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福島第一原発事故 東日本壊滅の危機に最も近づいた「2号機爆発」の真相 第3回 東電技術者たちが語った「恐怖の瞬間」
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/798.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 2 月 09 日 11:25:05: igsppGRN/E9PQ
 

福島第一原発事故 東日本壊滅の危機に最も近づいた「2号機爆発」の真相 第3回 ドキュメント 福島第一原発事故 東電技術者たちが語った「恐怖の瞬間」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41897
2015年02月09日(月) NHKスペシャル『メルトダウン』取材班 現代ビジネス


連載第1回を読む
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41883
連載第2回を読む
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41886


福島第一原発事故2号機の危機に際して、吉田昌郎所長は「死」を覚悟し、「東日本壊滅」をイメージしたという。原子炉圧力容器を守る非常手段「SR弁の開放」も「格納容器ベント」もできない極限の状態の中で、東京電力の作業員たちはどのような行動をとったのか? 2号機の危機を克明に描いた『メルトダウン連鎖の真相』(講談社)の 第7章を3回にわたって転載する。今回は連載の最終回。


■喫煙室の吉田



NHKメルトダウン取材班が2013年に執筆した『メルトダウン 連鎖の真相』。事故を時系列に忠実にノンフィクションとして書き下ろしたもので、 作家の立花隆氏が「圧倒的に情報量が多い。内容的にも最良」(2013年7月11日号)と絶賛した。写真や図版も多数収録されており、事故の全体像がわかると専門家からも高く評価されている


重苦しい空気に包まれた免震棟の円卓を、警備会社幹部の土屋は、呆然と見つめていた。もはやそこには、見慣れた統制のとれた原発の姿は微塵もなかった。


14日午前11時すぎに3号機が爆発して以降、土屋のメモには、それまでの3号機から一転して2号機の記述が目立つようになった。


「13:05 2Uへ対策開始」


「14:15 2Uのリミット近く 総動員で現状把握」


「16:00 情報のサクソウ リミット 後1H」


午後4時ごろには、円卓周辺から、2号機の燃料の先端に到達するのは、あと1時間というコールが聞こえた。それまでには、なんとか注水をしなければならないはずだ。


しかし、土屋にも、2号機の減圧がまったく進まず、水を入れられない状態に陥っていることがわかった。円卓中央に座る所長の吉田が幹部らに指示を出していたが、その顔は疲労が色濃くなっていた。



事故発生以来、ほぼ不眠不休で陣頭指揮にあたってきた吉田昌郎・福島第一原発所長だが、2号機が危機的な状況になった14日午後以降は、精神的・肉体的な極限状態にあることをうかがわせる場面もあった 写真:NHK



NHKスペシャル『メルトダウン』シリーズでは、これまで5本の番組が放映され、文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞を受賞するなど、内外で高く評価されてきた。2015年1月16日、約3年半にわたる同取材班の調査報道をまとめた『福島第一原発事故 7つの謎』が講談社現代新書より刊行された。事故の時系列の流れを追った同取材班による『メルトダウン 連鎖の真相』と併せ読むと、複雑な巨大事故の全体像がよく理解できる。週刊文春2月5日号「私の読書日記」で作家の立花隆氏は、本書を読んで「あの事故には未解決の謎がまだこんなにもあったのかと驚いた」と書いた。


担当者に「あれはどうなっているんだ?」と尋ねた際、担当者が一瞬答えられなくなり、吉田は、こらえきれなくなったように「そんなことぐらい把握して説明しろよ!」と怒鳴っていた。しかし、このころになると、吉田が大声を出して怒鳴る場面は、3号機が危機を迎えた13日にくらべ、めっきりと少なくなっていた。むしろ、疲労が隠せない様子だった。


吉田はヘビースモーカーで、事故対応に追われながらも煙草を吸っていた。免震棟2階の緊急時対策室から階段を降りたところにある1階の喫煙室に煙草を吸いに行く姿を、土屋はしばしば目撃していた。吉田は一度に4、5本を連続して吸う時も少なくなかった。


土屋には、その数分の喫煙の時間こそ、吉田が自らを落ち着かせ、次から次へと襲いかかる危機に対応するために考えをまとめる貴重な時間のように思えてならなかった。


2号機が膠着状態に陥って1時間近くが経った午後5時30分ごろ、土屋は、吉田が円卓から喫煙室に向かったことに気がついた。


「せめて煙草を吸って気をやすめ、また元気に指揮をとってほしい」土屋はそう思った。
ところが、このとき、吉田は煙草を吸い終わった後、円卓に戻らずに、2階廊下の脇にある小部屋に入ったまま出てこなくなってしまった。


心配した土屋がのぞくと、吉田が部屋に長身をごろんと転がすように横にして目をつむっていた。疲れ果てた表情だった。その表情は6000人あまりが働く福島第一原発を率いるトップの苦渋と、3日3晩ほとんど眠らずに走り続けてきた56歳の中年男性の極限の疲労をないまぜにしたように見えた。このまま起き上がれないのではないか。土屋は吉田の顔を見つめていた。10分ほど経っただろうか。吉田は、目を開けて体を起こした。そしてゆっくりと長身を揺らしながら、再び円卓へと歩き始めた。


■減圧の攻防     4号機爆発まで約12時間


SR弁の開放作業が始まって1時間半が経った午後6時すぎだった。膠着状態を破るように免震棟の円卓中央から、吉田の声が響いた。


「減圧開始したみたいです」


バッテリーの接続位置の変更や配線をし直す作業の何が功を奏したかはわからなかった。ただ、復旧班の懸命の作業の結果、SR弁を開くまで70気圧だった2号機の原子炉の圧力が徐々に下がり始めたのだ。



福島第一原発の最悪シナリオがもし起きていれば……


近藤駿介内閣府原子力委員長が作成した「福島第一原子力発電所の不測事態シナリオの素描」で明らかになった、最悪シナリオ発生時における移住を迫られる地域。近藤委員長は、最悪時には、福島第一原発から半径170キロ圏内が、土壌中の放射性セシウムが1平方メートルあたり148万ベクレル以上というチェルノブイリ事故の強制移住基準に達すると試算した。同試算では、東京都、埼玉県のほぼ全域や千葉市や横浜市まで含めた、原発から半径250キロの範囲が、住民が移住を希望する場合には認めるべき汚染地域になると推定した
CG:DAN杉本、カシミール3Dを用いて作製。高さは2倍に強調している


