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ハウステンボス、なぜわずか3年で再建?澤田社長の筋書き通りに進んだ“宝の山”再生(Business Journal)
http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/639.html
投稿者 赤かぶ 日時 2014 年 2 月 15 日 07:07:00: igsppGRN/E9PQ
 

ハウステンボス、なぜわずか3年で再建?澤田社長の筋書き通りに進んだ“宝の山”再生
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140215-00010000-bjournal-bus_all
Business Journal 2月15日(土)6時33分配信


 ハウステンボスの澤田秀雄社長は、昨年12月16日に行った2013年9月期単独決算発表の席上で「テンボスの再建は終了した」と宣言。10年度より佐世保市から10年間の約束で毎年受け取っている「再生支援交付金」(固定資産税相当額)の交付を14年3月期で終え、残期間の交付は返上すると明言した。

 1992年の開業以来、18年間にわたり営業赤字を垂れ流していたハウステンボスは10年、再建のため大手旅行代理店のエイチ・アイ・エス傘下に入り、澤田秀雄氏が社長に就任。澤田氏はたった1年で営業黒字に転換させ、以降13年9月期まで4期連続で増収増益を確保。14年9月期も5期連続の増収増益を見込むなど、今や東京ディズニーリゾートと並ぶ人気リゾート施設に再生させた澤田社長の経営手腕は「澤田マジック」と呼ばれている。

 今回、改めてその再建の深層を取材したところ、決して「マジック」ではなく、潜在的に優良だった事業資産を継承した僥倖と、それを巧みに生かした澤田社長の手腕が見えてきた。再建引き受け決定前に行った入念なデューデリジェンス(買収先の価値評価)に基づく用意周到な再建シナリオ、したたかな交渉力、論理的な集客策などだ。

●迷走した再建

 ハウステンボスが経営破綻により会社更生法適用を申請したのは03年2月のこと。負債総額は約2289億円。九州では「シーガイア」を運営していた宮崎県のフェニックスリゾート(負債総額約3261億円)に次ぐ2番目の大型倒産だった。その後、米投資会社のリップルウッド・ホールディングス、東京ディズニーリゾート運営のオリエンタルランドなど約20社が支援に名乗りを上げたが、最終的に野村ホールディングスのベンチャーキャピタル、野村プリンシパル・ファイナンス(以下、野村PF)が支援企業に決定、翌04年3月から同社の下でハウステンボス再建が始まった。

 しかし、リゾート施設経営の基本といわれるリピータ確保策が当時の経営陣の念頭になかったのか、再建策として新規海外客誘致強化を打ち出し、外国人向けの各種娯楽設備やレストランを新設。以降、07年度までの3年間、入場者数、宿泊者数、売上高のいずれも徐々に伸ばし、単年度営業黒字まであと一歩に迫り、再建は一見順調に進んでいるかに見えた。ちなみに、05年度の入場者数は195万人、売上高は157億円、営業赤字は35億円だったのが、07年度の入場者数は219万人、売上高は184億円、営業赤字は18億円に改善していた(いよぎん地域経済研究センター調査による)。
 
 ところが、この売上高は「200億円前後」と見られていた当時の損益分岐点に届かず、実際は累積赤字が膨らみ続けていた。この「粉飾的再建」を露呈させたのがリーマンショックだった。この影響により国内客と共に韓国人を中心に入場者数の約20%を占めていた海外誘致客が激減。08年度の入場者数は187万人、売上高は154億円へ一気に落ち込んだ。

 同社はこの落ち込みをカバーするため、園内ホテルの休館、外国人向け娯楽設備の休止、レストラン・売店の統廃合、人員削減などのリストラに走ったが、経営悪化を加速させただけだった。

 この間、支援企業の野村PFも支援契約の出資金110億円に加え、05年度以降の追加出資金140億円を合わせ、計250億円(09年3月時点)の出血を強いられていた。同社にとってハウステンボスは、当て外れのとんでもない金食い虫となった。

●廃業目前

 これに音を上げた野村PFは、ハウステンボス撤退の準備を始めた。09年8月10日、同社は福岡市内で「福岡七社会」(九州電力、福岡銀行、JR九州など福岡の有力企業7社の非公式任意団体、以下七社会)と非公開の会合を開き、ハウステンボスへの経営支援を要請。同時にホテル運営会社で「ホテル再建請負人」と呼ばれる「ホテルマネージメントインターナショナル(HMI)と、ハウステンボスの経営権譲渡も視野に入れた出資交渉を進めている事実を、その場で明らかにした。

 支援要請を受けた七社会は、大方の予想通り9月7日に開いた首脳協議で「株主への説明がつかない」として支援拒否を申し合わせた。HMIも経営権譲渡条件が折り合わないとして10月初旬、佐世保市に「交渉打ち切り」を通告した。テンボス再建がまた振り出しに戻った。

 この間の野村PFの動きを、地元関係者の一人は「撤退に向けた準備だった」と、次のように説明する。

「七社会への支援要請は、お門違いのない物ねだりだった。HMIとの交渉は100億円超といわれた当時のハウステンボスの負債付きだったので、これも無理な交渉だった。要するに野村PFは速やかに撤退するため、初めから成算のない要請や交渉を行い、再建のためにこれだけ努力しましたとのポーズを見せたにすぎない」

 一方、地元自治体の佐世保市にとって、ハウステンボスは重要な観光資源。従業員数は約1000人だが、食材・物販品納入など地元企業の関連を含めると雇用力は3000人を超える。赤字経営とはいえ、地元への経済波及効果は年間350億円を超える。それが03年2月の経営破綻で痛手を受け、その傷が癒えないうちに再び破綻・消滅となれば、連鎖倒産をはじめ、地元経済への打撃は計り知れない。佐世保市自身もテンボス開業以来、計約70億円に上る公的支援金を支出していた。

