07. 2014年2月11日 23:37:37
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07ですが、続報です。阿修羅はアーカイブですので、事の経過を記録します。トヨタ・オーストラリアですが、2017年でビクトリア州メルボルンのアルトナ工場を閉鎖すると発表しました。2014年2月10日(月)です。これについて、トヨタ・オーストラリアのマックス安田社長と、日本のトヨタの豊田章男社長が共同発表しました。豊田章男社長は、このためにオーストラリアに飛んできて、トヨタ・オーストラリアの従業員に直接、この決定事項を説明しました。 オーストラリアにはトヨタと共に関連会社のアイシンやデンソーも現地に進出しており、GMホールデン、フォードの部品会社と共に現地の雇用に大きな役割を果たしています。これらが全て消えてなくなる事態を迎えることになり、社会に与える衝撃は極めて大きいと言えるでしょう。一説には5万人が影響を受けると見られています。 この一連の動きにオーストラリアの製造業労働組合は猛反発しています。一国の自動車産業が消滅の危機を迎え、これからどうすればいいのか、連邦政府、州政府は重大な事態に直面しています。 トヨタは今回の決定に際し、従業員の皆様に次の雇用先を確保することを約束しているが、先に撤退した三菱自動車は確かに達成しました。しかし、三菱自動車だけの力で実現できたものではなく、前の投稿に書いたように三菱商事を中心とする三菱グループの支援で実現できたのです。トヨタの場合ですが、三井グループに属しています。しかし三井グループは三菱グループと違い、グループの結束が弱い。 そもそもトヨタが三井グループと呼ばれることは少ない。トヨタグループと呼ばれることがほとんどです。アイシンやデンソーなど、トヨタに近い企業群でグループを結成している。一応は三井グループなので、新日鉄から鉄板を購入している。しかしグループの縛りは弱い。商取引中心で、とことんまで面倒を見るというものではありません。 これはトヨタの側から見れば、三菱と違い三井は「当てにはならない」と見えるわけで、このために自力で成長する必要があった。その三井グループですが、三菱に対抗するために住友グループと事実上、合併しています。このため、最近では三井住友グループと呼ばれています。ところが、歴史ある財閥が合併したために、グループ内で競合する企業が多い。これが悩みです。 かつて三菱自動車が倒産寸前の状況に陥ったとき、三菱商事を中心とする三菱グループが徹底的に支援した。これがなかったら三菱自動車は倒産していたことは言うまでもありません。三菱グループは、三菱商事が三菱自動車に2代続けて社長を送り込んだ。古川さんと益子さんです。益子さんの働きは目を見張るものがあった。三菱自動車の深刻な赤字の元凶であった、オーストラリアの現地生産子会社を閉鎖し、オランダのネッド・カーをただ同然で現地資本に譲渡したことです。まさしく、三菱商事でなければできなかった快挙です。蛇足ですが、三菱自動車のファンと称するブログが、益子社長を「面白い自動車を出さない」などと批判していますが、ひとつの会社も経営したことのないくせに、えらそうなことを書くなといいたいです。 オランダのネッド・カーは、大変な難問でした。この工場は元々、オランダのトラックメーカー、DAF社が乗用車に進出するために設立されたものです。ところが第一次石油危機後の不況で乗用車が売れなくなり、DAF社はボルボと合併した。ボルボは乗用車生産を継続したが、コストの問題で閉鎖を主張した。ここに雇用問題の悪化を恐れるオランダ政府が介入した。イケイケドンドンで拡大路線を取っていた当時の三菱自動車が、そのオランダ政府の誘致に乗ったのですな。それでコルトを現地生産したが、高くてあまり売れなかった。操業率は下がるばかり。毎年、膨大な赤字を出していました。僅か1ユーロで現地資本に売却しましたが、赤字の原因を絶ったことで、三菱本体の再建が前進しました。 オーストラリア現地生産工場の閉鎖についても、元々ここはGM、フォードに並んでアメリカのビッグスリーの一角を占めていたクライスラーが1960年に進出し、1962年からバリアントの生産を開始しました。