本店の高橋フェローが抑えきれないように、弾んだ声で聞く。


「よし! ポンプは?」「注入も開始したの?」


免震棟から減圧が開始しただけだという応答が来た。


高橋は自らを諫めるように「減圧開始か。まだ入んないか。あわてちゃいかんな」とつぶやいた。


午後6時3分、2号機の原子炉圧力は、60気圧まで下がった。「午後6時6分、54気圧」「午後6時12分、24・77気圧」


免震棟では、原子炉圧力が下がっていることを知らせるコールが続く。


減圧ができた。


復旧班長は、安堵と脱力感で、いすにへたり込んだ。


午後6時すぎ、免震棟にいた土屋は、「線量を食っていない者は誰だ?」という大声が復旧班の机の周辺で響くのを聞いた。復旧班の何人かが手をあげていた。手をあげた者には、すぐに全面マスクと防護服が手渡されていた。誰かが1、2号機の中央制御室に行って、免震棟で見ることができないデータを取ってくる必要が出てきたという話だった。免震棟の外や1、2号機の中央制御室の放射線量は、どれほど高くなっているのだろうか。放射線取扱主任者の資格を持つ土屋にも、もはや想像もつかなかった。



免震棟内の給水コーナーに佇む現場作業員。汚染覚悟で保管されていた非常食の乾パンを食べたり、飲料水のミネラルウォーターを飲む際は、全面マスクを外さざるを得なかった 写真:東京電力



免震棟内での生活物資のバケツリレーをする現場作業員 写真:東京電力


装備を装着しようとする復旧班のメンバーの周りには、同僚たちが集まっていた。口々に「頑張ってこい」「必ず帰ってこい」と声をかけ、肩をたたき、手を握っていた。


1、2号機の中央制御室に向かうメンバーに、自分のペットボトルの水を飲ませている者もいた。このころ、ペットボトルの水は残りわずかになっていた。いつ支給されなくなるかもわからず、みな大切に飲みつないでいた。その貴重な水を惜しみなく与え、励ましている。土屋は目頭が熱くなってきた。これは決死隊≠ネのだ。勇気ある決死隊≠、仲間みんなで励まし、送り出しているのだ。


しかし、次の瞬間、土屋は不思議な既視感に襲われた。


それは、ずっと昔、映画かテレビか、あるいは、自分の夢か何かで見たようなシーンだった。みんなが頑張っている。だけど、トップが倒れてしまい、ナンバー2以下で物事を進めようとするのだが、なかなか進展しない。そんなシーンだった。


吉田が倒れたように寝ている姿を見たために、そんな既視感に襲われたのか。それとも、どんなに頑張っても、もはや誰も制御できないこの危機的状況への恐怖が疲労のたまった頭の中に既視感となって現れたのか。


土屋は、事故以降、免震棟が懸命の対応にあたっても、1号機の爆発、3号機の爆発と、決して制御できない原発の恐ろしさを身にしみて感じていた。そして、今また、続く2号機との格闘は、これまで以上の最大の危機に見えた。


土屋は、ふいに思った。魔物を起こしてしまった。人が制御できない魔物を起こしてしまったのではないか。かつて自分には統制がとれた姿に見えていた原子力というものが、今は、心の底から怖かった。


■免震棟の遺書     4号機爆発まで11時間14分


2号機の原子炉圧力は、午後7時すぎに6・3気圧を示した。9気圧前後ある消防車のポンプで注水できるまでに下がってきたのだ。


一刻も早く消防車による注水を始めなくてはならない。免震棟も東京本店も注水開始という報告を待っていた。ところが、午後7時20分、2号機の近くで待機していた2台の消防車がいずれも燃料切れで停止しているという報告が入ってきた。長時間、エンジンをかけたまま待機状態にしているうちに燃料が切れてしまったのだ。免震棟はあわてて構内にあったタンクローリー車で燃料を運ぶ作業に入った。待ちに待った注水が、またのびてしまった。


この直後だった。免震棟の技術班の担当者が報告した。


「これまでの2号機の状況ですけど、午後6時22分ぐらいに燃料がむき出しになっているのではないかと想定しています」


技術班の試算では、すでに1時間前に2号機の原子炉の水位は、燃料がむき出しになるまで下がっているという報告だった。


担当者は、試算結果では今から40分後の午後8時すぎには完全に燃料が溶解し、さらにその2時間後の午後10時すぎには原子炉圧力容器が損傷するという予測を告げた。



福島第一原発の警備会社の幹部だった土屋繁男 写真:NHK


「非常に危機的な状況であると思います。以上です」


報告が終わった。


最終危機が迫る免震棟の円卓を見つめながら土屋は、今のうちに、メモ帳に自分の思いを残しておかなければならないと思った。


もう生きて帰れないかもしれない。初めて死を明確に意識した。廊下に座り込んで胸ポケットからメモ帳を取り出し、開いた。


真っ先に妻の顔が目に浮かんだ。妻は同級生だった。東京で再会し、結婚したのだった。福島に戻ろうとした時、東京の生活に慣れていた妻はわずかに抵抗した。しかし、ふるさとに2人の家を建てようという土屋の言葉についてきてくれた。その家に、もはや帰ることができるかどうかすらわからなかった。妻になによりもお礼が言いたかった。



