http://www.asyura2.com/14/hasan85/msg/415.html
Tweet |
量的緩和「出口」日銀も苦慮
03年の決定会合議事録公開 市場との対話に難しさ 解除は2年半後
日銀は30日、2003年7〜12月に開いた金融政策決定会合の議事録を公開した。当時は景気回復への期待から、日銀が量的金融緩和を解除するとの観測が市場で浮上し、長期金利の急上昇とともに円高が進行。日銀が量的緩和を続ける姿勢を市場にどうアピールするか苦慮したさまが浮き彫りになった。10年を経て、足元では米連邦準備理事会(FRB)が量的緩和縮小を進める。一歩先を織り込む気早い市場との対話の難しさは当時の日銀と重なる。
03年の長期金利は6月の0.4%台から9月には1.7%近くまで急上昇。景気回復期待から市場参加者の間で「量的緩和の出口が近づいた」との観測が高まったためだ。
「量的緩和政策の継続に具体的なアクションを改めて起こす」。9月会合で口火をきったのが福間年勝審議委員。政策目標の当座預金残高「27兆〜30兆円」を「30兆〜35兆円」へ上げるよう提案したが、否決された。
しかし次の10月会合で結局、当預残高目標を「27兆〜32兆」とし、上限を2兆円拡大。全9人のメンバーのうち3人が反対に回るなか、景気回復の後押しを狙うという異例の追加緩和を決めた。
当時、賛成派が強調したのが市場への緩和姿勢のアピールだ。「金利の振れを起こすような市場の期待の不安定化を防ぐ」(武藤敏郎副総裁)、「景気回復の芽をしっかり育てていくという姿勢を市場に明確に示す」(岩田一政副総裁)
ただ、景気の下方リスクに対応するのが通例の金融緩和を「景気回復の後押し」という理由で使うことには反対論も強かった。従来との整合性がとりにくく「金融政策の透明性を低めてしまう」(須田美矢子審議委員)、「政策運営がわかりにくくなる」(田谷禎三審議委員)との批判が噴出。植田和男審議委員を合わせ計3人が反対した。
実際に日銀が量的緩和の解除に踏み切ったのは2年半後の06年3月。気早すぎる市場の思惑が金融市場を大きく揺らす――。
今年1月から量的緩和の縮小を始めた米FRBだけでなく、「出口」への道のりがまだ遠い日銀にも重い課題を投げかけている。(肩書は当時)
[日経新聞1月30日夕刊P.]
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。