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「奇跡の酒蔵」 倒産寸前から「獺祭」を生んだ社長の信念〈AERA〉
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140328-00000001-sasahi-soci
AERA 2014年3月31日号より抜粋
いま、“奇跡の酒蔵”と呼ばれる酒造会社が山口県岩国市の山間にある。若者の酒離れなどの影響で、日本酒の消費量がピーク時の3分の1ほどに激減する中、売り上げは5年連続前年比130%超を達成し、2010年の13億円から13年は39億円に急伸した。日本酒「獺祭(だっさい)」で知られる旭酒造だ。奇跡の裏には、社長の桜井博志(63)の信念があった。
1984年、急逝した父親の後を継いで社長に就任した時、会社は倒産寸前だった。当時の主力商品は、普通酒の「旭富士」。売り上げを回復させるために、低価格のパック入りやカップ入りの新商品を作り、値引き競争をした。が、一時的には業績が回復しても持続しなかった。
考えた末、桜井が出した結論は「普通酒」を捨てる、だった。長年の看板商品だった旭富士に代え、当時はとても採算が取れないと思われていた高品質な純米大吟醸にシフトすることを決めた。それが「獺祭」だ。
純米大吟醸は原料に醸造アルコールを使わず、酒米を50%以下に削るため、製造コストは普通酒のざっと5倍。にもかかわらず販売価格は倍程度にしかならない。高コストで手間のかかる商品だけを作るのは無謀な決断と見られた。当時酒造りを担当していた杜氏たちからは文句が出た。
「純米大吟醸造りなんて大変なだけ。なんでそこまでやるの」
だが、桜井は品質を追うことにこだわった。当時の売れ行きを見ると、普通酒は頭打ちだったが、高品質な商品は人気が安定していた。採算が取れるほど量産できないのが壁なら、それを打ち破ればいい。
壁になったのが杜氏制度だ。酒造会社は伝統的に、出稼ぎ労働である杜氏が冬場に酒を仕込み、社員は商品の販売や流通だけを担当する。これが量産を妨げていた。
桜井は社員たちによる年間を通じた「四季醸造」に切り替えることを決意する。作業場の温度を通年管理し、仕込んだ酒の温度や甘さ、アミノ酸度の変化、麹の酵素力などデータ化できるものはすべて見える化し、杜氏の勘や経験に頼らない製造体制を作り上げた。
「杜氏の高齢化が進み、いずれ集まらなくなるのは必至。それなら、先に手を打って、社員で酒造りをしようと。先輩杜氏の背中を見て技を盗むというような、時代に合わないやり方ではなく、社員が研究してデータを蓄積し、安定的に良質な酒を造れる体制にするほうが、顧客の求めることに合致するという確信がありました」(桜井)
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