福島第一原発の警備会社の幹部だった土屋繁男が、2号機の危機に瀕して、死を覚悟して書いた「遺書」。写真:NHK


「すべてにありがとう。いい人生でした」


母の姿が思い浮かんだ。80歳をこえた母は、今も丈夫で、食事も洗濯も何もかも一人でやっている。申し訳なかった。


「元気で。先にスマン」


兄と姉、姪や甥、思い浮かぶ限り世話になった人の名前を書き、短く自分の思いを書き留めた。


そして、改めて免震棟を見回し、最後にこう記した。


「多勢の人が、会社、年齢、男女をこえて、全力を出している。仲間がいる」


免震棟の懸命の努力を記録として残しておきたかった。自分もその中の一人だということを確認し、残しておきたかった。


そのときだった。廊下に見慣れた長身の男がゆらりと出てきた。土屋は顔をあげた。
吉田だった。吉田が土屋たちに向かって、口を開いた。


「みなさん。ありがとうございました」


淡々とした口調だった。沈んでもいないし、高揚もしていない。いつもの吉田らしい冷静な話しぶりだった。吉田は、廊下にいた数十人の協力企業の社員に向けて話し始めた。


「みなさん、いろいろ対策は練りましたが、状況はいい方向にむきません。みなさんが自らの判断でここを出て行くことを止めません。準備ができましたら、入り口のドアは開けさせます」


午後7時30分、吉田が免震棟にいる協力企業の社員に、退避を促した瞬間だった。およそ30分後、土屋は、他の協力企業の社員たち20人とともに免震棟を出た。後ろを振り向くと、数十人の協力企業の社員たちが階段に並んでいた。


夜の冷気が身体を包んだ。3日ぶりの外の世界だったが、感慨はなかった。一刻も早く、高い放射線量から脱出しなければならなかった。土屋は、同僚2人とともに足早に50メートルほど離れた駐車場に停めてある会社の白い三菱パジェロへと急いだ。


■最終退避     4号機爆発まで10時間40分


免震棟に残っていた土屋たち協力企業の社員に、吉田が退避を促した14日午後7時30分ごろ、免震棟と東京本店を結ぶテレビ会議でも、初めて「退避」という言葉が幹部の間でやりとりされる。


最初に口にしたのは、このとき、オフサイトセンターにいた原子力部門ナンバー2の常務の小森だった。小森は、2号機の原子炉水位が、午後6時22分に燃料がむき出しになるまで下がり、午後8時すぎには燃料が溶け、午後10時すぎには原子炉圧力容器が損傷するという技術班の予測を踏まえて、こう言った。



NHKスペシャル『メルトダウン取材班』が執筆した近刊『福島第一原発事故 7つの謎』(講談社現代新書)には、吉田所長が生前に遺したとされる「謎の言葉」をめぐるミステリー(第3章)、知られざる放射能大量放出の謎(第4章)など、スクープ情報が満載されている。


「退避基準というようなことを誰か考えておかないといけないし、発電所のほうも中央制御室なんかに居続けることができるかどうか、どこかで判断しないとすごいことになるので、退避基準の検討を進めてくださいよ」


小森の言葉に、本店にいた原子力部門トップの副社長の武藤が即座に「わかった。それやって」と応じた。


東京電力の事故調査報告書によると、12日から14日にかけて、協力企業の社員や東京電力の女性社員や体調を崩した社員を順次バスで近くの避難所やオフサイトセンターに退避させていた。その数は300〜400人に上るとされている。


そして、14日午後7時30分ごろに吉田が、土屋ら最後まで免震棟に残っていた協力企業の社員に退避を促したことで、数十人が免震棟を後にしたと推定されている。午後8時ごろ、免震棟に残っていたのは700人あまりとみられている。


午後8時前、テレビ会議では、本店の担当者が退避基準の考え方を示していた。


「今、検討の途中状況を申し上げます。1時間ほど前に退避をすると。その30分前から退避準備をするということを考えています」



免震重要棟の緊急時対策室本部席 写真:東京電力


高橋フェローが「何の? 炉心溶融の?」と、1時間前とは、何の1時間前なのかを聞いた。


担当者は、高橋の言葉どおり、炉心溶融、つまり2号機のメルトダウン1時間前に退避をする意味だと答えた。


この直後の午後8時すぎだった。


テレビ会議に、福島第一原発からのコールが響いた。


「約5分前からポンプが回って、注水が開始されているそうです」


本店の武藤があわてて確認する。


「吉田さん? 水入ったの?」


吉田がほっとしたような声で答えた。


「水はね、5分前くらいからどうも入り始めた感じです。現場に行った人間もポンプが回ってると言ってますので。ええ」


消防車の燃料切れが判明した後、およそ30分かけて燃料が補給され、午後7時54分と午後7時57分に相次いで2台の消防車が起動し、注水が開始されたという連絡が現場から入ったのだ。


最終危機という暗闇が迫るなかで、わずかに光が差したかのようだった。2号機への消防注水が始まったことで原子炉水位が回復すれば、メルトダウンの危機をなんとか食い止められるかもしれない。少なくとも、わずかな時間かもしれないが、危機を先延ばしできるかもしれない。そうした考えが免震棟や本店の幹部の頭をよぎった。


一方、テレビ会議では、退避について退避場所の選定や受け入れが引き続き検討されていた。


午後8時15分ごろ、高橋フェローが発言した。


「本店、本部の方、ちょっと聞いていただけますか。今1F(福島第一原発)からですね、居る人たちみんな2F(福島第二原発)のビジターズホールへ避難するんですよね? ちょっと増田君の意見を聞いてください」


福島第二原発の増田尚宏所長(52歳)が引き取った。


「2Fのほうは、1Fからの避難者のけが人は正門の隣のビジターズホールで全部受け入れます。そしてそれ以外の方は全部体育館に案内します」


増田は福島第一原発用の緊急時対策室も用意すると付け加えた。


「緊対を、我々の2Fの4プラント緊対と、1Fから来た方が使える緊対と、2つに分けて用意しておきますので、そこだけ本店側は、両方の使い分けをしてください」


この後、社長の清水が吉田に呼びかけた。


「あの、現時点でまだ最終避難を決定しているわけではないということをまず確認してください。今しかるべきところと確認作業を進めております」


吉田は「はい」と答えた。


清水が念を押す。「現時点の状況はそういう認識でよろしくお願いします」


吉田は、改めて「はい。わかりました」と答えた。


14日夜、テレビ会議でやりとりされた退避の議論はここまでだった。


■運命の瞬間     4号機爆発まで5時間10分


日付が変わり事故から5日目を迎えた3月15日午前1時すぎ。福島第一原発では、2号機への消防注水がひたすら続けられていた。


燃料切れが判明した後、およそ30分かけて燃料が補給され、14日午後7時57分までに2台の消防車が起動し、注水が開始された。


2号機の原子炉圧力容器の圧力は、いったん6気圧程度まで下がった後、乱高下を繰り返し、14日午後11時25分には31気圧まで上がったが、日付が変わった15日午前1時すぎからは、再び6気圧程度を推移するようになっていた。9気圧前後の消防車のポンプ圧で、十分水が入るはずの圧力だった。復旧班は、2台の消防車の燃料を数時間おきに補給しながら、2号機への注水を続けていた。


