02. 2014年1月28日 11:19:58
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http://diamond.jp/articles/-/47776 悶える職場〜踏みにじられた人々の崩壊と再生 吉田典史 【第28回】 2014年1月28日 吉田典史 [ジャーナリスト]たそがれ30〜50代に搾取される“名ばかり構成作家” 30代で手取り20万円、サービス残業100時間の悲哀 今回は、前回取り上げた30代のテレビディレクターと親しい、30代の「自称・構成作家」を紹介しよう。2人は親しい間柄だが、共通の敵がいる。それは、30代後半から50代にかけての「おっちゃんたち」である。 「自称・構成作家」の小山田恵一(仮名・34歳)は、番組制作プロダクションに勤務する。社長やその取り巻きのディレクターやプロデューサーである「おっちゃんたち」にいじめ抜かれる日々だ。 小山田は10年ほど前、新卒での就職に「失敗」して以降、苦難を重ねて現在に至った。その姿はバイタリティに溢れるものであるが、少々不器用に見えなくもない。いつの時代も、人間30代前半くらいまでは迷いの中にいるものだが、小山田はとりわけ生きることが下手に思えなくもない。 中高年からのいじめに苦しむ人たちにこそ、ぜひ読んでもらいたい。小山田の生き方に、何かを感じ取ってもらえると思う。 “おっちゃん”たちからの執拗ないじめ 「もうテレビ界から足を洗おうかな……」 「コウモリとかスパイと呼ばれ、先輩からいじられる。もう、テレビの世界から足を洗おうかな……」 自称・構成作家の小山田恵一(仮名・34歳)が、不満を吐き出すのかのように話す。その横に、前回の記事で取り上げた三笠(仮名・32歳)が座る。 2人は、数年前から親しい間柄である。ともに、テレビ界に籍を置く30代後半から50代のディレクターやプロデューサーらによる「若手潰し」に不満を抱え込む。 2人は、「クリエィティブなんて呼ぶのには、ほど遠い世界。将来がないおっちゃんたちの不満を晴らすための、いじめにしか見えない。あの人たちは、必死に自分を大きく見せようとしている」 小山田は数年前から、テレビ番組制作プロダクション(正社員数20人ほど)に籍を置く。特に情報番組やドキュメンタリー番組の台本、ナレーションを書いている。他の社員の大半は、アシスタントディレクター(AD)かディレクターである。ディレクターが多数を占める番組制作プロダクションに、構成作家が正社員として勤務するのは珍しい。(@) 作家としての経験が浅いため、まだ1時間の番組を隅々まで書き上げたことはない。5〜10分前後のVTRの台本やナレーションなどを書いている。正確に言えば、「構成作家の見習い」に近い立場なのかもしれない。 小山田は、筆者が教える専門学校に2009年〜2010年頃に通っていた。三笠と同じく、テレビ局の資本が入る局系列の制作会社に、正社員として入社することを希望していた。 局系列の制作会社では、採用試験の際、難易度の高い問題が課せられる。特に点数の差がつきやすい科目が「論作文」。そこで高い点数を取るために、専門学校に通い、書く力を養おうとしていた。 手取り20万円で100時間のサービス残業 これでは人生設計のめどが立たない…… その頃から、小山田は繰り返して口にする。 「制作プロダクションや派遣会社の給与では、人生設計のめどが立たない。20代後半から30代前半で、毎月の手取りが20万円前後。月80〜100時間の残業なんて、給与に全くつかない」 賞与は年に1回支給で、給与の半月〜1ヵ月分の額だという。当然、労働組合などない。そのため、制作体制や労働条件がプロダクションよりは整っている局系列の制作会社への転職を希望していた。 試験では、前回の記事で紹介した三笠が200倍近い倍率をくぐり抜けて内定を得たが、小山田は不合格だった。夢破れ、今も制作プロダクションに勤務する。先輩となる30代後半から50代のディレクターやプロデューサーたちから、「コウモリ」「スパイ」と呼ばれ、バカにされる日々だ。 そんなニックネームをつけられるのは、彼が職場を転々としてきたからだという。大学を卒業した2003年から1年間は、業界紙(社員15人ほど)で記者をした。実際は、「記者」というよりは「広告を取るために、その会社に都合のいいことを書く、営業マンに近い仕事だった」と本人は明かす。 