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「何で俺が来たと思っているのだ」原発作業員に向けた激高 政府の原発事故調・検証委の調書で浮かぶ「イラ菅」と政府の混迷ぶり
http://www.sankei.com/premium/news/141228/prm1412280018-n1.html
2014.12.28 12:00 産経新聞
東京電力福島第1原発事故で政府の事故調査・検証委員会が関係者から当時の状況を聞いた「聴取結果書(調書)」は、政治家や官僚、専門家など、これまでに202人分が公開された。吉田昌郎(まさお)福島第1原発所長の「吉田調書」で判明した現場の奮闘ぶりとは対照的に、公開された調書から浮かぶのは混迷する政府、及び腰の保安検査官、現場を乱す菅直人元首相の「イラ菅」ぶりだった。主な調書から事故の対応を振り返る。(「吉田調書」取材班)=肩書は当時
■海江田万里経済産業相
【事故直後の首相】
《菅直人首相が3月11日午後7時3分に原子力緊急事態宣言を行う。これに先立ち海江田万里氏は官邸に報告に出向いていた》
(菅首相は)とにかく「大変なことなのだ、わかっているのか」ということを何度も言ったことは確か。「大変なことになる。大変なことになる」と何度も。「いや、大変なことだから来たんだ」とよっぽど言おうと思ったが、そこはぐっとこらえた。
【ベント】
《12日未明から東電は1号機のベント(排気)準備を始める》
どうすればいいのかという話になり、そこでまずベントをやって圧力を逃がすということだという話で、そのとき「ベント」というのは初めて聞く言葉で、申し訳ないけれども。では、とにかくベントをやってくれと
《ベント実施が決まってもなかなか実行できない状態が続いた》
いらだちという言葉がいいかどうか分からないけれども、とにかくなんでベントができないのだろうかとずっと思って現場に電話した。吉田昌郎所長と直接話し、「とにかくベントをやってくれ」「わかりました。全力でやります」とのことだった。
【撤退問題】
(最初に聞いたのは)私の記憶では、清水正孝社長からの電話。秘書官経由で。覚えているのは「撤退」ではない。あれは「退避」という言葉。第1原発から第2原発への退避。そばにいた人に第1から第2へ行ったらどうなるのか聞いた。そうすれば第1原発は5、6号機も全部爆発だと、そう聞いたから、それは無理だと言った。
厳しい状況は分かっているから、「なんとか残って下さい」と言ったと思う。そうしたら「そうですか」みたいなやりとりで、「絶対だめだ」とかそういう言い方ではない。急性被(ひ)曝(ばく)の可能性もあるから、こちらも非常に深刻だった。
■池田元久経産副大臣
【首相の現地視察】 《政府の現地対策本部で本部長を務めていた池田元久氏は、3月12日朝に菅直人首相が現地を訪れるとの連絡を受ける》
これは困ったなと。未曽有の災害対策としてこれはまずいと。人命救助は(生存率が急激に下がる発生から)72時間が鉄則ですよね。だから72時間は人命救助に努力すべきだと。
《それでも強行した菅首相はいらだっていた》
イラ菅で有名だが、この日は特別なものがあって…。バスに乗り込んだら、武藤(栄東電副社長)さんにいきなり怒鳴りつけて、何が何だか分からない。
今度は免震重要棟に入った。そこで交代勤務だと思うが、作業員の人が大勢いた。中には上半身裸というか、除染などの人だと思うのだが、大変だなと思った。その前で菅氏はなんと言ったかというと、「何で俺がここに来たと思っているのだ」と言った。これには呆(あき)れました。
一般の人の前で言ったので、イラ菅にしても今日はひどすぎると思った。秘書官なんかもみんなびっくりしたと思う。つまらないことで怒鳴ってみたり、終始ひどかった。大荒れだった。
菅氏の態度については大変遺憾だと思う。特に民間人に「一体何のために俺がここに来たと思っているのだ」は本当に呆れた。
非常に遺憾なのは、(菅首相は)打ち消しにかかって「あの日以外はほとんど冷静だった」と朝日の記事で言わせたり。ということは、あの日は激高したということでしょう。
■安井正也資源エネルギー庁部長
【3月13日の状況】
朝方、3号機の(原子炉を冷却する高圧注水系)HPCIが停止し、水位が下がり始めたと報告がきた。HPCIが停止して2時間以上経過して(報告が)上がってきた。注水が停止したという一番重要な情報がくるのがあまりに遅すぎると思った。
《その後、安井正也氏は平岡英治原子力安全・保安院次長に代わり官邸で状況説明を行う》
政治家の関心は「3号機も1号機と同じく水素爆発するか」だった。私は「大規模な爆発が発生する可能性がある」と説明した。班目(春樹原子力安全委員会)委員長も何か発言していた。少し楽観的な意見という記憶がある。「もう少しシビアサイドに事態を判断すべきでないか」との印象を持った。
