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吉田調書・本当は何を語っているのか
吉田調書の「真実」――現場は何と闘ったのか〔1〕/門田隆将(ノンフィクション作家)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20141125-00010001-php_s-bus_all
PHP Biz Online 衆知 11月25日(火)9時38分配信
官邸への連絡の煩わしさ
これまで見てきてわかるように、地震発生以来、吉田氏はあらゆることに対処している。いずれも緊急を要することであり、しかも前例がなく、判断規準すらないにもかかわらず、即断実行が求められていた。事故への対応、目の前の事象の分析、部下への指示、さらには、官邸や東電本店からの問い合わせに対する回答……等々、多岐にわたっている。
それは、普通の人間なら、最も重要な「事故対策」に専念できないほどのものだったと言ってもいいだろう。
そのことを吉田氏本人は、どう思っていたのだろうか。
第五章(海水注入を巡る攻防)で紹介したように、海水注入問題のことを語る吉田氏の調書には、官邸や東電本店からの要求や指示を「全部雑音です」と切って捨てた箇所がある。
「雑音です。それを止めろだとか、何だかんだいうのは、全部雑音です。私にとってはですね。問い合わせが多いんです。今、どんな状況だと、だからサポートではないんですよ。(官邸への)報告のために何か聞くんで、途中で頭にきて、うるさい、黙っていろと、何回も言った覚えがあります」
その問い合わせになんらかでも意味があれば許せるが、それは吉田氏にとってみれば、“まったく意味をなさないもの”だった。
「論理根拠も何もないですから。そのときには、うるさいなと。私はそう決めていましたから、外から見ると、国会で何か騒いだりするものだから、大事件みたいに思っていらっしゃる人が多いんですけれども、そんな問題じゃなくて、単純に今、(海水注入を)止めたらえらいことになるから、ずっと続けるぞと思ってやっていたわけです」
この証言でもわかるように、東電本店から吉田氏への問い合わせの多くは、官邸から来る問いをあらためて吉田氏に聞くものだった。すなわち「問い」の発信元は、あくまで「官邸」なのである。
この時、ひっきりなしに問いを投げかけてきた官邸の政治家たちが、「全員撤退」問題をめぐる「詰め」や「確認」に関して、いかにお粗末であったかは、前章で取り上げた。
同時に、その彼らにきちんと「緊急対策メンバー以外の2Fへの退避」を伝えることができなかった清水社長もまた、「われを失っていた」のは、間違いないだろう。
吉田氏は、最後まで官邸との連絡に苦慮している。官邸からさまざまな問い合わせがあり、それに対応するために、度々、吉田氏の指揮はストップした。しかも、東電本店経由の問い合わせだけでなく、直接、官邸からも吉田氏に電話がかかってきたのである。
吉田氏は1号機の爆発以降、繰り返される官邸からの連絡に対して、こんな疑問も口にしている。
「何で官邸なんだというのがまず最初です。何で官邸が直接こちらに来るんだ。本店の本部は何をしているんだ。それから、保安院さんももちろんですけれども、そちら側でしょうという感じだったので、なぜというのはよくわからなかったんですが、いずれにしても、向こうからも電話がきますし、何かあったら連絡呉れという話があったので、とりあえずそれにのってやっていただけです。ずっとおかしいと思っていました」
本来、官邸から福島第一原発の事故現場の指揮官に「直接、連絡が入ってくる」というのは、あり得ない話である。戦争の時に、大元帥閣下から戦場の真っ只中にいる指揮官にいちいち指令や問い合わせが入ったらどうなるのかを想像してみて欲しい。
「あり得ないですよ。官邸と現場がつながるということ自体が本来あり得ないですよね」
吉田氏は調書の中で、以下に紹介するように、官邸との連絡について聞かれ、そう答える場面もある。妨害に近いようなさまざまな「雑音」の中で吉田氏は事故への対処をつづけていたのである。
調書には、吉田氏のこんな発言がある。