「求人には『記者募集!』と謳いながら、『車の運転免許が必要』と書いてあった。変だなと思いつつも、就職浪人なんてできないから、受けた。面接がたったの1回で、内定(苦笑)。全国紙や地方紙に入りたかったが、無理だった。新卒の時点で、人生に失敗したのかな……」 「30代でFDなんてしてていいのかな」 下請けの下請けの、最下層での歯車に 不本意な仕事をしながらずるずると年を重ねることに焦りを感じ、迷いながらも辞めた。そして2004年から2010年までは、派遣会社に籍を置いた。この会社は業界で、テレビ局などにディレクターを多数派遣することで知られる。 とはいえ、「ディレクター」とは言っても、フロアディレクター(FD)のことである。スタジオ番組のフロアに、ヘッドホンを耳につけて立ち、司会者などに指示を出す。その指示は、番組全体を仕切るディレクターの命令通りに行なうものだ。小山田いわく「誰でもできる仕事であり、30代半ば以降になってする人は少ない」とのこと。彼はこう嘆く。 「求人では、『番組をつくるディレクターになれます!』と書いてあった。だけど、実際はFDでしかない。FDをしていると、『こんなことをしていていいのかな』とつくづく思う。将来のことを考えると、めちゃくちゃ焦る。 同世代の局員のADは、数年でディレクターに昇格し、20代後半ならば自分で企画を立てて、カメラマンを連れて取材し、編集する。しかも、30歳くらいで年収900万〜1000万円くらいになるみたい。僕は、30歳の時点でその3分の1に達するかどうか……。しかも、FDは30〜40代になっても毎日『本番10秒前』と声を出しているだけ。まさに下請けの、下請けの、最下層での歯車……(A)」 特に、同世代の局員がわずか数年のAD生活を終え、早々とディレクターになることに強い焦りを覚えたという。 筆者には、それが自らのことをあまりにも高く評価することから生じる、嫉妬心に見えなくもなかった。30代前半くらいまでの多くの人が、程度の違いはあれ経験をするものでないだろうか。筆者も、かつてその1人だった。 小山田は語気を強め、説明する。FDにも、30代後半から40代半ばの人がいるのだという。 「このおっちゃんたちから、いじめ抜かれる。本来は40代のFDなんていらねぇよ……(苦笑)。だけど、おっちゃんたちは他に行くところがない。(B)で、20〜30代のFDを潰す。挙げ句に、局の年下の30代のプロデューサーにゴマすりの日々。僕は、あんな惨めなことはしたくなかった」 「お前、構成作家をやってみろ」 社長に拾われて今の会社に来たものの…… 小山田はその後、2011年に現在の制作プロダクションに移った。「ヘッドハンティングされた」と説明する。 FDをしていた放送局で、現在のプロダクションの40代後半の社長と知り合った。「うちに来ないか。今のFDを続けていても、未来はないぞ」と誘われたのだという。 そのときのことを自慢気に話す。 「僕がもう30歳を越えていたから、社長は『ADはしないほうがいい』と言ってくれた。『ADは大量の雑務をするし、ディレクターからこき使われる。遅くとも27歳くらいまでにADとしてスタートしないといけない。30歳を越えてする仕事ではない』と繰り返し言われた」 そして、社長が小山田に勧めたのが構成作家になることだったという。筆者には、その論理が見えなかった。なぜ、番組の台本を書く作家であるのか。そもそも、構成作家を養成したことがないのに、どのようにして育て上げるのだろうか。小山田に尋ねようとすると質問を遮り、やや興奮して説明する。 「僕が、業界紙に記者としていたことに目をつけてくれたみたい。社長は、もともとはドキュメンタリーをつくってきたバリバリのディレクター。だから、目のつけどころが違った」 筆者には、腑に落ちない説明だった。 「おい、コウモリ!」「おい、スパイ!」 「おい、バカ!」と罵声を浴びせられて やはりと言うべきか、小山田がそのプロダクションに入ると、構成作家としての仕事など一切なかった。結局は、40代のディレクターの下に付くADでしかない。 たとえば、ディレクターの指示を受けて取材先を見つけ、交渉をする。取材の手配をして、撮影現場ではカメラマンらと一緒に撮影機材を運ぶ。その後の編集作業では、編集オペレーターの指示に従い、雑務もする。 小山田は、こういう仕事をしたことがない。