事態をこれ以上悪化させないためには、とにかく原子炉の冷却を続けるしかなかった。その唯一の手段が、消防車による注水だった。



免震重要棟の緊急時対策本部 写真:東京電力


3月11日にすべての電源を喪失して以降、1号機のIC、2号機のRCIC、3号機のHPCIという冷却装置が、ことごとく機能を停止し、今や1号機から3号機までのすべての原子炉が消防車による注水で冷却されていた。非常用の冷却手段が、事故から5日の間に次々と切れていくなかで、消防注水が、唯一つながっている細い糸のようなものだった。今は、その細い糸が切れないように延命策を続けるしかなかった。


早朝になり2号機の格納容器の圧力は、通常の7倍にあたる7気圧程度まで上昇していた。


格納容器の圧力の異常上昇は、原子炉の燃料がメルトダウンして、放射性物質を含む高温高圧の蒸気が格納容器に漏れ出ていることを意味した。復旧班は、1号機でベント弁をこじ開けたように、2号機のタービン建屋の搬入口付近に配備した可搬式のコンプレッサーで空気を送り込み、格納容器のベント弁を開けようと何度も何度も試みたが、弁は動かず、ベントはできずじまいだった。なぜ、ベント弁が開かないのか、免震棟の誰にもその理由はわからなかった。


事故の後、NHK取材班が専門家と行ったシミュレーションでは、2号機の原子炉水位は、3月14日午後6時16分に、燃料の下端にまで達し、燃料がむき出しになったとみられている。そして、14日午後9時43分にはメルトダウンにいたり、原子炉の中で高温高圧になった核燃料が溶け始めたと推測されている。


免震棟では、原子炉圧力容器と格納容器の圧力をコールする声だけが響いていた。数値を伝えるコールが途切れると、免震棟も本店にも、情報らしい情報がなくなるため、コールを担当する技術班の解析担当者は定期的に数値を読み上げるしかなかった。


もはや作業らしい作業もなく、誰もが、そのコールを聞くくらいしかやることがなくなっていた。「まるで絶望に向かってコールしているようだ」解析担当者は、そう思った。



政府と東京電力の統合本部設置のために東京電力本店に乗り込む菅直人総理大臣 写真:NHK


やがて東の空が白み始め、事故から5日目の朝を迎えようとしていた。


このころ、東京では、社長の清水が海江田経済産業大臣らにかけた電話を発端に大きな騒動が起きていた。東京電力の全面撤退問題である。


清水は14日夜から15日未明にかけて海江田や官房長官の枝野幸男(46歳)らに「2号機が厳しい状況で、今後、ますます事態が厳しくなる場合は、退避も考えている」という趣旨の電話をしていた。これを海江田や枝野らは、東京電力が福島第一原発から全員撤退すると考えていると受け止め、菅総理大臣に報告した。


午前4時すぎ、菅が清水を総理官邸に呼び、「東京電力は福島第一原発から撤退するつもりか」と尋ねたところ、清水は「そのようなことは考えていない」と否定したが、菅らは、東京電力本店に乗り込んだ。



東京電力本店に乗り込み、東電幹部を前に演説をする菅総理大臣(画面上段中央) 写真:東京電力


午前5時30分ごろ、東京本店2階の非常災害対策室で、菅は、会長の勝俣や社長の清水以下、本店の幹部や社員などおよそ200人の前で、自らを本部長とし、副本部長を海江田と清水が務める政府と東京電力による福島原子力発電所事故対策統合本部を設置することを宣言した。そして、「日本が潰れるかもしれないときに撤退などあり得ない。撤退すると東京電力は100パーセント潰れる」などと10分間にわたって激しい口調で訴えた。


菅の演説が終わった直後の午前6時10分ごろ。1号機が全電源喪失して86時間30分あまりがたったときだった。福島第一原発の1、2号機の中央制御室は、ドーンという異音とともに下から突き上げられるような異様な衝撃に襲われた。計器盤を監視していた運転員の一人が叫んだ。


「サプレッションチェンバー(圧力抑制室)が落ちた」


「ドライウェル、サプチャン、圧力確認」


「了解」



2号機原子炉建屋から上がる白煙。2号機は爆発は免れたものの、1~3号機の中で最も大量の放射性物質を排出したといわれている 写真:NHK


「圧力は!」


「サプチャン、圧力……ゼロになりました……」


サプレッションチェンバーと呼ばれる圧力抑制室の圧力計がゼロを示していた。そして午前6時14分。免震棟は、突然、衝撃音とともに激しい縦揺れに襲われた。


その瞬間、解析担当者は思った。


「ついに2号機の格納容器が壊れた」


誰もが2号機が爆発したと思った。膨大な放射性物質が一気に漏れ始めると感じた。奇妙な静寂の中にあった免震棟が、再び大きな混乱と喧噪の渦に包まれた。


廊下に寝ていた社員の一人は、これまでとは違うドーンという振動を感じ、飛び起きた。2号機に何事かが起きたと思った。周りに寝ている同僚をたたき起こして「2号機がやばそうだから退避する用意をしろ」と呼びかけた。


発電班から2号機の圧力計がゼロを示したという報告を受けた吉田は、2号機の格納容器で何らかの爆発が起き、サプレッションチェンバーの圧力計がゼロを示したものと判断した。


吉田は、自分を含めた幹部のほかプラントの監視や応急の復旧作業に必要な社員およそ70人を残して、免震棟にいたおよそ650人については、福島第二原発に退避させることを決めた。午前7時ごろ、650人にバスや乗用車で退避するよう指示が出た。