官邸到着直後、3号機の海水注入が開始されたと報告が入り、それを聞いた班目委員長は「バンザイ、助かった」と興奮し、妙にハイテンションになっていた。通常であれば安全委委員長という立場は重く、その意見は尊重されるべきところだが、官邸全体に班目委員長をリスペクト(尊敬)する雰囲気はなく、何か意見を言っても尊重されている状況でなかった。
【2号機のベント】
《14日には2号機はベント(排気)の弁を開けることが難航し危機が迫っていた》
2号機への注水が難航している状況について菅総理に説明を行った際、菅総理から「銃で格納容器や弁を撃ち抜くということも考えたか」と言われた。
専門家からすればびっくりするような案だが、実現可能性を別として考えれば格納容器から大気中に抜け道を作るという意味ではベントと同じ理屈であり、菅総理がそこまで考えていたのかと思った。
■近藤駿介原子力委員会委員長
《近藤駿介氏は事故の最悪シナリオを試算した。シナリオは、1〜3号機のいずれかで再び水素爆発が起き、原発内の放射線量が上昇。冷却作業が長期間できず、4号機プールの燃料が全て溶融したと仮定したものだ。チェルノブイリ原発事故の強制移住地域並みの汚染が半径170キロ圏に広がるという結果だった》
【最悪シナリオ作成経緯】
3月22日に総理執務室で菅首相から「そろそろ事故状況が落ち着いてきたから、最悪シナリオを考えてくれ」と言われた。私からは、今起きていることがまさに最悪のことと思うが、現状でさらに都合の悪いことが起きたらどうなるかということでよければ、2、3日で何か用意してみましょうと伝えた。
本来であれば、そのような最悪シナリオは(4号機が水素爆発し、2号機の圧力が低下した翌日の)16日の一番危機だった時に作るべきなのにと思った。
25日夕刻には、このメモを細野豪志首相補佐官に提出した。原子力安全委員会にも作業の進捗(しんちょく)に応じて説明し意見を求めた。メモに個人名を記したのは、原子力委員会として審議・決定したものではなく、私の責任で事務局に指示して作業したものであるからだ。
不測の事態に対処するためにこのシナリオを検討したのであって、仮に公表するのであれば、書きぶりについてもう少し考えなければいけないと思っていた。シナリオは原子力委員長としてではなく、私個人として、現場で指揮する細野補佐官に対して、原発事故対処に際して何を注意すべきかということを伝えるために作ったもので、公表を前提としたものではない。
■原子力安全・保安院現地事務所副所長
《経済産業省原子力安全・保安院の福島第1原発保安検査官事務所副所長は匿名を条件に調書の公開を認めた》
【検査官の再派遣】
地震発生当時、定期検査で保安検査官6人と本院補佐1人と福島第1原発にいた。4人の保安検査官と本院補佐を敷地内にとどまらせ、所長と私はオフサイトセンター(OFC)立ち上げに向かった。
残った4人の保安検査官と本院補佐は免震重要棟にいたが、翌3月12日にはOFCに戻ってきた。敷地内の放射線量が上昇し、身の危険を感じたためであり、彼ら自身の判断だったと聞いている。その後、現地対策本部から所長に、保安検査官を第1原発に再度派遣するようにとの指示があった。
所長への指示は「現地に保安院関係者が誰もいないというのはあり得ない」という海江田万里経産相の意向を受けたものであるということだった。
これを受け、所長は4人の保安検査官が2人ずつの班に分かれて12時間交代で免震重要棟に詰めて、情報収集に当たる体制を考案した。第1原発周辺の線量上昇で、OFCと第1原発を行き来することは危険だったので、情報収集にあたる4人の保安検査官全員が第1原発に派遣された。
この決定を受けて、保安検査官7人で協議した結果、4人の保安検査官が再度派遣されることになった。うち3人は再派遣は仕方ないという感じであったが、1人は「保安検査官が現地に行ってもどうにもならないであろう。なぜ行かなければならないのか」と再派遣に強く反対してた。最終的には所長が説得して4人の再派遣が決まった。
◇
■政府の事故調査・検証委員会 東京電力福島第1原発事故で政府が平成23年6月に設置した第三者機関。畑村洋太郎東京大名誉教授を委員長に、研究者や法曹関係者らで構成。事故原因や被害拡大防止対策などについて、菅直人元首相、海江田万里元経済産業相ら事故当時の政府関係者、東電幹部ら計772人を計1479時間にわたり非公開で聴取した。24年7月に最終報告書をまとめた。公開された調書は内閣官房のホームページに掲載している。
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