02. 2014年1月19日 00:09:15
: DuP9JLTVbc
当方は国鉄一家として国鉄の分割解体に反対し、かつては反対運動に力を入れたものだった。北海道は人口密度が低く、自然は過酷。夏と冬の気温差は60℃にも達し、鉄道建設と維持が元々困難な地域であった。しかし明治以降の開拓と言う国策に基づいて、官営幌内鉄道が1883年に開業した。官営幌内鉄道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%98%E5%96%B6%E5%B9%8C%E5%86%85%E9%89%84%E9%81%93 明治政府の財政赤字により、民間が路線を建設することとなり、現在の東北本線である日本鉄道。現在の山陽本線である山陽鉄道などが次々と開業したが、北海道では北海道炭鉱鉄道にそれだけの力がなく、北海道庁が自ら鉄道を建設、運営した。これが北海道官設鉄道である。 北海道官設鉄道 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%AE%98%E8%A8%AD%E9%89%84%E9%81%93 1906年に鉄道国有法が公布され、1906年と1907年に全国の主要鉄道の大半を国有化。これにより国鉄が成立した。 鉄道国有法 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E9%81%93%E5%9B%BD%E6%9C%89%E6%B3%95 ●北海道の国鉄は、北海道の産業育成と言う国策に基づいて、採算度外視の観点で運営されていた。国家予算をつぎ込んで新線を建設し、運営したのである。北海道に産業を根付かせるため、一次産品の石炭、木材、石灰石、馬鈴薯、甜菜(てんさい)などを輸送するために最初から貨物輸送中心であった。 旅客輸送は機関車が客車と貨車が引く、混合列車と言う形態であった。この場合、貨車が長くて客車はほんの1輌か2輌。それもガラガラであった。旅客だけで列車を仕立てられた場合、郵便車と荷物車はつきものであった。これらの輸送は1980年代以降、宅配便の全国展開と、郵便のトラックへの移行で全滅してしまった。 北海道の場合、幹線であっても旅客需要は少なく、通学需要に頼ったものだから、列車ダイヤが朝夕に集中し、都市近郊では常識の等間隔ダイヤは無理であった。このため、国鉄バスが不便な鉄道ダイヤを埋めていた。国鉄は鉄道ばかりでなく、バスやトラック輸送も行っていた。組織として自動車局があったくらいである。 1968年に国鉄が経営危機に陥り、全国の赤字83線を整理するという構想が発表され、労使関係は極度に緊張した。このまま行けば職員の多くが失職するからだ。これは田中角栄内閣の成立で先送りされたが、問題を先送りしただけであったので事態はますます悪化して、10年後に国鉄の分割民営化構想が臨時行政調査会の手によって検討されることになるのである。 赤字83線 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E5%AD%9783%E7%B7%9A 第二次臨時行政調査会 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E8%87%A8%E6%99%82%E8%A1%8C%E6%94%BF%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E4%BC%9A これにより国鉄の分割民営化が答申されたが、国鉄の赤字の多くを占めていたのが北海道の路線であった。国策により国鉄が赤字であろうと何であろうと、とにかく新線を建設し、これまでの路線も維持していかなくてはならなかった。政府は国鉄に財政負担を押し付けたのである。赤字を解消できると当初は宣伝された電化、ディーゼル化が、北海道の輸送密度では逆に重荷になることが判明したのは、無理からぬことであった。 分割民営化以降、国鉄以来建設が続いてきた青函トンネルが開通し、事態は改善されたかと言えば、さにあらず。増えたのは貨物だけで、線路を所有するJR北海道は負担が増すだけであった。訳のわからないからくりで政府はJR北海道に補助金を支給し続け、表向きうまくいっているように見せかけただけであった。 さてここからが問題だが、あれだけ鉄道に固執していた当方であったが、運命のいたずらで外国に渡ってみると、これまでのモノの見方が一方的だと気がついた。ニュージーランドだが、鉄道は国営から民営に移され、民営化で投資不充分で輸送力が減退し、上下分離の上で施設(下の部分)は再び国有化された。事実上、国鉄が復活したことに近い。しかし彼らは貨物輸送に力を入れ、旅客はバスか自家用車で移動するパターンが定着している。 北海道は路面が凍結するし、道路が危険だから鉄道でなくてはならないと言われているが、それでも道民は鉄道をあてにしなくなっている。石北本線にせよ、宗谷本線にせよ、特急列車ばかりで普通列車はごく僅かなのだ。特急列車通過駅だと、乗り遅れたら、半日待たないと乗れないなんて珍しくない。1輌か2輌で走っている。これだけ列車本数が少ないと最初から移動の際の選択肢に入れるわけがなかろう。 JR北海道の社長が続けて自殺するというのは、それだけで異常な会社であることを宣言しているようなものだ。よく鉄道ファンは、鉄道は自動車に比べて省エネだという。これが利点なのだと。これは都会の通勤通学輸送には当てはまるが、北海道のようにガラガラだと旅客1人あたりの電気消費量、燃料消費量で計算すると、自動車で運ぶ以上に無駄な浪費になってしまう。この観点が全くないのだ。 よく老人など交通弱者のために鉄道は残さなくてはならないと言うが、北海道では人口密度が本土と比べて低い現実を見ていないのかと思う。人口が点在して分布している。住んでいる人たちにとって、駅が遠いのだ。遠い駅にでかけ、少ない本数の列車を待ち、そして出かける。この行動自体が現実的ではない。 1人や2人の乗客が路線廃止によって移動手段を失うことをローカル線廃止の反対意見にあげるのも、どうかと思われる。1人や2人であっても乗客だし、移動の権利は当然ある。この問題が現実に討論されたのが、1995年の深名線廃止の時だ。1992年の一日当たり平均利用者数は354人であった。まだけっこう乗っているように見えるが、深川、名寄の両端の1駅だけの利用者が多かったらしく、中間部分の利用者は、ほんの数人であったという。 深名線 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%B1%E5%90%8D%E7%B7%9A ●この路線が廃止となるにあたり、JR北海道バスに転換されたという。代替手段を用意しているのだ。それでも不足なら、不便なところに住んでいる人を税金を使って便利なところに移転してもらう手もある。(合意されない限り無理だが。)税金を使っても、安いはずだ。 限界集落が問題になっているが、日本ではこれから人口がどんどん減る。鉄道を維持していくこと自体、難しくなる地域が増えるだろう。国鉄が分解解体されたら、一番先に行き詰るのはJR北海道だと、1987年の民営化当初から言われていた。それから27年。それの矛盾が行き着くところまで来たと見るべきだ。JR北海道をこれからどうするか。それは、国鉄を解体した政府自民党の責任である。 当方は国鉄が分割解体されてもJRに行って頑張って来たが、経営の悪化はとまることなく、遂に行き詰ってしまって退職して外国に行った。それで目にしたのは、鉄道がなくても社会が成立すると言うこと。自動車があるし、遠距離移動なら飛行機がある。北海道はオーストラリアやニュージーランドに似ている。だとすれば、政府はそれを参考にしてJR北海度の将来を決めればいい。このまま赤字83線の時のように問題を先送りしても、解決されるわけがなかろう。ご聖断の時は、今である。 |