一方、日本では通産省が自動車メーカーをトヨタ、日産に絞ろうと業界再編成計画に着手しましたが、三菱重工はこれを拒否して、自動車部門をアメリカのクライスラーとの合弁企業にして事業分離しました。これが三菱自動車です。 三菱自動車は1973年に、オーストラリアのクライスラーからバリアントを輸入して、デボネアより上のクラスの高級車として販売しました。輸入整備を名古屋の大江工場で行っていました。このことから、クライスラーの経営危機に伴う世界各国の拠点の売却について、三菱自動車と三菱商事が引き受けることになりました。下にオーストラリアで生産されていたクライスラー・バリアントについての資料をリンクしておきますので、ご覧ください。 Chrysler Valiants, Valiant Chargers, Valiant Pacers, and other cars of Chrysler Australia http://www.valiant.org/ausval.html 2000年代に入って三菱自動車の経営危機が発生して、同社が世界各国の拠点を閉鎖することになりましたが、その時に三菱商事出身の益子社長の手腕が大きく貢献しました。オーストラリアの三菱自動車は閉鎖されましたが、従業員全員の次の職場を確保したと言います。今から考えても、閉鎖は的確な判断でした。雇用問題が政治問題化せず、うまく収まったことは歴史的に見ても奇跡としか言いようがありません。益子社長は、「リーマンショックの前だったので、時期がよかった。」と述べておられますが、運がよかったというか、三菱商事の力が偉大だというか、普通なら絶対ありえない快挙です。 さてトヨタに話を戻しますが、円満に撤退できた三菱自動車と違い、こちらは大艱難に陥りそうな雰囲気です。まず撤退の判断が遅れた。フォード、GMホールデンが撤退発表したあとです。2013年の段階で、早く撤退の発表をすべきであった。この機会を逸したから、ババ抜きのババを引いてしまった。これにより、オーストラリアの雇用問題を全部被ることになるのです。 アメリカの和解金の件でもそうですが、金さえ出せば何とかなると思って出した。そうしたら1,000億円まで膨れ上がった。余りにも甘い判断です。この判断を下したのは豊田章男社長。やはり「おぼっちゃま」社長です。修羅場をくぐっていない。 別に三菱商事を持ち上げる訳はないけど、商事の仕事は大変ですよ。原材料、製品の買い付け、売り込み。全て相手があります。当然、交渉がこじれて修羅場を経験することもしばしば。いかに先輩から学んでいても、役に立つとは限らない。重要事項をその場で判断しなくてはならない。何でこのようなことを書くかと言うと、実際に同社のOBから聴かせていただいたからです。そのOBはアフリカで修羅場を経験しました。知っている限りの外国語を駆使して交渉したそうです。 この経験が豊田章男社長にはないと思います。だから安易に1,000億円を出す。これは考えようによっては、会社の資産を失ったことになる。株主代表訴訟ものですよ。アメリカ市場で深刻な訴訟に追い込まれたメーカーとして、ドイツのアウディがあります。こちらは長期法廷闘争を勝ち抜いた。豊田章男社長は、彼らに学ばなかったのでしょうか。 トヨタ自動車のオーストラリア撤退問題は、多分こじれるような気がします。アメリカで、ごねたら金を出す前例を作ってしまったから。甘いですね。オーストラリアの労働組合は、日本の御用組合に慣れたトヨタ自動車にとって、相当手ごわい相手です。日本の労働組合なんて、過労死が出ても全然動かないから。そのような腑抜けな労働組合を相手にして、らくらく経営を続けてきたツケが一挙に噴出するでしょう。オーストラリアの労働組合は、戦う労組ですよ。日本じゃストライキなんて全然しないでしょ。ところがこちらでは、つい先日もアデレードのバスがストライキで止まりましたよ。 当方も日本にいた頃は国鉄に勤務していて、国労に入って分割民営化反対で闘ってきました。トヨタの撤退に反対する労働組合と連帯して、こちらも応援します。 |