「退避! 退避しろ!」


円卓にいた吉田以下、幹部が大声で叫んでいる。


大勢の人間が免震棟の出口へと急いだ。解析担当者は退避することになった。福島第二原発に向かうバスに乗りながら、「最悪の事態が起きたのかもしれない」と思っていた。



3月15日午前6時以降、2号機原子炉建屋から大量の放射性物質が放出されたとみられる。写真は午前10時に撮影された2号機から上がる白煙。このときの放射性物質の放出が、住民に最も被害を与えたといわれている 写真:東京電力


「格納容器が本当にディープなんていうレベルでなく、壊れてしまって、そこらじゅうに放射性物質がまき散らされていて、自分たちも死ぬのかもしれない」そう思った。しかし、移動するバスの中で緊張の糸が切れたようにぷっつりと意識が途切れ、その後のことは記憶にない。


復旧班長は免震棟に残った。周りにいる吉田やユニット所長の福良ら見慣れた幹部たちの顔を見回しながらも「ああこれはもう時間の問題だ。死ぬな」と思っていた。人口密度が10分の1ほどに減り、がらんとした免震棟で、残った人々は奇妙な思いにとらわれた。何もしないと不安なのだ。一人、また一人と作業を始めるようになった。ある者は、消防車の給油に出かけた。また、ある者は空気コンプレッサーの点検に向かった。そのたびに、吉田が「おういってこい」「おういってこい」と声をかけていた。みな淡々と作業を始めた。


■連鎖の終幕


午前9時、福島第一原発の正門付近で、1時間あたり11・93ミリシーベルトの放射線量を計測した。一般の人が1年間に浴びて差しつかえないとされる1ミリシーベルトにわずか6分ほどで達する高い値だった。2号機から大量の放射性物質が漏れ続けているとみられた。


しかし、この値をピークに、その後放射線量は下降傾向を示し、午後0時半には、1・362ミリシーベルトになった。2号機の格納容器の圧力は、午前7時20分に7・3気圧を示し、その後もその値を維持していた。格納容器の圧力が急速に下がっていないことは、格納容器の損傷が大きなものでないことを意味した。


吉田以下、免震棟に残った幹部たちは2号機の格納容器が決定的に壊れたわけではないと判断した。しかし、なぜ、格納容器が決定的に壊れなかったのか。その理由は誰にもわからなかった。最終局面で何とか原子炉を減圧し、消防車による注水を夜を徹して続けたことが功を奏したのかもしれなかったが、自分たちの操作が壊れ方を最小限に食い止めたとは、誰にも言えなかった。


免震棟は、残った社員で2号機への消防車による注水を続けた。吉田は、午後に入って、福島第二原発に退避した管理職クラスの社員を順次、免震棟に戻し、作業に復帰させた。


15日午前6時すぎに、異音と下から突き上げるような衝撃に襲われたとき、2号機の格納容器は下部にあるサプレッションチェンバーを含め、いずれかの箇所が損傷し、大量の放射性物質が外部に放出されたとみられている。



『メルトダウン 連鎖の真相』には貴重な写真や図版、そして事故対応にあたった東京電力技術者の証言がが多数収録されている


しかし、事故から2年経った今も、どのような原因で、どこが、どの程度損傷したか、詳しいことはまったくわかっていない。


このとき、2号機から放出された大量の放射性物質は、プルームと呼ばれる放射性物質を含む気体のかたまりとなって、15日正午すぎから夜にかけて風に乗って北西方向へと流れたとみられている。長時間、上空を浮遊していた放射性物質は夜に入って降り始めた雪や雨とともに地表に降り注ぎ、土壌に沈着し、原発から北西方向に広がる浪江町や飯舘村などの広い地域が放射能に汚染された。


事故から8ヵ月後の2011年11月、福島第一原発が報道機関に初めて公開された際、所長の吉田昌郎は、事故について次のように振り返っている。


「3月11日から1週間は、極端なことをいうと、もう死ぬだろうと思ったことが数度あった。1号機の爆発。3号機の爆発。それから最後、2号機の原子炉注水をするときに、なかなか水が入らないなか、一寸先が見えない、最悪の場合、もうメルトがどんどん進んでいって、コントロールが不能になる。そんなとき、これで終わりかなと感じた」


吉田の右腕として、事故対応を指揮したユニット所長の福良昌敏は、事故から9ヵ月たった2011年12月、初めてのインタビュー取材に、終始、感情を表に出さずに慎重に言葉を選びながら答えていたが、事故を受けての個人的な思いを聞いた際、一瞬、顔をゆがめて「悔しい」という言葉を発した。


「こういう重大な結果を招いていますので、悔しいという以前に申し訳ないんです。私自身が。今後、事故をなんとかおさめて、申し訳ないという感情を表現したい」と語った。


2号機の放射性物質の大量放出については、事故から1年4ヵ月を経た2012年7月の2回目のインタビュー取材で、「残念で仕方がない。現場は精一杯のことをやっていた。しかし、それは力が及ばなかったということだと思います。最大限の努力はしましたが、結果からすると、そうだったんだと思います」と話している。


免震棟で原子炉の状態を解析し続けた技術班の解析担当者は、2012年7月のインタビュー取材で、事故対応について「死ぬまで忘れられない」と語り、今も自問自答し続けていることを打ち明けている。


「放出された放射性物質がかなり近隣を汚したということも言われているわけで、あのオペレーションがどうあればよかったのかということは一生僕の頭の中で回り続けると思います。あのときのことは何度も思い返し、夜中にうなされることもあります。2号機については、下手をすれば、日本の国がおかしくなるのではないかとまで思い詰めた部分があるので、死ぬまで忘れることはないと思います」


『メルトダウン 連鎖の真相』には貴重な写真や図版、そして事故対応にあたった東京電力技術者の証言がが多数収録されている


3月11日から4日間にわたって免震棟の事故対応を見続けた土屋繁男は、免震棟を出た後、田村市の総合体育館に避難していた妻と再会し、その後、福島県内で家族とともに避難生活を送っている。原発から5キロほどのところにある大熊町の自宅は帰宅困難区域に指定され、帰れる見通しはまったく立っていない。


