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一粒1000円のイチゴをつくる「データ農業」
http://diamond.jp/articles/-/49347
壊滅した故郷のイチゴ産地を、新しい形で甦(よみが)えらせた復興起業家
東日本大震災で95%が壊滅した故郷のイチゴ産地を、全く新しい形で甦えらせた復興起業家がいる。当時東京でIT企業を経営していたGRAの岩佐大輝社長である。
岩佐さんは、生まれ故郷である宮城県山元町が被災してから、度々、東京の仲間と20名程度のボランティアツアーを組んで現地を訪問していた。しかし、しだいに「一生懸命に泥かきするのもいいけど、もっと自分たちの価値を発揮できることはないだろうか」と悩むようになる。ちょうど、ボランティア仲間には、東京でITや会社経営をやっている人たちが多かったので、地元の雇用創造に貢献できるようなことがしたいと町の人たちに提案してみたところ、歓声が湧き上がった。地元が本当に求めていたのは産業であり雇用だったのである。
以後、岩佐さんは、ボランティア活動から産業創造へと自身のギアを切り替えた。町の人たちと徹底的にブレストし、町の基幹産業であったイチゴ産地を復活させる夢に賭けた。
震災前、山元町ではイチゴの出荷額が14億円あった。これは町の予算規模が40億円程度であったことを考えると、非常に大きな存在感だ。
「イチゴ産地の復興なくしては、山元町の存在は危うい。復興の旗印になるような成功事例を急いで作らないと、この町に目が行かなくなる。人がいなくなって、文化も無くなってしまう」と恐怖を感じていた岩佐さんは、産地復興に向け、自らが持つノウハウや人脈を駆使して、町の農家のマーケティング支援に乗り出した。しかし、既存の流通機構の縛りもあって、岩佐さんが思い描くように、山元町ブランドで全国に農産物を出荷することはできなかった。
普通ならここで、既存の流通機構に不満を言ってみたり、改革が必要だと声高に叫んだりするだろう。しかし岩佐さんは違った。既存のプレイヤーの枠外で、自分たちで新しいビジネスモデルを立ち上げたほうが早いと考えたのである。
そして2011年11月、無謀にもたった3名(農家の友人と役所の友人)で、井戸を掘り、ビニールハウスを作り始めた。井戸水は塩分を含んでおり、イチゴは上手く育たないと思われていた。しかし、イチゴは奇跡的に育ち、翌年、収穫の春を迎える。岩佐さんはこの時、「食べものを作る難しさを味わい、食べたときの喜びに感動した」という。
イチゴづくり35年以上の匠の暗黙知を組み込んだデータ農業
2012年に入り、岩佐さんは、最先端のイチゴづくりを本格化させる。農林水産省の研究事業の受託法人となるべく活動を開始し、ついに、産地復興の象徴ともいうべき巨大なハウス群を5億円投じて建設した。
そこで栽培されるイチゴやトマトは、温度、湿度、日照、水、風、二酸化炭素、養分などが全てITで制御されている。制御データには、この道35年のベテランいちご農家、橋元忠嗣さんの匠の暗黙知を組み込んだ。データ野球ならぬ「データ農業」が始動した。
岩佐さんの凄いところは、産地を震災前の元に戻す復興ではなく、世界最高級の産地へと突き抜ける戦略をとったことだ。岩佐さんはこれを「創造的復興」と呼んでいる。
山元町のイチゴ農家の担い手は65歳以上の高齢者がほとんどだったので、彼らが培ってきた技やノウハウをなんとかして次の時代に受け継いでいかなくてはならないが、人から人への暗黙知の伝達だけでは限界があるし、時間も足りない。
同時に、従来のままの農業経営を引き継ぐだけでは高い付加価値を生み出せず、固定費への投資ができない。岩佐さんは単位面積あたりの収穫量を1.5倍にする数々の生産革新と、ここで採れるイチゴの単価を平均1.5倍にまで引き上げるプレミアムブランド戦略によって、従来比2.25倍の価値創出を実現した。
最高級ブランドの誕生を支えたプロボノチーム
ここで作られたイチゴは、「ミガキイチゴ」というブランドで売られ、新宿伊勢丹では、なんと一粒1000円の値がついた。最高級プレミアムブランドの誕生である。実はこのブランド戦略の成功の陰には、従来とはちょっと変わった仕組みがあった。
GRAは農業生産法人とは別に、人づくりのためのNPOを組織化している。そのメンバーには東京の大企業に勤める人たちが多く、日頃はデザイン、PR、財務など様々な部門に属して働いている。岩佐さんは、彼らが持つプロフェッショナルな専門能力を、それぞれ5%の時間だけボランティアとして提供してもらう「プロボノ」という枠組みを用いた。このメンバーは登録ベースで1000名を超え、アクティブに活動している実働ベースでも常時100名くらいは存在するという。