 危機感を持った朝長則男佐世保市長は、七社会に支援を懇願。10月8日、同会はしぶしぶ「ハウステンボス支援検討チーム」を立ち上げた。それから5回開かれた会合では、いずれも「七社会からの出資は考えられない。採算性がないなら廃業もやむなし」の意見が大勢を占めたという。

 そうして09年11月13日、最後となる同チームの第6回会合が開かれ、この会合で理由は不明だがエイチ・アイ・エス(HIS)への支援要請を盛り込んだ最終案がまとめられ、同月30日、同チームは朝長市長にこの案を伝えた。前出関係者は「朝長市長の懇願の手前、支援を検討したが、はなから七社会は支援する気持ちはなかった。野村PFが手を引くなら、代わりの支援先を東京で探せばいいじゃないかという態度だった」と当時を振り返る。

 こうして、テンボスはHISが支援してくれなければ廃業の瀬戸際に立たされたが、今から振り返ると、これが「ハウステンボス再建への大きな一歩」となった。

●事実上無借金経営を実現した、澤田社長のしたたかさ

 当初、HISへの支援交渉は難航した。同社会長の澤田氏が支援に消極的なポーズを取り続けたからだ。澤田氏は交渉を有利に進めるため、しばしば支援断念を匂わせる発言をメディアにリークした。その度に朝長市長は上京し、地元の窮状を訴え、「支援要請」ならぬ「支援説得」を続けた。七社会が支援要請先として非公式にHISを推薦した10月中旬から12月までの2カ月半の間、「朝長市長が澤田会長と会談した回数は極秘を含めると十数回に上る」(佐世保市関係者)。

 交渉は終始澤田氏のリードで進んだ。その結果、10年1月、HISはテンボス再建支援を公式に表明。同年2月12日、HISはハウステンボスとの間で「基本合意書」を締結した。合意書には「ハウステンボスが125億円の資本金を全額減資した後に行う第三者割当資本金に対して20億円を出資し、かつハウステンボスにHISから経営陣を派遣する。ただし、3年以内に黒字化できなかった場合はハウステンボスから撤退する」と「逃げ道」も周到に盛り込まれていた。

 さらに佐世保市との間でも「固定資産税に相当する『再生支援交付金』(年間8.8億円、総額約73億円)を10年間ハウステンボスに交付する」と、免税の約束も取り付けた。

 それだけではない。澤田氏は朝長市長との交渉と並行して「HISを推薦した責任がある」とばかりに七社会とも交渉。約60億円あったテンボス債務の8割を福岡銀行などの債権者が放棄する約束を取り付けた上、九州電力、西部ガスなど7社中5社から計10億円の出資まで引き出した。
 
 これにより「新生ハウステンボス」の出資金はHISの20億円と合わせて30億円。片や負債は約12億円。澤田会長は出資金の一部を負債の一括弁済に充て、事実上無借金経営を実現した。そして、HISは10年3月26日に東京地方裁判所に認可された「更生計画」に基づき負債の一括弁済と担保権の抹消登記、総額30億円の資本金払い込みと資本金の全額減資など所定法定手続きを経て4月6日、ハウステンボスを子会社化(出資比率約67%)した。

 この時点で、澤田会長によるテンボス再建の8割方は終了済みと見てよいだろう。あとは一気呵成に経営改革を推し進めるだけだった。

 七社会関係者の一人は「支援交渉を進めているうちに、自然な流れでそれが買収交渉に変わっていた。終始、澤田さんの筋書き通りだった」と苦笑まじりに振り返ると共に、そのしたたかな交渉ぶりに舌を巻いている。

●澤田社長のシナリオ通りに進んだ経営再建

 ところで、HIS関係者の一人は「実は05年頃、再建を持て余していた野村PFから、秘かに支援の打診があった。その時は『経費がかさむ割に商圏人口が少ないので、再建は無理』と判断、断っていた。しかし、その後もハウステンボスの動向は注視していた。そのうちに澤田の再建構想が出来上がっていったものと思われる。だから七社会から打診があった時から、支援ではなく買収の腹を固めていたと思う」と推測する。

 この推測は、HISの監査チームが提出したデューデリジェンスを見た澤田氏が「側近に『テンボスは宝の山だ』と漏らしていた」(別の同社関係者)との話とも符合する。

 その宝の山とは、ハウステンボスの前身である「長崎オランダ村」を経営していた神近義邦氏が、単独のテーマパークとしては国内最大の約46万坪の敷地にシンジケートローンから調達した約2200億円を投入し、精魂を傾けて開発した沃野である。雑草も生えない荒れ地を土壌から改良し、綿密な植生調査に基づいて約40万本の樹木と約30万株の花を植え、運河を掘って自然の生態系を蘇らせ、優美な景観を醸し出した。さらに独自の下水処理システムやゴミリサイクル施設を建設。エコロジカルなリゾート施設に仕上がっていた。無為無策の経営者によって朽ちさせてしまうには、あまりにも惜しい優良事業資産だった。

 澤田氏にとってハウステンボス買収は胸の奥深くに秘めた悲願だったからこそ、シナリオを丹念に練り上げ、伏線を慎重に敷き、攻める時期が来ると果敢に攻め立て、鮮やかな手並みで買収を成功させたものと思われる。

福井晋/フリーライター


 

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