http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/494.html
Tweet |
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140205/dms1402050721000-n1.htm
2014.02.05 「日本」の解き方
2003年7〜12月の日銀金融政策決定会合の議事録が公開された。ちょうど筆者は小泉純一郎政権の中で本格的なサポート活動をし始めた時期なので、いろいろな記憶がよみがえってくる。
小泉内閣で、竹中平蔵経済財政担当相は、マクロ経済運営には日銀総裁・副総裁人事がカギを握るとみて、副総裁に岩田一政氏を送り込んだ。
竹中氏は経済財政担当相就任当初、自ら政策決定会合に乗り込んで、インフレ目標の必要性を主張していた。さすがに、岩田氏を送り込んだ後には出席しなかったが、その代わりに岩田氏がインフレ目標を主張していた。岩田氏が竹中氏の意向によって日銀副総裁になったので、当然のことである。
そうした経緯を踏まえれば、03年10月31日の政策決定会合における岩田氏の発言は歯切れがいい。「00年8月のゼロ金利解除のレッスンをどういうふうに学ぶかということが私は重要と思っている」と言い、「事後的に見る限り、やはり失敗だと思っているが、つまりデフレを定着させてしまった。(中略)一つは、日本銀行がこれは暗黙であるにせよ明確な物価安定数値の目標をしっかり持っていなかった」ことであると、日銀がインフレ目標なしで金融政策運営していたと批判している。
この状況について、「(日銀は)その日暮らししている」と表現している。さらに、「最終ゴールをはっきり1%ないし2%であるとし、その下限である1%に達するまでは今の量的緩和をやるというのがマーケットに対しては最も強いメッセージであると思う」と、その後の金融政策をリードするという考えを述べている。
一方、須田美矢子審議委員は、「イグジットの必要十分条件を出せるのであればそれに越したことはないが、それは非常に難しく、その条件はと問われれば、物価だけの条件では駄目で総合判断に因るしかない、というのが私の答えである」と、専門家とは思えない発言をしている。
武藤敏郎副総裁も「3カ月とか6カ月というような具体的な数値を示す話もあったが、私は適切でないと思う」と述べているが、武藤氏のように総合調整を行う官僚スタンスとは、須田氏は違うはずだ。
岩田氏は、こうした旧来の日銀のスタンスと一線を画していたが、後に、06年3月の量的緩和解除という「失敗」をしてしまう。00年8月のゼロ金利解除は失敗だと言い切った人が、なぜ06年には失敗してしまうのか。03年時点の議事録を見る限り、まったくわからない。
同年10月時点で、「1%に達するまで今の量的緩和を続けるべきだ」と行っていた岩田氏が、なぜ06年3月に、形式的なインフレ率0・5%、物価指数の上方バイアスを考えるとマイナス0・1%で量的緩和を解除してしまったのか。今回の政策決定会合議事録の公開によって、この謎はますます深まってしまった。 (元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。