彼らは東京の大企業に所属しつつも、何か自分も復興に関わりたいという潜在的なモチベーションを持っていた。復興NPOに自分の専門性を生かして関わることは、彼らにとっての想いの実現になる他、将来的なキャリアアップのための実績にもなる。また、そこには人と人との新しい出会いの楽しさもある。
岩佐さんは、この眠っていた大企業内個人の潜在的な力を巧みに引き出したのである。特に、ブランドやマーケティングの分野で、こうしたプロの力を無償動員できたことはプロジェクトの成功にとって大きかったと語る。
岩佐さんは、このプロボノ組織についてとても面白いことを言っていた。
「一人の100%よりも、20人の5%のほうがいい。一人でマルチになんでもできる人はいないし、辞めてしまったら全て消えてなくなってしまう。プロボノの5%をつなぐことには実はモノ凄い価値がある」
なるほど、たとえ5%の時間でも、職能の異なる様々なプロフェッショナルが本気で協力・協働することのイノベーションのパワーを私たちはまだ十分に知らない。GRAの成功要因の一つは、このプロボノ・パワーを引き出した求心力と編集力にあるのかもしれない。
日本の匠のノウハウをITを使ってインドで再現
さらに驚くのは、同様の先端園芸施設を、インド(マハラシュトラ州)でも展開したことである。日本のイチゴ農家の匠のノウハウを、ITを用いてパッケージ化し、インドでもそのまま再現することによって、インドに美味しい果物の市場を新たに作り出す事業である。
「塩水しか出ない山元町でもやれたんだ。インドでもやれるはずだ」。被災した山元町や、暑くて過酷な環境のインドでさえも、もし高品質な農産物の生産に成功することができたなら、「あらゆる地域で食べ物が栽培できるようになるんじゃないか」と岩佐さんはとてつもないことを言う。
しかしインドの事情は一筋縄ではいかない。電力はしょっちゅう落ちる、水質は毎日変わる、道路は荒くて軟弱野菜を運ぶのには適さない、そもそもインドには美味しいフルーツに対するマーケット(認知)がまだ育っていない。苦労は絶えなかった。
そこで岩佐さんはまず外資ホテルにターゲットを絞り、納品に成功、実績を作っていった。そして今、その成功をトリガーとして、急成長するインドの中間層に美味しいイチゴの味を直接伝えることにも挑戦中である。
「震災後に立ち上がった会社が、インドに出て行って実績を作ったと証明することは、非常に大事だと思っている。我々の農業は世界で通用するという勇気をみんなが持って前に進んでいけたらいい」
若い人たちがワクワクするような農業をつくる
山元町の人口が1万人程度であるのに対し、GRAの園芸施設を訪れる視察者は昨年4千人に達した。さらに今年、岩佐さんは隣接地に、施設園芸の本家オランダを凌ぐ世界一の「超」先端農業施設を建設する予定である。
この「超」先端農場は展示スペースを装え、国内外からアグリ・ツーリズムも迎え入れる。そうなれば視察者は1万人を超え、山元町には市の定住人口を凌ぐ交流人口が生まれる。町のコンテンツとは関係ない観光施設を誘致したりするのではなく、町のアイデンティティであるイチゴを核にして交流人口を増やし、町を活性化していくべきというのが、岩佐さんの持論だ。
この4月からは新規就農支援ビジネスも展開する。これまで培ってきたノウハウを提供し、フランチャイズのように拡大していく。「従来のように農家に10年も付いて仕事を覚えるんじゃなく、1年くらいでクイックにノウハウを吸収してもらう」という新しい指導方式を導入する。これによって、GRAは自らの初期投資を回収するとともに、地元雇用の拡大を進めていく考えである。もちろん生産のみならず、6次産業化によって直接、間接に雇用を増やしていきたいと言う。
「若い人たちの間でソーシャル・アントレプレナー(社会起業家)が増えているのはすごく嬉しいことですが、産業創造を軸に動いている人が圧倒的に少ないのが残念です。コミュニティーデザインだけでは町は持続可能な豊かさを手に入れることはできません。経済を回すこととコミュニティーを作ることを同時に進めていくことが大事です」
復興ボランティアで自己満足せず、厳しい経営の眼も持ちながら活動する岩佐さんが、自らの事業を通じて、最終的に示そうとしていることは何か。岩佐さんは究極の狙いを次のように語った。
「若い農業従事者がワクワクするようなビジネスをこれから見せていきたい」
GRAの目標は、10年以内に100社の企業化又は農業を継ぐ人が現れること、そして1万人の雇用をつくることである。それは大きな夢だが、震災から三年、GRAの展開がまさに電光石火のスピードだったことを振り返れば、これからにも大いに期待し、エールを送りたい。
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