「そのときのいろんなパターンがあったんですけれども、細野さんにこちらから電話すると、細野さんが首相のわきにいて、安全委員長がいたりするようなところにもかかるときもありますし、細野さんが一人のところにかかることもあるというような状況だったんで、このときがどういう状況だったか。ここからはかけていませんから、向こうから回ってきたんで、多分、官邸で武黒(官邸にいた東電の武黒一郎フェロー)が携帯使えない、どこにいたか、私はわからないんですけれども、まずは■■(筆者注・■■は伏字。以下、同じ)か武黒だと思うんですけれども、電話取っていたとは思うんですよ。そこからだれかに回したか、武黒からの指示だったかは本当に記憶がないです」
さまざまな相手に吉田氏は、携帯から説明をおこなっているのだ。
「報告だとか、官邸の状況で、これはどうなんだという質問に関しては、細野さんと、細野さんが電話を代わって菅首相が出てきたというのもあります。ちょっと待ってください、菅がお話がありますからということで、菅さんが出て、1回だけ枝野さんが出てきたような記憶があります。それ以外で、それは2号機のもうちょっと後ですけれども、2号機の減圧注入のときにもろに出てきますけれども、班目先生が来たというのがあります。それで、中に安井さんが1回ぐらい登場したような記憶はあるんですが、それはここかどうかがわからない」
菅首相は、どうだったのだろうか。
「菅さんはどっちかというと質問です。水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかとかいうような御質問をなさっていたのが1点ですね。それから、菅さん自身が言っているのは、菅さんのわきに日比野さん(筆者注・日比野靖・内閣官房参与)という参与がいて、あと、福井大学の副学長がいて、BWR(筆者注・沸騰水型原子炉)の構造からいって、除熱をする、要するに、原子炉の熱を取るというときに、タービン側に回して熱を取れないのかと、蒸気をですね。ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明をし始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだったんだと思うんだけれども、るる、BWRの構造というのは、こういう事故時に、蒸気と言っても汚れた蒸気ですから、そういうものをタービンで冷やすということにはなっていなくて、事故時には格納容器を全部隔離して閉じ込めておくというのが設計の基本仕様だから、この段階でタービンの除熱機能だとか、タービンを介して復水器の取りつけなどは使えませんという御説明をしたと。それは菅さん経由で、菅さんのわきの参与に言った。それが2点でしょう。
4回ぐらい菅さんが出てきたんです。もう1点は、これはまた結構機微な話と言ったらおかしいんですけれども、警戒区域と避難区域、20km、30kmの話について、こう決めたけれども、所長はどう思うみたいな話をしてきたんです。知りませんと。こっちは事故操作であれなんで、どれぐらい飛散するかという話は、こちらで計算しているわけではないんで、申し訳ないけれども、そこはわからないということですね。本店なり、そちら側の解析しているところで評価してくれと、現場の判断ではないということは申し上げました」
官邸への説明のために、いかに吉田氏の手間が取られていたかがわかる。これが、事故と向き合って最前線の指揮を執っている人間に対する政府中枢の行動であったことに、愕然とする向きは少なくないだろう。
(次項:足を引っ張る「官邸」と「本店」/『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』より)
■門田隆将(かどた・りゅうしょう)ジャーナリスト
1958(昭和33)年、高知県生まれ。中央大学法学部卒。雑誌メディアを中心に、政治、経済、司法、事件、歴史、スポーツなどの幅広いジャンルで活躍している。
著書に『なぜ君は絶望と闘えたのか− 本村洋の3300日』(新潮文庫)、『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』(新潮社)、『甲子園への遺言』(講談社文庫)、『神宮の奇跡』(講談社)、『康子十九歳 戦渦の日記』(文藝春秋)、『甲子園の奇跡 斎藤佑樹と早実百年物語』(講談社文庫)、『屋根のかなたに 父と息子の日航機墜落事故』(小学館文庫)、『太平洋戦争 最後の証言(第1部〜第3部)』(小学館)などがある。 『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』(集英社)で、第19回 山本七平賞 受賞。
門田隆将
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