40代のディレクターからは、「おい、コウモリ!」「おい、スパイ!」「おっさん! しっかりしろ!」「おい、バカ!」などと大きな声でからかわれる。 おろおろしていると、他の30代後半から50代のディレクターやプロデューサーらが、どっと笑う。そして、皆で「一生涯AD」「32歳、ADデビュー」「業界初、AD兼構成作家!」と茶化す。 小山田は早口で話す。口惜しいようだった。 「おっちゃんのディレクターから『おっさん』と呼ばれ、罵倒される。あのおっちゃんたちは40代になっても、ピンで(1人で)1時間の番組をつくることができないくせに……」 小山田は、社長に「入社のときの説明と話が違う!」と言いたかった。だが、なかなか口にすることができない。多少の恩義も感じていたからだ。 プロダクションには、30代前半までのADが8人ほどいたが、入社し数ヵ月から1年以内で数人が辞める。2年以内に、8人のうち5人が辞めた。 20代の女性のADは、30代後半〜40代の独身ディレクターやプロデューサーたちから、執拗に誘われるという。 「セクハラもあったみたい。20代がADとして次々と入り、次々と消えていく。残業は、月に80〜100時間。それでも、手取り20万円そこそこ。派遣会社の頃と給与も年収も同じ。変じゃない? 労働時間は100時間近くに増えているのに……。労基署に訴えたら、莫大な残業代になるはず。僕はもう、34歳……。『今後どうすんの』と考える日々」 社長は経営者ではあるが、実際はディレクターとして番組をつくっている。(C)時折、自らの下にADとして小山田をつける。そのときの姿は、2年前「ハンティング」をしたものとは大きく異なるようだ。このようなことを言い、発破をかける。 「ADをしながら、5〜10分のミニ番組や1時間の番組のVTRの部分をお前が書け。他のADやディレクターよりは書くことができるだろう?」 小山田によると、本来ミニ番組や5〜10分のVTRの構成台本、ナレーションなどは、ディレクターが書くのだという。筆者には、この社長は小山田を「お前を構成作家にしてやる」と言葉巧みに誘い、派遣会社からこのプロダクションに移るように仕向けたように見えた。零細会社を10数年経営するだけに、したたかである。 「構成作家」というその仕事は、台本を書くことができない30代後半から50代のディレクターらの代わりに書くことだった。(D)これでは、「多少は台本を書くことができるAD」でしかない。 コスト削減の一環として雇われた? 中高年から搾取され続ける悶絶職場 筆者は小山田に投げかけた。「社長はコスト削減の一環として雇ったのであり、作家として育てようとは思っていない」と。小山田は、「だからもう辞めようと思っている」と答えた。 隣に座る同世代の三笠と一緒に口にした言葉が、「仕事をやればやるだけ、おっちゃんたちからいじられる。徹底してバカにされて、辞めるように仕向けられる」だった。 それでも、2人は将来にかすかな期待を抱いている。未来がない中高年から搾取され、人生設計が破綻する方向に仕向けられていることに、気がついてないようだった。それを察知していても辞めることができない。次の就職先がないからだという。 踏みにじられた人々の 崩壊と再生 悶える小山田は、今後テレビマンとしての人生をどのように切り拓いていけばいいのだろうか。まずは、本文中で筆者が下線を施した部分について、小山田が気付いていない「落とし穴」を説明しよう。 @構成作家が正社員として 勤務するのは珍しい それまでに採用されていなかった職業の者を正社員として新たに雇い入れる場合、一定の規模(筆者の取材の実感で言えば、500〜600人以上)に達していないと、トラブルが起きやすい。育成のノウハウもなければ、その仕事すらないことがある。 こういう採用は、社員数が100人以下の会社に特に目立つ。社長らの「独断専行」で採用が決まる傾向がある。管理職層の了解や支持がないから、新たに入ったその社員がいじめなどを受けやすい。 Aまさに下請けの、下請けの、 最下層での歯車…… 大半の業界においては、仕事を発注する会社、その下請け、孫請けといった階層構造がある。最下層にいる者がこうした構造の中で働く場合に起き易い問題は、発注する会社の、特に同世代の社員と同じ職場で働くときに起きる。「同じ職場」で働くと、その格差に愕然とすることが多い。30代前半までくらいは、免疫ができていないだけに刺激が強い。 