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原発事故に翻弄された人生、政府の賠償を打ち切りは不条理、病院職員訴え(2/13 福島民報)
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Sunday, February 15, 2015 東京江戸川放射線
「解雇しなくてはならないのか...」。東京電力福島第一原発事故の影響で休業が続く南相馬市小高区の小高赤坂病院の院長・渡辺瑞也(みずや)さん(72)は、胸のつかえが取れない。避難先の仙台市の住宅。目を閉じると、職員1人1人の顔が思い浮かぶ。
職員は現在も45人ほどが在籍し、病院の再開に備えている。しかし、給料を支払えない。職員の多くは個別に就労不能損害の賠償を受けている。だが、その賠償支払いは今年2月分で原則終了する見通しだ。
病院の雇用が続いている以上、職員は別の仕事に従事しにくい。雇用元が休業しているケースでは、職員は十分な収入が得にくくなる。だが、解雇すれば将来、再開したときの職員の確保は困難になる。悩ましい日々が過ぎる。
小高赤坂病院で施設係に所属していた男性職員(52)は時折、休業している病院に足を運ぶ。愛着があった職場が時間の経過とともに荒れ果てていく。悲しくてならない。少しでもきれいにしようと、敷地内の草刈りなどに汗を流す。「再開のめどが立てば、患者を受け入れられるよう設備を整えるのが自分の役目」。現在もその気持ちは変わらず、病院に在職している。
原発事故前、病院から約6キロ離れた小高区の自宅から通勤し、ボイラーの点検や設備の修繕などを手掛けていた。患者と触れ合いながら仕事に励む充実した日々だった。
原発事故で避難を強いられた。避難所などを転々とし、平成23年8月から相馬市の仮設住宅で暮らしている。市内の事業所にアルバイトに通う。収入は原発事故前の3分の1程度にとどまる。東電から就労不能損害の賠償金を受け、家計をやりくりしている状況だ。
子どもの学費を支払うためにも一定の収入が必要となる。原発事故から丸4年が経過しても、病院の再開は見通せない。「元の仕事に戻りたい思いは捨て切れない。でも、新たな仕事を探さなければならないのかな」
業務内容や給料などの面で納得できる仕事を見つけるのは簡単ではない。「政府が避難区域を設定した。解除しないうちに賠償を打ち切るのは不条理だ」。原発事故に翻弄(ほんろう)された人生をどう歩み直したらいいか分からず、いら立ちが募る。
狭い仮設住宅の寝床で1人、思い悩む。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2015/02/post_11506.html
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