http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/715.html
Tweet |
有識者会議の壮大な勘違い!「公的年金の株式投資拡大」がダメなこれだけの理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38425
2014年02月19日(水) 山崎 元 現代ビジネス
■「巨大なカモ」に注目する投資家たち
国の厚生年金と国民年金の運用主体であるGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用方針が、有識者会議にあって検討の俎上に上っており、衆目の見るところ、株式などのリスク資産運用を増やす方向に動きそうだ。
GPIFは目下120兆円を超す資産を運用する世界でも最大級の機関投資家だ。株式市場の側からGPIFの運用方針変更を眺めると、国内株への投資比率(現在の基本ポートフォリオでは12%)を1%引き上げると、直接的に1.2兆円、5%の引き上げなら6兆円の「買い余力」が生まれる。「異次元緩和」を誇る日銀のETF買い入れが1兆円、2兆円といった単位であり、それなりに大きな買い手の登場だ。
また、GPIFが基本方針として株式の組み入れを増やすと、企業の厚生年金基金や地方公務員共済、国家公務員共済など公務員の共済年金も追随することが予想され、年金運用による「買い余力」はGPIFの直接の買いの1.5倍から2倍くらい発生する公算が大きい。他の共済制度や厚生年金基金でも、GPIFがリスク資産への投資を積み増した場合、実質上GPIFの運用パフォーマンスが運用目標となるからだ。
昨年の上昇相場で猛威を奮った外国人による日本株買い越し額は15兆円だった。今回、どのくらいのスケールでGPIFの運用方針の見直しが行われるか、投資家は大いに注目している。また、通常、リスクの大きな資産ほど運用の手数料が高いため、運用業界も新たなビジネスの発生を願いつつ、「巨大なカモ」の肉付きがさらに成長してくれることを願って、状況を眺めている。
さて、公的年金でのリスク資産運用増額には賛否両論がある。
賛成論の論拠は、リスクのある資産はリターンが大きい傾向があるので、公的年金の積立金の運用リターンを高める可能性が大きく、リターンの改善が年金財政を助けるというものだ。有識者会議の座長を務める東京大学の伊藤隆敏教授は、こうした趣旨の発言をされている。
加えて、現在、国債が低利回りで、しかもアベノミクスが順調に推移すると将来利回りが上昇し、損をすることが予想されるので、国内債券の比率を下げて、内外の株式や外国債券の比率を増やしたいという思惑もあるようだ。
また、株式を買い上げることや外貨建て資産への投資を増やすことが、株高・円安を通じて経済を活性化させようとする、現在のアベノミクスの趣旨にかなうといった議論、年金積立金によるリスク・マネーの供給が日本経済の活性化に資するといった議論もある。
これらは、ごく常識的な議論に聞こえるかもしれない。しかし、筆者は、公的年金によるリスク資産運用の拡大、特に国内株式への投資拡大に反対である。
■公的部門が国内民間企業の株を持つことの矛盾
反対の主な理由は、「運用の一般論としてリスク資産を増やすことの適否」ではなく、「政府の一部である公的年金がリスク資産に投資することの適否」にある。
ある資産があって、これを運用する時に、株式のようなリスクはあるが期待リターンが高いと考えられる資産を、許容できるリスクの範囲内で、リスクと期待リターンのバランスを見ながら組み入れて、低リスクな運用よりも高いリターンの獲得を目指すという考え方は、運用の一般論として正しい。
これは、個人のお金の運用であっても、国や企業の資金運用であっても同様に通用する議論だ。「公的年金の運用にリスクをどの程度持ち込んでいいのか」については議論の余地があるが、リスクを取って期待リターンを高めることが出来る点については、それなりの蓋然性がある。この点を批判しようとするのはピント外れだ。
では、公的年金で株式などのリスク資産で運用を行うことの何がまずいのか。
先ず、特に国内株式に関して、公的年金が株主になることの不都合がある。公的年金は政府の一部門であり、政府が投資先の企業が利益を上げることを願う立場と、企業を正しく規制する立場の両方を兼ねることの利益相反の問題がある。
公的年金は今のところ厚労省の管轄で、GPIFには今後も厚労省から人が来る可能性があるが、例えば、国内株式のポートフォリオには、厚労省が監督と数多くの許認可の権限を持っている製薬会社の株式も含まれる。厚労省の薬の許認可に関する情報は実質的に第一級のインサイダー情報だし、厚労省の指導を受けて株価が下落する企業の株式を公的年金が大量保有している場合、指導が適切に行われるかに疑問が生じる可能性がある。彼らが大株主として運用に関わるのは不都合だ。
加えて、コーポレート・ガバナンス(企業統治)の空洞化の問題がある。現在、公的年金は、株式の運用を民間の運用会社に任せるのと共に、投資した株式の議決権行使も任せている。議決権行使については、原則を示して、個々の事例については指図をせず、しかし、議決権行使が適切に行われたかどうかはモニタリングする、という仕組みをとっている。
これは、政府部門が民間会社の経営に口を出さないという建前を反映したものであるが、個々のケースでの議決権行使までしっかり見て、口を出せないのだとすれば、年金加入者の資産運用を受託した者として受託者責任が不十分である。責任を十分果たすなら民間企業への介入となり、これを避けようとすると責任が不十分になる。