このような業界は、労使間のトラブルが伝統的に多い。テレビ業界や広告業界などは、その象徴と言える。最下層で働くならば、明確な考えや職業意識がないと、5〜10年といった一定の期間すら働けないだろう。 Bおっちゃんたちは 他に行くところがない 30代後半から50代が行き場を失い、そこに踏みとどまる傾向が強い会社や業界には、30代前半までくらいの人は行かないほうがいいのかもしれない。ここ20年ほど観察していて感じることだ。中高年からのいじめが激しく、追い出しが盛んだからだ。特にテレビ業界のように、産業構造の変化についていくことができなくなっているところは最悪なケースに陥りやすい。 C社長は経営者ではあるが、 実際はディレクターとして番組をつくる 社長自らプレーヤーをする。この場合の「プレーヤー」とは「営業」のことではなく、その社長が趣味に近い仕事をすることを意味する。特に社員数が100人以下の会社に目立つ。 30代前半までで、まだ実力を完全に身に付けていない人は、こういう会社にエントリーすることは避けたほうがいい。取材を通して観察をしていると、一定のペースで人を育てる仕掛けがほとんどない。離職率が非常に高く、安定して売上を維持する体制ができていない。これでは、人はなかなか育たない。 D「構成作家」というその仕事は、台本を書くことができない、 30代後半から50代のディレクターらの代わりに書くことだった Cと表裏一体の問題。零細企業の社長は、安定的に売上を稼ぐ体制をつくることが本来の使命なのだが、いつまでも現場の仕事をしようとする。そこで営業力が弱くなり、業績を維持することができなくなる。 すると、場当たり的に人を採用し、急場をしのごうとする。そこには、「入社後、どのように育成するか」といった明確な考えはなない。 今回の小山田と前回の三笠の2人が、テレビ業界の最下層からワープして、局系列の制作会社に進もうとしたことは、正しい判断だと思う。せっかく入ったものの、三笠はいじめを受け、小山田は残ったプロダクションでいいようにこき使われている。いずれも、「敵」は30代後半から50代のディレクター、プロデューサーらである。特に、同職種であるディレクターからのいじめが激しいという。 この構造は、テレビ業界の特徴とも言えるものであり、2人の力で変えることなど到底できない。今後も業界に残るならば、局系列の制作会社にワープしようとしたように、働く場を変えてもいいのではないだろうか。前回の三笠の場合は、一応は局系列の制作会社に籍を置くのだから、安易に辞めるべきではなく、当面はのほほんとしていればいいのだ。 新しい世界へとワープできるか? たそがれ世代に人生を壊されるな 小山田は、今後もワープを試みるべきだろう。今のプロダクションに残れば、本当に潰される。そもそも、安定的に稼ぐ体制がないところで、「若手の育成」などがあるわけがない。そんなところに長居をすると、人生設計がどんどんと狂うだけである。 前述したCの「社長は経営者ではあるが、実際はディレクターとして番組をつくる」という状況が、この会社の行く末をよく物語っている。こんな経営者やその取り巻きと、30代前半という人生の重大な時期を一緒に過ごすべきではない。後々後悔をする。 小山田は、自らの将来にかすかに期待しているように見えた。筆者には、それは甘い考えに思えた。現状が崩壊しているのに、明るい未来などあるわけがない。持ち前のバイタリティで、今後もワープを繰り返していくべきだと思う。 彼はあと数年で、30代後半になる。そろそろ、ワープできる可能性がデッドラインに差しかかる。そのことも考慮しないと、いよいよ本格的に悶え苦しむことになる。その苦しみは、下手をすると定年まで続くのではないだろうか。 人はワープをしようと動き回れば、やがては落ち着くべきところに落ち着くものだ。自らの使命を果たすことができない社長らに恩義を感じる必要は、さらさらないではないか。人生のたそがれの時期にいる人たちに、かけがえのない自らの人生の値打ちを下げられてはならない。 DIAMOND,Inc. 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深刻な人手不足の介護現場で評価が高いフィリピン人 日本社会の意識改革も必要〜介護に活躍する外国人(その1) 2014年01月28日(Tue) 巣内 尚子 「外国人労働者を受け入れるか否か」。