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「お母さん、動いてくれてありがとう」〜原発事故で少年が強いられた「被曝」「転校」、そして「給食」
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2014年12月22日(月)【鈴木 博喜】 NO BORDER
福島第一原発の爆発事故で被曝や転校を強いられた伊達市の少年(11)が、学校生活や放射能汚染に対する想いを1年8カ月ぶりに語ってくれた。考えたくない放射能。福島県産の米を避け持参するご飯。そして母親への感謝─。「原発のせいで学校も友達も奪われた」と憤る少年はしかし、大好きなお母さんにこう言った。「被曝回避のために動いてくれて、ありがとう」
【「何で原発があるんだろう」】
「友達がたくさんできたよ。学校が楽しい。側溝とかヤバそうなところには近づかないようにしているけれど、外で遊べるしね」
少年の目が輝いていたことに、私は少しだけほっとした。
福島第一原発の爆発事故で避難・転校を強いられたことを、少年は「一瞬で学校も友達も奪われた」と振り返った。通っていた小学校では、放射線量が3ケタになることもあった。通学路も高濃度に汚染され、母親は福島県外への避難を口にするようになった。何度か転校を勧められるたびに、当時7歳の少年は「絶対に嫌だ」と号泣した。幼いわが子の抵抗≠ノ母親も泣いた。
まずは比較的放射線量の低い地域へ引っ越した。小学校へは、市が用意したタクシーで通った。そして昨年4月。4年生への進級を機に、通い慣れた小学校を離れることを決めた。「本当は、転校なんかしたくない」。転校を控えた春休み、やや緊張気味に話していた。あれから1年8カ月が経過した。少年が新しい学校できちんと居場所を作っていたのが何よりだった。
「もちろん、転校なんかしたくなかったよ。でも、お母さんのことは全然恨んでいないよ。人じゃなくてこういうことになった状況を恨んだかな。何で原子力発電所があるんだろうって」
少年は分かっていた。両親が放射線防護をしてくれていることを。「もっと宅地除染を」と、自分たちのために行政と闘ってくれていることを。「もちろん、ここだって決して放射線量が低いわけではないと思う。でも、今まで住んでいた場所よりはうんと低いから」。決して多くは語らない。iPadを操作しながらだが、それでも、次の言葉だけは私の顔をしっかりと見つめて言った。
「お母さんには感謝してるんだ。もしこれが逆だったら『どうして避難させてくれなかったの?』って思ったかもしれない」
少年が通っていた小学校は、除染後も側溝は1μSv/hを超えていた
かつての自宅周辺には仮置き場が次々とできた=いずれも2014年1月撮影
【学校給食のご飯は食べず持参】
日常生活では、放射能について考えないようにしているという。「だって、考えちゃうとここで暮らせなくなるじゃん」。しかし、否応にも被曝の問題が少年に迫ってくる。その一つが学校給食だ。
伊達市は、地産地消を推進する観点から、学校給食に福島県産の米を使っている。仁志田昇司市長は、原発事故直後の2011年6月の時点で「伊達市民が福島県の農業生産者の作る作物を信用できないとなれば、他県民が信用できるはずはないのではないでしょうか」、「当然使う福島県産の食材というのは検査されたものであって、大丈夫なものなんです」などと市議会などで発言。安全性を強調してきた。公表している検査結果も「検出せず」。しかし、少年は母親の用意したご飯を持参し、おかずだけを他の児童と同じように食べている。
「理解してくれる友達もいるけど、でも放射能が理由で給食のご飯を食べないとは言えないな。尋ねられたら、仕方ないから『ちょっと家庭の事情で…』と答えるようにしてるんだ」
難しい大人の事情は分からない。でもどうして、わざわざ福島の食材を使うのだろうという素朴な疑問は晴れない。せっかく被曝の心配が低い土地に移り住んだのに…。「まるでいじめだよ」。ぽつりと放たれた少年の言葉に、私は言葉を失った。「行くところ行くところ悪いようにされて、俺の日頃の行いが悪いんじゃないかって思うよ。ここが駄目なら福島県外に行くしか無くなっちゃう」。
それでも少年は、ご飯持参をやめない。牛乳も飲んでいない。
「やめないよ。お母さんの言う通りにしていれば安全なんだ」
「市民に寄り添う」と言い続けている仁志田市長は、少年の言葉に何と答えるだろうか。
伊達市は地産地消を推進する観点から、学校給食に福島県産の米を使用している。仁志田市長は「検査済みで安全」と胸を張るが、少年はご飯持参を続けている。上は伊達市役所のモニタリングポスト。
【現実は現実として受け止めたい】
放射能のことなんて考えない方が良いに決まっている。今年9月、山形県での保養プログラムに参加した時は、スタッフが一度も「放射能」という言葉を口にしなかったことがうれしかった。地面に寝っ転がることもできる。「本当に開放感があった」と笑顔を見せた。
「もちろん、現実は現実として受け止めなければいけないと思うんだ。汚染をまったく気にしていない親もいるしね。だから、こういう取材を通して多くの人にきちんと考えて欲しいんだ」
実は一度、市教委に直接、電話で抗議をしたことがある。転校を決断した背景には、行政によるタクシーの通学支援打ち切りがあった。しかし、渋々ながら転校を決めた直後、市側は決定を翻して通学支援の継続を決めてしまった。「通学支援が無くなるというから転校を決めたのに…」。身勝手な大人への怒りは今も収まらない。
汚染の度合いは以前の住まいよりも低いとはいえ、手放しで安心できる状況ではない。通学路や学校周辺でホットスポットが見つかることも珍しくない。幼心に、それは十分に分かっている。「この辺りは全体的に放射線量が低いから、除染をきちんとやれば住めるようになるとは思う」。だから、行政に除染を求める母親の姿は頼もしく映る。「でも、たまには放射能のことを忘れて僕と話しをしたり一緒にテレビを観たりして欲しいな」。新しい学校にすぐに馴染めたのも、友達をわが子と同じように扱ってくれる母親の存在が大きかったという。
「お母さんのこと、大好きだもんね」という私の言葉に、少年は小さくうなずいた。愛犬が少年に飛びついた。
(鈴木博喜/文と写真)
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