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年々、韓国人観光客が増える繁華街。多くの飲食店が韓国資本の手に渡っている=長崎県対馬市厳原町(写真:産経新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140121-00000534-san-pol
産経新聞 1月21日(火)12時0分配信
【島が危ない】再び対馬を行く
昨年11月中旬の夕暮れ、長崎県対馬市厳原(いづはら)町の厳原本川をはさんで飲食店やホテルが立ち並ぶ繁華街、川端通りに繰り出した。厳原町は鎌倉時代から600年以上にわたり対馬を統治した宗家10万石の城下町だった場所だ。
「ここの1、2階は韓国料理店」「ここは韓国人の元ガイドが経営」「ここは、韓国人がオーナーで対馬人が従業員。今年オープンした」
一般社団法人IIFG副理事長で対馬協議会事務局長の友納徹さん(64)が声を潜めながら案内してくれた。「日本人名義だが、実質経営者は韓国人という飲食店が増えてきた。そういう店に対馬の人たちが雇われている」
10人ぐらいの韓国人観光客らしいグループが酒に酔っているのか、何やら声を張り上げながら闊歩(かっぽ)している。日本人の姿はない。
スナックやバーが立ち並ぶ裏通りに入って驚いた。5年前に島を訪れたときと比べて明かりが少なく、人影もまばらだ。以前は目についた「韓国人観光客、お断り」の張り紙がほとんどない。
「日本の飲食店街の中で密集度が最も高いといわれていたが、今は寂れて見る影もない。少々トラブってでも、韓国人観光客に来てほしいのです」。友納さんはこう話した。
対馬観光物産協会の江口栄会長(59)によると、最盛期には飲食店120軒ほどが営業していたが、今は60〜70軒程度。韓国人を断る札をかけているのは1、2軒だという。
◆日本人従業員の苦悩
「本土から観光客が来よったころは本当によかった」。釜山在住の韓国人が実質経営する飲食店の男性従業員、Aさん(54)は懐かしんだ。
Aさんは32年間、厳原町の居酒屋で働いた後、2年半前に独立したが、客が入らず間もなく閉店。そこの客だった韓国人の観光ガイドの仲介で現在の店で働くようになった。
「昔は肩がぶつかるほど混み合っていた。1日のあがりは8万円とか12万円とかはざら。ところが、15年ほど前からは、よくて5、6万円。その頃から韓国人が来るようになった。本土から日本人観光客も来ていたが、韓国の観光客が増え始めると、引いていった」
Aさんが32年間働いていた居酒屋も、以前は韓国人観光客を断っていたが、今は受け入れているという。「(以前は)日本人が嫌がっていたから、韓国人は断っていた。でも、今は韓国人も入れんと、やっていけんとですよ」
現在、韓国人の店で働いていることについて、Aさんは「はがゆいんですよ」と唇をかんだ。その一方で「このあたりはみんなそう。名義は日本人。日本人が経営しているみたいにして、金は韓国から。韓国人の店で働く方が収入はいい。今は韓国人と一緒にいてよかったなあと思っている」とも話す。
韓国人オーナーとの間に信頼関係もできてきたという。「『あなただけが頼りだからねえ』と言われて、『できることは何でもしますよ』と」
Aさんの言葉からは、やりきれなさと矛盾を抱えたまま過ごさざるを得ない複雑な思いが切々と伝わってくる。
◆一致しつつある利害
27年前に集団就職先の地方都市から対馬に戻り、スナックを経営している女性、Bさん(58)は、街の変質ぶりをこう話した。
「厳原の街は真っ暗になった。店の経営者はどんどん代わっていく。周りの店でも、これまで韓国人を入れてなかったが、5、6年前から全部、受け入れるようになった。そうしないと食べていけないんですよ」
対馬市商工会の浦田一朗会長(70)によると、客としてだけでなく、飲食店を経営する韓国人が増えてきたのは2年ほど前からだという。「(地元の経営者が)店をやっていく余力がないから売る。きちっと日本円で買うわけですから、売る方は損をしない」
一方、買収する韓国人側の思惑について、Aさんは、親指と人さし指でお金を意味する丸をつくって説明した。「日本円を向こうに持って行くと倍になるとですよ。ウォンへの換金率がいいとです」
経済的閉塞(へいそく)感が強まる中、生活のすべを求める対馬市民と営利を追求する韓国人の間に利害関係が一致しつつあるのだ。(宮本雅史)
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