少子高齢化と労働力人口の減少を受け、日本ではこうした議論が沸き起こっている。 一方、日本に在留する外国人(外国人登録者数)はこれまでに200万人を超えている。既に外国にルーツを持つ多数の人が日本で暮らし、就労している状況があるのだ。 「移民社会」や「多文化社会」という言葉からは、米国や欧州をイメージする人もいるだろう。だが、欧米に比べれば人口に占める外国人の比率は低いものの、日本も多様な背景を持つ人々と暮らす場所となっている。 そんな中、介護の世界に外国人が進出していることをご存じだろうか。 外国人と介護といえば経済連携協定(EPA)によるものが知られているが、これに先立ち、介護現場で外国人が就労し、介護労働を担っている。今回、外国人と介護職について3回に分けてリポートする。 フィリピン人介護士5000人が登録 外国人の介護人材を見る上で大きな存在感を示してきたのが、外国人向け介護人材養成スクール「東京ケアギバー・アカデミー(TCA)」だ。TCAは、フィリピン人向け通信サービスなどを提供するアイ・ピー・エス(本社・東京都中央区、IPS)が運営してきた。 東銀座の歌舞伎座のすぐ近くにあるIPSの本社を訪問した。出迎えてくれたのは、IPSの国際人材グループのマネジャーを務める若栗正樹さん(42歳)。人材紹介業務のベテランで、これまでに日本人、中国人、フィリピン人といった多様な人材の紹介業務に携わってきた経験を持つ。 アイ・ピー・エスの若栗正樹さん(筆者撮影) IPSでも多くのフィリピン人とかかわり、フィリピン人求職者の事情に詳しい上、さまざまな介護施設とのネットワークも持つなど、介護現場の状況にも通じている。 若栗さんによると、TCAは2005年に開校し、主に永住ビザを持つフィリピン人を対象に、介護の仕事の入り口となる「訪問介護員養成研修2級(ヘルパー2級)」(2013年4月から「介護職員初任者研修」に移行)の資格取得に向けた講座を運営してきた。 IPSはもともと、フィリピン人向けの通信サービス、メディア、通信販売といった事業を手がけ、在日フィリピン人向けのタガログ新聞「ピノイ・ガゼット」も発行している。以前から在日フィリピン人とのつながりを構築してきたことから、フィリピン人をはじめ外国人向けの介護人材養成講座の設置に至ったという。 TCAの「ヘルパー2級課程」(合計130時間:講義58時間、演習42時間、実習30時間)は、約3カ月にわたって座学と実習を受講することで、最終的にヘルパー2級の資格を取得できるプログラムだった。 受講料は約9万円だが、仕事に直結する資格とあり、多数の人が受講してきた。TCAの修了生数はこれまでに、延べで数千人に上る。その多くをフィリピン人が占めるが、中にはほかの国の出身者もいたという。 IPSは介護人材の派遣事業を手がけ、登録者はフィリピン人を中心に約5000人に達する。TCAの卒業生の多くが、IPSに登録していることから、これだけの人数が自ら学費を払って講座に通い、ヘルパー2級の資格を得て、介護分野で仕事をしているということだ。 ※TCAは現在休校中 明るく、高齢者を大切にする気風が評価される このように、IPSは在日フィリピン人向けサービス事業から派生する形で、フィリピン人を対象とした介護人材の育成と人材の派遣・紹介事業を実施してきた。 この背景にあるのは、日本での介護分野における深刻な人手不足だ。 高齢化社会を迎えた日本では介護のニーズは高いが、介護労働の担い手が確保できていない。さらに介護の現場が厳しい労働環境にあることや賃金の低さなどから、離職する人も少なくないなど、介護人材の定着に課題もある。 そんな中、IPSは主に、首都圏の医療・介護施設にヘルパー2級を取得したフィリピン人を紹介・派遣してきたが、需要は非常に大きく、引き合いが多いという。 施設によっては外国人を受け入れないところもある。だが、一定数の施設では、外国人を介護労働者として受け入れることが一般的になっているというのだ。 ただし、外国人であっても、給与面は日本人と同じ待遇となる。若栗さんは「人手不足だからというよりも、優秀な人を送り出すというつもりでフィリピン人を紹介している」と言葉に力をこめる。 若栗さんが指摘するのは、フィリピン人がお年寄りを大切にする気風を持つなど、介護労働の適性が高いことだ。