http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/416.html
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パレスチナ・ガザの人権活動家で弁護士のラジ・スラーニ氏が飯舘村を訪れた。
ラジ・スラーニ氏は、「ある意味で、これはガザなのだと思いました」という。
・ガザの難民同様、大きな力により故郷を無理矢理奪われたこと。
・にも関わらず大きな不正に対する責任の追及が欠如していること。
東京での講演の最後に、戦火の中でも失わず支えとしてきたことについて語った。
「私達が失わなかったものが一つだけあります。
『人間としての尊厳』です。
誰であれ、私達の「根」を故郷の大地からは引き抜けません。
人々の根を引き抜くことは簡単なことではありません。
私達が根を上げることなどありません。
農場というのはただ単に土地を耕し作物を育てるだけの場所ではありません。
人生の基盤を形作る出来事が起こる場所です。
そこは私の人生で一番すばらしい記憶が眠る場所でした。
しかし二度と行くことができない場所となりました」
・生まれ育った故郷を、そう簡単には諦められないこと。
・パレスチナの抵抗運動のように屈せず声を上げる人もいること。
スラーニ氏は述べる。
「私達は沈黙という罪を破り、どんな権力に対しても自粛したり、
政治的な自己規制などしない強さを持たなければなりません。
これが人間という存在への謙虚さです。
私達人間としての尊厳であり、使命なのです」
「声も上げず、なすがままにされる、
加害者にとっての“善き犠牲者 good victims”にはなれません。
善き犠牲者にはなりません!
拒否することは人間として大切なことだからです」と。
日本を離れる間際に、
あの世界最大の天井のない監獄とも呼ばれるガザに帰る際にこう述べた。
「帰れる私はとても幸せです」と。
この言葉をどう解釈するかは各人の自由であろう。
かえせふるさと飯舘村 原発被害糾弾 飯舘村民救済申立団のホームページ
http://kyusaimoushitatedan.jimdo.com/
ドキュメンタリー『飯舘村』土井敏邦
http://doi-toshikuni.net/j/iitate/
『飯舘村 第一章 故郷を追われる村人たち』
http://www.youtube.com/watch?v=FmrfiF4nQBE
「だって牛に食べさせて貰ってたんだもの、48年間。夢も希望もなくなった」
「俺らが離れるっていうことは先祖は置いていくんですよね、
お墓にそのまま。で、自分の居る場所がなくなって」
「そんなに村に対して愛情があるとは私は思ってなかった、自分でも。
実際追われる身になってみないと芽生えないのかもしれない、この気持ちは」
ガザに「根」を張る(飯舘村訪問の箇所は 33:48〜44:05)
http://www.youtube.com/watch?v=Nkf-RjQr9-k&t=33m48s
http://www.youtube.com/watch?v=Nkf-RjQr9-k
こころの時代〜宗教・人生〜ガザに「根」を張る
http://www4.nhk.or.jp/kokoro/x/2014-12-07/31/22641/
スラーニさんは、土井敏邦さんの案内で飯舘村を訪れました。
〈ナレーション〉
飯舘村。
原発事故により激しく汚染されたこの村は、
今もなお全域が避難指示区域とされ
村を離れた住民が一時的に家に戻る時も宿泊は許されていません。
住めなくなった杉下さんの家の周囲は
いまだに高い放射線量を示しています。
(放射線量計を見て)〈土井さん〉
92ですよ。もう、すぐに離れないと 危ない
〈杉下さん〉
この家は、もう諦めざるをえない。
まわりの人が誰も戻って来ないというのが分かりました。
自分だけが戻っても、もう生活が成り立たない。
土地と家を失う、というよりも、家族とまわりのコミュニティー、
絆が分断されますんで、もう何とも言い難いですね。
言葉にはちょっと言い表すことができませんね。
〈ナレーション〉
この日一時帰宅した酪農家の長谷川健一さんは、