土屋は、2013年2月のインタビュー取材で、事故から2年近くを経ても、あの事故と原子力に対して、いまだ整理しきれない胸の内について語っている。


「原子力に対して多くの町民の人たちから、『今まで信じていたのに』という言葉がどんどん耳に入ってくるようになった。自分も原子力は安全だと言っていた国や電力会社に対して100パーセント裏切られたという気持ちになりました。


ただ、原子力は、人間の手の及ばないものじゃないかと思う反面、一生懸命頑張っている人もいるということが、複雑ですね。私もあのとき、あの中にいて、これほど深刻になるということが、いまだに信じられないところがあるんです。自分自身が避難までする状況になり、そういうリスクを忘れていたことが、今もちょっと計り知れない。まだまだ自分としては、複雑なんです」


土屋は、複雑という言葉を何度も口にして、今も事故のことを考え続けていると語っている。


関連記事
特別寄稿 『福島第一原発事故 7つの謎』 事故から3年経ってなお次々に浮かび上がる謎 「1号機の冷却機能喪失は、なぜ見過ごされたのか?」 【前編】
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41681
特別寄稿 『福島第一原発事故 7つの謎』 事故から3年経ってなお次々に浮かび上がる謎 「1号機の冷却機能喪失は、なぜ見過ごされたのか?」 【後篇】
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41767


NHKスペシャル『メルトダウン』取材班
「事故はなぜ起こったのか」「人類は原発を制御できるのか」。福島第一原発事故から2年が経ったにもかかわらず、いまなお多くの謎が残され、事故の検証作 業はまだ途上にある。NHKでは、原子力問題に精通した取材記者、番組制作者からなる取材班を結成し、400人以上の関係者に取材、各種事故調でも触れら れていない独自の視点で多角的に事故を検証した。本書は、NHKスペシャル『メルトダウン 福島第一原発あのとき何が』(2011年12月18日放送)、『メルトダウン 連鎖の真相』(2012年7月21日放送、第67回文化庁芸術祭テレビ・ドキュメンタリー部門大賞受賞)、『メルトダウン 原子炉「冷却」の死角』(2013年3月10日放送)で取材した関係者の証言や記録をもとに、書籍として再構成したものである。



 

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コメント
 
01. 2015年2月09日 12:36:11 : bG73wsIFgw
1号機と3号機の爆発はネットでもわかり1号機は白い水蒸気の爆発で3号機は黒いキノコ雲の爆発だったので理解できるんだが、・・・・・・・・・

2号機と4号機の爆発シーンをみたことがないのですがそれはなぜ?かくしているの?
かくさないで見せてくれたほうが国民ははっきりと事態が把握できるのでありがたいのだが。


02. 2015年2月09日 12:39:06 : bG73wsIFgw
>>これまでとは違うドーンという振動を感じ、飛び起きた。2号機に何事かが起きたと思った。


据え付けカメラでその税像がのこっていると思うが公表してほしい。



03. 2015年2月09日 13:16:40 : uEEk6aHu6A
>>02
ゴメンナサイ。隠しました。場内監視カメラの映像は、企業秘密として封印され、その存在され抹殺されました。

04. 2015年2月09日 14:07:48 : bG73wsIFgw
自治会とかマンションで管理をやっている人でないとわからないだろうことがある。
実はあの原発爆発のあった年の夏なんだが、駐車場や道路や擁壁が異様に黒色した藻のようなものがめだち黒い路面に黒い駐車場に黒い擁壁になってしまった年でした。

あまりに黒いし、側溝などはカピカピの乾いた藻の死骸のようなものが大量にでて見苦しいので、あの時は何日もかけて高圧洗浄などをつかって道路や擁壁の汚れをとるという作業をしました。それは藻のような植物の死骸だと思うのですがそれはなぜかというとそのゴミが袋にいれても軽かったことでこれは砂や石ではないなということで燃えるゴミにしてだしたからです。

あれはいまにして思うと爆発ででた放射能物質のチリみたいなものが原因でそういうものが繁殖して黒い路面や側溝、擁壁になったんじゃなかろうかという気もする。
で不思議なことに あれ以降、そういう汚れはついていないのでそういう原因であったのではないだろうかとあ思う。異様なまでにあの汚れは黒かった。



05. 2015年2月09日 18:30:57 : dV3Wwjv6u6
嘘は止めませんか?

ドキュメンタリーを小説風味に仕立てた嘘は、読む気も失せる。

2号機は3月11日深夜には、圧力容器が破損した。

>特定事情の発生時刻 平成23年3月11日16時36分

2号機のTAF到達時刻予想は、21時40頃と
評価しました。
炉心損傷開始:22時20分頃
RPV破損 :23時50分頃

http://www.asyura2.com/14/senkyo174/msg/714.html#c5


06. 2015年2月09日 19:48:12 : C3lq0gpU9A

  当時の最高責任者(勝俣、清水等)は国外逃亡して悠々自適…吊るせ!



[32削除理由]:削除人:言葉使い

07. 2015年2月10日 12:23:09 : S5x92vtVgU
>>01
>2号機と4号機の爆発シーンをみたことがないのですがそれはなぜ?かくしているの?

2号機はドーナツ状の圧力抑制室で爆発が起きたといわれている。だから直接の爆発映像は
ない。このとき津波の水があったので、水越しに排気されたので作業員全員の死亡を免れた
と言われる。1号機と共用の排気塔では、毎時数十シーベルトという近くによると数分で
死ぬといわれるほどの汚染がある。もし津波の水がなかったら、作業員の即死により、
冷却作業の続行は不可能になり、東日本は消えてなくなっていた。実は、その先にも
悪魔の連鎖というものがおこり、日本完全終了かつ北半球自体の危機も迫っていた。
近藤駿介氏は「本当の最悪」は分析しなかったと言われる。分析しても意味はないからだと
言ったそうだ。

4号機も偶然事故時に行っていた工事が遅延していて原子炉ピットに水があり、その水が
地震の揺れかなにかで使用済み燃料プールに流れ込み使用済み燃料の空焚きを防いだと
言われる。驚くほどの幸運がここでもあった。

