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「福島原発事故の戦犯の罪、個人名を明らかにして負うべき」倉本聰さん
http://ameblo.jp/takumiuna/entry-11975023016.html
January 09, 2015 かばさわ 洋平
ドラマ「北の国から」の脚本家で倉本聰さんが福島原発事故を題材にした舞台「ノクターン−夜想曲」を再演されます。倉本さんによるロングインタビュー記事が今週の赤旗日曜版に掲載されました。原子力によるふるさと喪失は原子力の棄民であると、さらに福島原発事故の罪は加担した政治家、財界人、科学者たちが、個人名を明らかにして負うべきものだと語られてます。
赤旗 1/11
3.11の後、僕は福島をずっとみて歩きました。事故後、患者さんを置いて逃げ、また戻ってきた看護師さんに、そのときの心境を追跡取材しました。原発労働者や地元新聞記者にも話を聞きました。看護師さんは、「逃げてる間の後ろめたさといったらなかった」とおっしゃっていました。
今回、僕がこの芝居で書きたかったのは、天災と人災に巻き込まれた人間たちの、その中で必至に生きようとしたすばらしさなんです。利己的なことのために仲間を裏切ったり自分の正義を捨てた人間が、そのことに悩み苦しみ、人間として生き直す姿なんです。
わずか4年前の原発事故。当時、世界をあれだけ震撼させた悲劇の記憶が、当時国である日本で、こんなにも早く風化し始めていることに、僕は激しい憤りと悲しみを感じます。
東京オリンピックを招致したいために、この国の宰相が、「原発はコントロールされている」と笑顔でぬけぬけと言い放つ。メルトダウンの始末もつかないまま、政府や財界が原発再稼働へ舵を切り、原発輸出さえしようとしています。
事故のあと、立ち入り禁止である双葉、大熊、浪江、富岡の各町を歩かせてもらいました。人っこ1人いない中、道路にイノシシや牛が歩いていました。ローンを払いだしたところだなという真新しい家もありました。古い家だと先祖の写真が掛っていました。家があるのに帰れない悲惨さを思うと胸がしめつけられます。
僕は前に「昨日、悲別で」というドラマで炭鉱の棄民を書きました。今度は原子力の棄民です。賠償金では償いきれない記憶や思い出、感情の集積。それが「ふるさと」です。
「ふるさと再生」と口では言いながら、東北被災地の始末もつけないで原発再稼働などと言っている政界・財界のお歴々は、「ふるさと」という言葉の重みが本当にわかっているのでしょうか。それを奪い取った戦犯の罪は、それに加担した政治家、財界人、科学者たちが、個人名を明らかにして負うべきものだと思います。
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