閉鎖した牛舎にスラーニさんを案内しました。
両親が開拓農家としてこの地に入り、力を合わせて築いた生活の糧。
50頭まで育て増やした牛は、自らの手で処分しました。
〈長谷川さん〉
これは牛の管理表。
牛を処分する、屠畜させる順番を息子が決めた。
この今回の原発の事故というものは、
どんどんどんどん風化させよう、しようとしている。
また国でもどんどん風化させようとしている。
それにやっぱりマスメディアも一緒になって、なるべく報道はしないと。
そういう風な状況だから、まあ、日本人としては、
どんどんどんどん今忘れて、去ろうとしている。
更に今度は、何故かしら日本の国民的な人当たりのせいなのか
そのへんはよく分からないんだけども、おとなしすぎる
皆じっとやっぱりあの我慢している、ていうか。
まあそれについても、我々ももういい加減にしろと。
我々に対してそういうことやんなよと。
おとなしくしてなさいよと、そういう風な態度というか、
言ってるようにしか我々の目には見えない。
飯舘村怒ってんだぞと。
このまま黙っていたんでは駄目だと、
とにかく声を上げることの大切さというものを
みんなに分かってもらいたいなと、そう思います。
〈ナレーション〉
スラーニさんが訪ねてから一か月後の11月14日
飯舘村で村民が立ち上がりました。
酪農家の長谷川さんが代表となり、原子力損害賠償解決センターに
東京電力の謝罪と損害賠償の支払いを求める申し立てを起こしたのです。
名を連ねたのは全村民のおよそ半数に達しました。
(ラジ・スラーニ氏)
飯舘村は私の知る中でも最高にすばらしい場所の一つです。
耳をすませば、鳥がさえずり、木の葉のざわめきが聞こえます。
全てが完璧な世界です。
ただし、人間の姿が消え失せ、そこに入ることができないことを除いては。
ここも人々の生活の根が破壊された場所です。
私は大きなショックを受けました。
もちろん津波や地震もありましたが、問題はここに原発があったことです。
私は人々に尋ねました。
誰か謝罪しましたか、
答えはいいえ。
この罪について誰か責任を問われた人はいますか。
いいえ。
私は、ある意味で、これはガザなのだと思いました。
飯舘村の人々は、疎外され、無視され、放り出されていると感じています。
ガザにあるような難民キャンプではありませんが、
この日本にもある意味で難民キャンプがあるのだと思いました。
日本にも故郷を追われた難民のような人々がいるのです。
私が会った方たちは、はっきりと、法の裁きを求め、
法の正義を望むと話していました。
私が考えるに、ガザと福島はコンセプト、置かれている構造が似ています。
そこには、アカウンタビリティ、つまり責任の追求が欠けているのです。
〈徐京植氏〉
福島の被害者の中に、この事態を心から悲しみまた怒り、
そして企業や国家の責任を追求する人達も存在します。
しかしその人達の声は隠されて届かないという現実があり、
またその人達以外の日本の人々がそれについて
真剣に耳を傾けない、関心を持たないという現実があるんですね。
だから貴方が仰ったようにアカウンタビリティを問うことができるか
どうかということが、今日本にいる人間に問われてる試練なんですね。
それがつまりヒューマンディグニティ、人間としての尊厳を
持って生きることができるかどうかということです。
この問題については私は残念ながら楽観的ではないんです。
(ラジ・スラーニ氏)
まず、政治のレベルで言えば、政治家は原発は安全だ。
決して事故は起きないと言ってきました。
ところが起きたのです。
他の原発で事故が起きないと言えるでしょうか。
政治家には責任があります。
次に学界やメディアなどですが、彼らは人々の良心を代表すべきです。
皆も求め続けるべきです。
法の支配が崩れれば、弱肉強食のジャングルの掟になってしまうからです。
国内レベルで責任の追求ができず、正義が実現しないのならば、
私は国際的な場においてそれを実現できる可能性があると
ここで申し上げておきたいと思います。
(ガザにまた帰って行くのですね、あと二、三日すれば)
帰れる私はとても幸せです。
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