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ゴーストが横行する業界は最終的に衰退していくことになる
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2014年2月14日 Darkness - ダークネス
自分が書いていないものを、あたかも自分が書いたかのように発表するのは許されることなのだろうか。
あるいは、自分が作曲してもいないものを、あたかも自分が作曲したかのように見せかけるのは許されることなのだろうか。
自分の創作ではないものを、あたかも自分の創作だと言いくるめるのは許されるのだろうか。
小説家がゴーストに作品を書かせて自分の名前で発表していたとしたら、読者は裏切られた気持ちになる。作曲家が曲をゴーストに書かせて自分の名前で発表していたら、やはりファンは裏切られた気持ちになる。
文章や音楽の創作というのは、個人の才能に関わってくるものであり、人々はその「才能」に触れたいと思っている。あるいはその「才能」に酔いたいと思っている。
ところが、ふたを開けてみれば、その人は単に「他人に作らせていただけ」なのだから、ファンが詐欺に遭ったような気になるのは当然だ。
■発表者は金で才能を買い、創作者は金で才能を売る
他人が創作したものを、あたまも自分が創作したかのように見せかけて発表する。
これは、支援してくれているファンに対しては、大きな裏切り行為だ。しかし、実際の創作者に金を払ってそうしている限りは罪にならない。
創作者は金で才能を売る。
発表者は金で才能を買う。
現在は、才能の売り買いが当たり前にできる社会である。金さえあれば、ほぼ何でも買える時代になっている。他人の創作物も買って自分の名前で発表することもできる。
その結果、金のある人間が「才能のあるフリ」をすることができし、自分の作品だと「主張する」こともできる。そして、作品を生み出す苦しみを味わうこともない。
何かを生み出す創作の現場というのは、泥臭い作業である。オリジナルを作るというのは、常に混沌と混乱の中にあり、一直線で作品が大量生産できるわけではない。
ひとつの作品ができるまで、創作者は自分の時間を使って、試行錯誤し、悩み、修正し、追加し、削除し、そうやってやっとのことで何かを作り上げる。
その結果として「作品」が生まれるのだが、資本主義の社会ではその作品を金でさらって自分のものにすることができる。違法ではない。これは、「ビジネス」だ。
こういった「代行ビジネス」は、社会に横行していて、決してなくなることはない。創作が面倒だと思っている芸術家がいて、創作が金になると思っているビジネスマンがいれば、成立する。
つまり、ゴーストはなくなるどころか、むしろこれからどんどん拡散していくことになる。
■ゴーストが蔓延する業界は最終的にどうなるのか?
すでに、「小説を書かない小説家」「作曲しない音楽家」「マンガを書かないマンガ家」の存在は日本のみならず、先進国では珍しいものではなくなっている。
「作品は作るのではなく、買って自分のものにする」という世の中になっているのだ。ゴーストが横行して、私たちはどこまでがその人の作品なのか、もう分からない。
このような世の中になると、知名度と金のある人間が才能をどんどん買ってより知名度を高める。一方で、作品を生み出す現場はどんどん才能を吸い取られてじり貧になっていく。
その結果、どうなるのだろうか。
言うまでもなく、ゴーストが横行する業界は最終的に衰退していくことになる。一時的には儲かるように見えるのだが、最後にはその業界が丸ごと捨てられていく。
ゴーストは決して不正ではないのだが、その作品を手にするファンは、それが不正に等しいと思うからだ。業界の論理と、最終的にそれを手にする人たちの論理はまったく違う。
ゴーストが蔓延する業界というのは、要するにニセモノが蔓延する業界であると言える。ニセモノが蔓延する業界では、ファンが騙されるということだ。その業界を支えていた、読者・視聴者・消費者が騙される。
その人の名前が付いているから買ったら、他人が創作したものだったと分かれば、「なりすまし詐欺」に遭ったという後味の悪さをファンが感じても仕方がない。
「ニセモノをつかまされた」とファンの誰もが考える。そうなったとき、「もう、こんなものに関わるのはよそう」と思っても不思議ではない。
騙されたという後味の悪さが引きずるのだから、むしろ、そうならない方がおかしい。
■「金のためなら何でもする」が崩壊の道だ
ゴーストという「代行ビジネス」「名義貸し」が今後も世の中からなくなることがないというのは、金儲けのネタがそこにあるからだ。
知名度のある人間が何か発表すると、それだけで金になる。だから、業界は金儲け優先で突っ走っていき、ゴーストでも何でも使って無理やり作品を提供していく。
資本主義の論理がここに働いていて、創作者も、発表者も、関わる企業も、すべてが金のために突き動かされていく。
成果物の内容が重要なのではなくて、成果物が生み出す金が重要なのだ。すべては金に集約される。金だけが物を言う世界で、世の中が構成されているのである。
確かに金は重要だ。しかし、あまりにも過度に金儲け主義に突っ走っていくと、その強欲が見捨てられる原因となっていくのである。
「金のためなら何でもする」という姿勢が、崩壊の道であることは、私たちはすでに多くの業界を見て知っている。
銀行が「儲けのためなら何でもする」という拝金主義に染まった結果、投資が暴走して最終的にリーマン・ショックが引き起こされたのは記憶に新しい。
中国が「儲けのためなら何でもする」という拝金主義で暴走した結果、環境問題をおざなりにして、砂漠化・水質汚濁・大気汚染にまみれているのは現在進行形の問題だ。
特定の業界が「儲けのためなら何でもする」という拝金主義に行き着いても、同じ問題が発生する。
ゴーストでも何でも使うようになって消費者を騙すようになったら、最終的に、その業界は見捨てられて最後には崩壊していく。当然と言えば当然だ。
「代行ビジネス」「名義貸し」で生まれた作品を手にして嬉しい人はいない。しかし、それが横行している。その結末が明るいと思う人がいたら、どうかしている。
拝金主義で暴走した業界は、いずれは崩壊していくことになる。
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