この点はどう言い繕っても矛盾に陥る問題で、現実的には、公的年金が保有する株式の議決権に関して、責任の空洞化が起こっている。この問題は、そもそも公的部門が国内の民間企業の株式を持つという、制度上の建て付けが良くないことに由来する。
■年金財政に投資のリスクを持ち込む必要はない
ところで、仮に国内株のリターンが高いとして、国内株を公的年金が保有していなかったら、何が起こるのか。民間の投資家が株式を持つことになるので、民間の誰かが豊かになるだけのことだ。外国人が買うことを問題視する人がいるかもしれないが、国内の民間投資家にも株を買うチャンスは十分あるのだから、何ら問題ではない。
株式投資家と年金加入者は丁度重なり合う訳ではないので、株式で豊かになった人から年金保険料を余計に取ればいいという議論は厳密には成立しないが、年金加入者の側では、自分が保有する公的年金の条件と合わせて、自分で適当だと思う額だけ株式に投資すればいいのであり、公的年金の積立金で株式投資をやってもらう必要はない。
次の問題は、国内株式が高いリターンを生むか否か。そのためには経済政策が適切であることが望まれるが、一定の政策の下で、果たして、政府部門の一部である公的年金が企業の株主なのと、民間投資家が株主なのとで、どちらが企業経営上にプラスだろうか。
先に指摘したコーポレート・ガバナンス上の問題もあり、公的年金が株主の方が企業はより成長するとはとても言えないと筆者は考える。個人、機関投資家の別を問わず、民間の株主が収益に対して無欲だとは思えない。国全体として、誰が企業の株式を持つのが適当かというデザインを考えた場合に、公的部門である公的年金ではなく、民間投資家が株式を持つ形の方が明らかにいい。
過去も含めて公的年金の運用方針を検討してきた有識者達の議論には、「公的年金が日本企業のコーポレート・ガバナンスに介入することが、日本企業のパフォーマンス改善に資する」と考える壮大な勘違いが存在するように思える(経済的な思考センスが欠如しているかのような勘違いだ)。
また、国内株式以外のリスク資産についても、それがリスクに見合う十分な収益性を持つとした場合、公的年金ではなく、民間投資家が買って持てばいい。
そもそも、政府と年金加入者のお金のやり取りに、投資のリスクの不確実性を持ち込む必要はない。不確実性を排除した現実的な前提条件の下に、給付の縮小と保険料の増額を早急に実行することが、本来必要な年金財政対策だ。
付け加えるなら、現在の賦課方式の公的年金制度運営に120兆円もの積立金は過大だ。積立金をどう運用したらいいかを考える以前に、積立金を適正規模に縮小することを考えるべきだ。有識者が本来考えなければならないのは、こうしたデザインだろう。
現状の積立金を前提として、運用方法だけを考えろ、という狭い問題設定の中で物事を考えるのは不適切だ。官僚の誘導が巧みなのか、学者の気が利かないのか、どちらかよく分からないが、つまらない話である。
しかし、現在、積立金を縮小しようとすると、「株式や外貨建て資産の売りが発生して、アベノミクスに逆行する」という意見が出そうだ。この懸念は、短期的な需給を考えると「もっともな話」なのだが、それはそのまま、今リスク資産を積み増すと、将来これを取り崩すのが大変になる、ということを意味している。つまり弊害のある不細工な状態が長期化するのだ。
■90年代の「公的資金の買い」を繰り返すな
一方、これから公的年金が株式や外貨建て資産を買い増しすると、一時的に株価が上昇したり、為替レートが円安に向かったりする可能性はあるが、需給によって一時的に動いた資産価格は、資金のフローが止まると元に戻ってしまう。
これは、宮沢内閣時代に始まり、1990年代を通じて「公的資金の買い」として市場で注目された公的年金による株式の買い増し過程で何度も見られた現象だ。公的年金が高値を買う過程は、繰り返し市場の参加者に利用され、公的資金は「カモ」にされた。これを繰り返すのは、市場の参加者には喜ばれるかも知れないが、運用としては頭が悪い。
そもそも、巨大化した公的年金積立金のような資金では、運用方針や運用過程に関して十分な説明責任を果たすことと、資金運用が情報上不利にならないこととが両立しない。90年代に「公的資金の買い」がカモにされた過程は、このことを如実に物語っている。今回、GPIFの運用方針検討も、このような文脈で市場から注目されている。
尚、GPIFの運用方針を検討している有識者や会議の事務局は、ヘッジファンドをはじめとする市場のプレーヤーが、是非接触して情報を取りたいと思うような存在だ。情報管理が十分なされているか、大いに心配だ。
小泉純一郎氏が首相で「構造改革」がキャッチフレーズとして輝いていた時代に、「民間で出来ることは、民間で」という言葉があった。資産の運用は、民間で出来ることであり、同時に、民間でやった方が上手くできることなのだ。
それでも、公的年金の積立金でリスク資産の買い増しをしたい、という意見が後を絶たないのは、公的年金の積立金を短期的な相場操縦に利用したいと考えている向きがあるのか、或いは、かつて「日本版国家ファンド構想」に群がった金融業者と政治家達のように、リスク資産運用を「利権」と捉えて、「取り敢えず10兆円くらい使えるようにしたい」と考えている連中が暗躍しているかのどちらかだろう。
結論として、公的年金の積立金に、リスク資産を積み増す構想は、日本の資本市場、ひいては経済全体のデザインとして、不細工であると同時に弊害が大きい。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。