次の事故では、こういう幸運は起こるまい。完全な日本の終了となる。


08. 2015年2月10日 15:55:54 : r9oYPs9qlM
もう終わった良かった良かったな話じゃないんだよな。
現在進行形で、というより、今から本当の被害があらわになっていくんだよな。


9. アベノモックス[181] g0GDeINtg4KDYoNOg1g 2016年3月14日 00:19:12 : 8ETV6Iv29k : U8iHccmeCiY[1]

>作家の立花隆氏が「圧倒的に情報量が多い。内容的にも最良」(2013年7月11日号)と絶賛した。

酷いね。

当初から4号機燃料プールの危機がNRCと東電の共通認識だったというのに、立花は知らんぷりか。

圧倒的に情報量が2号機に偏りすぎ。とてもではないが内容的にも最良とは言い難い。


>菅の演説が終わった直後の午前6時10分ごろ。1号機が全電源喪失して86時間30分あまりがたったときだった。福島第一原発の1、2号機の中央制御室は、ドーンという異音とともに下から突き上げられるような異様な衝撃に襲われた。計器盤を監視していた運転員の一人が叫んだ。

>「サプレッションチェンバー(圧力抑制室)が落ちた」

堕ちたのは立花隆とNHK。

当初から疑問視されていたその2号機爆発音は、4号機のものだったと訂正されています。

先日の『プロメテウスの罠』では、『2011年3月14日。 ・・・・・・ この日午前11時1分、3号機が水素爆発。翌15日午前6時14分、今度は4号機が水素爆発』となっています。


【2号機最悪説の説明二転三転まとめ、整合性に疑問が噴出しながら4号機の危機隠蔽に必死な東電】

・2号機圧力抑制室爆発による汚染がF1放射性物質漏洩のほとんど
 ↓
・2号機ベント成功による汚染がF1放射性物質漏洩のほとんど、圧力抑制室爆発はなかったと撤回
 ↓
・2号機ベント失敗で格納容器蓋の隙間から漏れたのがF1放射性物質漏洩のほとんど、ベント成功はなかったと撤回
 ↓
・2号機格納容器弁の不具合とかグダグダ説明するも、これまでの説明の変遷を見るに眉唾としか思えず

以下引用


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160226-00000013-asahik-soci
(プロメテウスの罠)「明るい未来」:7 2週間で7キロやせた
朝日新聞デジタル 2月26日(金)16時0分配信 (有料記事)

 2011年3月14日。
 東京電力福島第一原発1号機の爆発を受け、福島県双葉町の大沼勇治(39)は妻・せりな(40)を連れ、会津若松市の妻の実家に身を寄せた。
 南相馬市の病院に入院中だった母・恭子(74)の避難先も確認でき、ひと安心した。
 この日午前11時1分、3号機が水素爆発。翌15日午前6時14分、今度は4号機が水素爆発。放射能って何なのか、よく分からなかった。勉強してこなかったことを悔いた。
 15日午後、会津若松市内の会津大学で被曝(ひばく)検査の申請をした。
 検査待ちの長い行列が伸びている。……
本文:1,819文字


http://img.asyura2.com/x0/d3/1458.jpg
3号機燃料プールを遥かに超える4号機燃料プールの崩壊熱


10. アベノモックス[182] g0GDeINtg4KDYoNOg1g 2016年3月14日 00:46:06 : 8ETV6Iv29k : U8iHccmeCiY[2]
>2号機原子炉建屋から上がる白煙。2号機は爆発は免れたものの、1~3号機の中で最も大量の放射性物質を排出したといわれている 写真:NHK
>「圧力は!」
>「サプチャン、圧力……ゼロになりました……」
>サプレッションチェンバーと呼ばれる圧力抑制室の圧力計がゼロを示していた。そして午前6時14分。免震棟は、突然、衝撃音とともに激しい縦揺れに襲われた。
>その瞬間、解析担当者は思った。
>「ついに2号機の格納容器が壊れた」
>誰もが2号機が爆発したと思った。膨大な放射性物質が一気に漏れ始めると感じた。奇妙な静寂の中にあった免震棟が、再び大きな混乱と喧噪の渦に包まれた。


上記のこれ、全部ダウトですね。

この日の午前中に今中哲二氏は「格納容器がない4号機プール爆発で、もうチェルノブイリになった」「2号機ではない」と断言しています。

慎重なはずの核技術者が、「もうチェルノブイリになってしまっています」と断言するほどですから、余程のことであったことが分かります。

そしてその3.15当日の専門家の指摘通り、実際にチェルノブイリ級の汚染をしたわけですから。

日本の法律の1ミリシーベルト基準を適用すれば、首都圏を含む数千万人が避難しなければならない事態に現実に、本当にそうなったということです。


以下引用


その日のあとで 〜フクシマとチェルノブイリの今〜
https://www.youtube.com/watch?v=t_dGNxWfKLA
http://www.dailymotion.com/video/xjjrsx_20110626-その日のあとで-フクシマとチェルノブイリの今_news
https://www.youtube.com/watch?v=A5BOSdfVFDA
https://www.youtube.com/watch?v=bT7LSdJj2vQ


http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/158.html
再来年どころか、すでにもう東京はチェルノブイリ級の放射能レベルにある(リンク紹介)

http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/307.html
【重要】福島原発事故、公式にチェルノブイリ超え認定!米政府当局が発表!福島18.1京ベクレル、チェルノブイリ10.5京ベクレル !


