼べばよいのだろう。 踏みにじられた人々の 崩壊と再生 今回紹介したエピソードを、コンビニで起きたささいな暴力事件と捉えるべきではないと思う。もちろん、暴力は許されるべきものではないが、むしろ筆者が強く感じたのは、店舗や本部側の雇用意識に関する課題だった。アルバイト店員がここまでされながら無抵抗を貫かざるを得ない背景には、何らかの組織的な理由があるのではないかと思えたのだ。 この職場に潜む課題は何か。なぜ、2人はうろたえていただけなのか。暴力を否定できなかったのか。このような問題意識を持ち、本文中に下線と数字を施した部分を題材にしながら、筆者なりに分析を行なった。 ➀男性の店員が「すいません、すいません」「痛! 痛!」と声を出す。 暴力行為に対してこういう言葉しか出てこない背景には、その店の防犯体制が不備であることはもちろん、防犯に関してのあるべき体制がアルバイトなどに周知徹底されていないという課題がある。さらに、店長・オーナーと本部との関係、そして店長・オーナーとアルバイトたちとの関係が、「防犯」という共通目標の下で強固になっていない可能性がある。 このような曖昧な管理の下で、立場の弱いアルバイトはお客に正面から対抗することもできず、ただ右往左往するしかない。非正規社員をコスト削減の一環として雇うという意識を改め、こうした防犯上の課題まで含めて、店舗や本部側はきちんとした対応を考えておくべきだろう。働き手の安全や命にまで、「格差」があっていいわけがない。 A小さな声で「ああ〜〜」「ああ〜〜」と言い、泣きそうな顔でうろたえていた。 これはアルバイト店員としての、ある意味での責任感や使命感の現れとも言えるのではないだろうか。この店員に何の責任感もないならば、雑誌を読みふけっていた他のお客と一緒に、傍観者的な立場を取ったはずだ。 ところが、この店員は何かをしようとしていた。それが何であるのか、当時筆者にはわからなかった。こうした有事に備えて、臨機応変に行動するための一助が「防犯マニュアル」になる。 マニュアルに従ったところで必ずしも身を守れるとは思えないが、少なくとも最低限度の「防犯のたたき台」は全従業員で共有しておくべきではないだろうか。今回のアルバイトに限らず、日本企業の職場はそれぞれの社員の権限と責任、役割分担が曖昧になっている傾向がある。これが、「正直者がバカをみる構造」をつくっていく大きな理由となる。 B他の2人は、雑誌を読んでいた。 たとえお客であれ、当時店内にいた人たちは女性の暴力に対して、何らかの行動を取ることはできたのかもしれない。しかし、彼らは一切関わろうとはしなかった。これもまた、考えるべきことに思える。一般的に言っても、働き手が苦しむ「悶える職場」は、お客や取引先が無関心を装うことによって、悪い状況に拍車をかけることがある。もちろん、意図したものではないにせよ、検証はされるべきではないだろうか。 コンビニエンスストアに限らないが、接客がメインとなる企業の職場では、自社の社員を守るため、万が一のときにはせめて警察に通報してもらうことなどを、日頃からお客や取引先などに対してアナウンスしていくべきだと思う。 特にコンビニエンスストアなどのような、市民の生活空間からある意味「閉鎖」された場所では、問題が生じやすい。ぬかりなく対策を練りたい。 非正規社員を取り巻く職場環境は 単に低賃金だけでは論じられない C本人いわく「アルバイトだから、言える立場ではない」とのこと。 正社員であれアルバイトであれ、職場で働く以上、雇用主の安全配慮義務の下、安全な環境で働く権利がある。ましてや暴力事件に巻き込まれ、怪我を負ったならば、何らかの対応を雇用主に求めることができる。 ところが、彼らにはそれが言えない。本人たちにも問題はあるのかもしれないが、言えないような雰囲気や空気をつくっている店舗のオーナー、さらには本部の経営陣や人事部にも責められるべき点がある。今の非正規社員を取り巻く問題は、単に賃金が正社員に比べて相当に低いといった問題だけではない。 それ以前の段階で、一人前の労働者としての扱いを受けていない側面もある。それこそが、アルバイトやパートなどを悶えさせる一因となっている。 本来このあたりは、あえて法改正などを待たずとも、雇う側の考え方1つでどうにでもなる問題である。しかし、遅々として取り組みが進んでいない現状には、問題の根深さを感じずにはいられない。 「労働格差」を助長させる雇用環境を 経営者は決して黙認し続けてはならない D10年にも及ぶアルバイト生活が続くと、人はその制約の中で生きていこうとするものなのだろうか。 筆者が非正規社員を取材すると、「正社員になりたい」と願う人は、実は全体の半数以下である場合が多いように感じる。そうした非正規社員の意識を口実にして、雇用者側が低賃金・重労働で危険が多い劣悪な環境で彼らを雇い続けるようなことは、あってはならないと思う。特に犯罪に無防備というのは、企業として大いに問題がある。 そもそも今回紹介したような非正規社員は、人生設計のめどやその前提が崩れてしまっているケースが少なくない。こういう生活を長く続ければ、多くの人は向上心がなくなり、目の前の現状を追認していくことでしか、精神のバランスを保つことができなくなるのではないだろうか。 向上心を持てるかどうかは第一に社員自身の問題ではあるが、「労働格差」「生活格差」を助長させかねない雇用の在り方を、雇用者側が黙認し続けることも、あってはならない。そのことから、皆が目をそむけてはならないのである。それが、必ず悪い形で跳ね返って来るのだから。 著者からのお知らせ 連載『悶える職場』をはじめ、筆者が他媒体で執筆した記事をまとめた書籍『悶える職場〜あなたの職場に潜む「狂気」を抉る』(光文社)が、2月18日に全国の書店で発売されました(定価は税込1300円)。 職場で苦しむ会社員たちにインタビューを試み、300ページほどにまとめたノンフィクション作品です。ぜひご覧ください。 |