もともと家族が社会の中で重要な位置を占め、高齢者を大切にする文化の中で育ったフィリピン人はお年寄りを手厚く世話するのだという。 一方、フィリピン人にとっては、日本人の配偶者となり就労制限がなくなっても、外国人ということで職探しが難しい。だが、介護分野では正規職員になり長期就労が可能になるという大きな利点があるのだ。 お年寄りを大事にする文化的な背景、そして仕事を見つけることへの切実な思いから、フィリピン人は介護施設で懸命に働く。実際に「各施設ではフィリピン人介護職員の評判は総じて高い」(若栗さん)ようだ。フィリピン人の明るい性格もまたお年寄りやほかのスタッフから好評だという。 難解な漢字など、日本語の読み書きが壁になる記録業務 一方、日本語を母語としない外国人であることで苦労もある。特に課題となるのが、介護現場での「記録業務」だ。 介護記録は介護サービスの一連の過程を記述し、これを介護者や医療者の間で共有するものである。これにより利用者の状況を的確に把握するとともに、介護者と医療者が情報を共有し、効率的で質の高いケアの提供を促す。 またリスクマネジメントや、業務の証拠としての機能もあるため、介護の現場では記録業務は重要業務のひとつとなっている。 多くのフィリピン人は日本人と結婚するなどして日本に長く住んでいるため、日本語の「話す、聞く」技能を身につけているケースが多い。だが、「読む、書く」技能についてはハードルが高い。 日本語は、主にひらがな、かたかな、漢字を組み合わせて表記されるが、時にアルファベットやローマ数字なども使用される。この文字表記の多様性がアルファベットだけで表記される英語などとの大きな違いになっている。 さらに、日本語では、文字の読み書きのために、数多くの漢字を覚える必要に迫られる。中国、台湾など漢字圏の出身者であれば漢字への親和性が高いが、フィリピンのような非漢字圏の出身者であれば漢字習得の負担は重い。 その上、介護記録では、専門用語が多いことも外国人を戸惑わせる。 日本語教育に関する学術研究団体である日本語教育学会は「介護福祉士国家試験問題の日本語の難しさについて考えるための基礎資料(改訂版)」(日本語教育学会「看護と介護の日本語教育」ワーキンググループ編)をウェブサイトで公開している。 http://www.nkg.or.jp/kangokaigo/kaigo-kisoshiryou.html ここでは介護の専門用語の難しさについても触れられている。例えば、「誤嚥(ごえん)」「骨粗鬆症(こつそしょうしょう)」のような言葉があるが、これらは難解な漢字を使う上、日常生活ではあまり使われない。また「座位・椅座位・半座位・端座位・長座位・トイレ座位」なども、一般的には使用されない言葉だろう。 ここに挙げた用語は実際の介護の現場で使用される語のごく一部に過ぎない。日本人にも難しい漢字や専門用語を使い、正しく介護記録をつけることは、日本語の非母語話者には負担になるだろう。 外国人が働きやすい就労環境の整備が必須 しかし、フィリピン人をはじめ外国人を受け入れてきた施設では、「深刻な人手不足の中では外国人を受け入れることは必至だ」との認識も強い。そのため、日本人の職員と組ませて記録作業を分担させたり、記録にふりがなを導入したりして、外国人が働きやすい環境整備に乗り出しているところもあるという。 また、手書きよりもパソコン入力のほうが、漢字の変換が容易なため、記録作業を電子化している施設もある。在日歴の長いフィリピン人は漢字を書くことが難しくても、読める漢字も少なくないため、パソコンによる漢字変換で対応できるケースがあるのだという。 若栗さんは、「介護労働者の不足状態は今後も変わらないどころか、介護労働者の需要はさらに拡大し、供給が追いつかないだろう。このため、外国人を受け入れるというのは大きな選択肢になりうる。外国人に日本のやりかたを押し付けるのではなく、受け入れ体制を整備する姿勢がなにより重要だ」と強調する。 介護分野の人材不足が深刻化する中では、「外国人に来てもらえるよう」に、受け入れ側が率先して体制を整えることが必須となる――。そんな若栗さんの話は、日本社会が自ら意識を変えていく必要性を示唆する。 次回は、フィリピン人のシングルマザーと介護職とのつながりについてリポートする。同時に、介護の資格制度改革が外国人の介護分野への進出に当たっての懸念材料となっている実情を追ってみたい。 |