11. アベノモックス[183] g0GDeINtg4KDYoNOg1g 2016年3月15日 01:24:11 : wvlIjhVRYA : EUu1s6JgLzs[1]

>そして午前6時14分。免震棟は、突然、衝撃音とともに激しい縦揺れに襲われた

3.15、フクシマ最悪の日から5年になりました。改めて確認しておきますが、午前6時14分のこの大爆発は2号機ではなく4号機のものです。

4号機は6時台に爆発、9時台に火災、そして放射線の急上昇で菅総理の緊急メッセージ。

4号機の放射線源は燃料プールにしかありませんでしたから、水位低下での燃料露出によるジルコニウムからの水素発生とペレットからの放射性物質大量飛散が起きたことは確実です。

「直ちに健康に影響はない」とばかり言ってきた枝野官房長官でしたが、この4号機の放射性物質大量飛散ではついに「身体に影響を及ぼす可能性があることは間違いない」と言わざるを得なくなりました。

今は最悪のケースのひとつが既に起きてしまった後の世界でして、辛うじて倒壊による冷却不可能なケースが防げたというのが実情です。

下記ブログ引用のニューヨークタイムズ放射線量グラフ中の2号機爆発も4号機ということになりますが、注目すべきは『実は1度目の火災が鎮火していなかった可能性を報道陣から指摘されると、大槻課長は「放射線量が高くて現場に近づけず、確認できない」と釈明した』という点で、当然ですが、とてもではありませんが人が近づける状況になかったようです。


以下引用


http://www.kantei.go.jp/jp/kan/statement/201103/15message.html
菅総理からの国民の皆様へのメッセージ
平成23年3月15日(火)

1号機、3号機の水素の発生による水素爆発に続き、4号機においても火災が発生し、周囲に漏洩している放射能、この濃度がかなり高くなっております。今後、さらなる放射性物質の漏洩の危険が高まっております


https://www.youtube.com/watch?v=Di7WqSgQCUU
菅直人総理大臣の国民へのメッセージ2011_3_15福島第一原発4号機も火災


https://www.youtube.com/watch?v=sdcibnfqCQc
枝野官房長官 放射能漏れで人体への放射能の影響があると公表。


http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103150154.html?ref=recc
3号機付近400ミリシーベルト「身体に影響ある数値」
2011年3月15日11時49分
 定期検査のため、運転停止中の福島第一原発4号機で15日午前6時ごろ、大きな音が発生した。東京電力が確認したところ、原子炉建屋の5階屋根付近に損傷がみられた。午前9時38分ごろ、原子炉建屋4階北西部付近に出火を確認した。

 枝野幸男官房長官は午前11時過ぎの会見で、火災について、貯蔵してある使用済み核燃料から水素が発生して、水素爆発を起こした可能性があると述べた。

 また、福島第一原発2号機と3号機の間で毎時30ミリシーベルト、3号機付近で毎時400ミリシーベルト、4号機で毎時100ミリシーベルトの放射線を測定。枝野官房長官は「4号機の(火災の)影響が大きいとみられる」とし、さらに「身体に影響を及ぼす可能性があることは間違いない」と述べた。


http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65784723.html
2012年01月10日08:17に投稿
小出裕章が4号機倒壊を心配 「(倒壊すれば)250キロというようなところも、膨大な汚染を受ける」

小出「え……1号機も3号機もオペレーションフロアーと私が、私たちが呼ぶ、最上階の部分で爆発が起きて」

水野「ええ」

小出「はい。いわゆるまあ体育館のようなどん長の部分が吹き飛んでいる、のですが」

水野「はい」

平野「ふむ」

小出「4号機だけはそうではないのです。そのどん長の部分も吹き飛んでいるし、さらにその下の、1階、さらにまたもっと下のもう1階分ぐらいのところの建屋が爆発で吹き飛んでいる、のです。実はだからそこに使用済燃料プールが埋めこまれている場所というところが、すでに爆発で破壊されてしまっているわけで。え……いつ、使用済燃料プールが崩壊してしまうかがわからないという、そういう状態が3月15日でしたでしょうか」

水野「ええ」

小出「4号機の爆発以降ずうっと続いている、のです」


http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/711.html
菅直人は4号機の真実を公開していた『雨晒しの燃料棒の写真』 英国日刊紙The Daily Mail


http://godmothers.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-63ed.html
2011-03-27
ニューヨークタイムズの放射線量グラフで4号機の火災を検証してみた

まず、グラフからも分かるとおり、15日、一番大きなピークがあり「Fire near Reactor No.4」とあります。これは、4号機から火災が発生したことを意味しています。この火災が原因で起きた放射能漏れはどうだったか、16日の読売新聞にこうあります(2011年3月16日12時45分 読売)

1度目の火災は、15日午前9時38分に発生し、東電は同日、「午前11時頃に自然鎮火した」と説明したが、大槻課長は16日、「社員が、目視で炎が見えないのを確認しただけだった。申し訳ない」と謝罪した。実は1度目の火災が鎮火していなかった可能性を報道陣から指摘されると、大槻課長は「放射線量が高くて現場に近づけず、確認できない」と釈明した。
東電によると、火災確認後、社員が2度消防に通報したが、つながらなかったため、放置していた。

 火災状況を調べたついでに、東電の管理ミスの記事が出てくるとは思いませんでした。結果的には、この火災による放射能漏れが一番値が大きく、この時点で何らかの手を打てば次の火災ににはつながらなかったのではないか、と悔やまれます。そして、二度目についてはこうあります。

2度目の火災は16日午前5時45分頃、4号機の原子炉建屋から炎が上がっているのを社員が確認。午前6時20分に消防に通報した。
東電によると、福島第一原発では通常、協力企業の社員を含めて約800人が作業を行っているが、被曝の危険性が増した15日、70人を残して福島第二原発などへ退避させた


12. 2017年5月12日 18:25:30 : jkufVYjXbg : lTLNCaAgBIE[10]
国際派日本人養成講座


No.724 福島の英雄たち

>
http://blog.jog-net.jp/201111/article_3.html抜粋


 自衛隊、消防庁、警視庁などの無数の英雄たちが、身を呈して福島第一原発事故の収拾にあたった。

(以下略) 


13. 2017年5月12日 18:31:59 : jkufVYjXbg : lTLNCaAgBIE[11]
たむごんの白熊ニュース

原発事故の議事録不作成、菅直人が歴史的な犯罪者として確定した瞬間。

2012/01/23
http://portirland.blogspot.jp/2012/01/blog-post_23.html抜粋


やりやがったなの一言です。

噂と思っていた(3月の官房長官会見と5月の産経新聞でも取り上げられています)のですが、まさか本当に議事録を作っていなかったとは(隠してるだけか?)

この件は、海外にも伝わっており、録音もできないのか?と強烈に避難されています。

事実とすれば、菅直人や菅内閣の閣僚は、この瞬間、完全に世界史に残る犯罪者になりました。

記録を抹消したからです。

(以下略)



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