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初秋に少し落ち着いたかに見えた人口自然増の動向も、結局、地域によっては悪化が継続し、公表が始まった独自集計都市の2014/10月分の人口動態は顕著な悪化を見せているところもある。著名人の訃報も、しばらく高齢者が多かったが、また壮年期にある方の名が伝えられるようになっている。
著名人では、大学教員、研究者の訃報が多い。大学教員、研究者はどなたも著名人だから職業分野別の従事者数割合に比して訃報が報じられる割合が高いのだろう。だが、大学教員、研究者は学識経験者、教養の程度も高いはずなのになぜ放射能にリスクにもっと厳しく対処しなかったのかという疑問が残る。
それを考えれば、一般人が放射能の危険をないがしろにするのは、無理もないことなのかも知れない。
しかし、福島第一原発事故から3年半以上経過し、どんなにノーテンキな人でも、一度や二度は「放射能気をつけている?」と問われたことはあるだろう。鼻で笑って終わらせたかもしれないが、それは問題意識を持つ人がいるとの認識をした表れにほかならない。
誰しも、楽しくない話、嫌な話には付き合いたくない。ただ、放射能の話に耳を貸さない人でも、どこの学校が良くてどこが悪いか、どこの病院は技術が低くて次々人が死ぬなどという話には詳しかったりすることもある。
要するに、放射能の話を忌避する人は、放射能によるリスクを軽視、ないしは無視する姿勢を選択したのだ。
だから、30代の夫が突然死した後に、妻は夫がなぜ逝ったのか理由が知りたいと思うかもしれないが、誰が放射能が原因ではないかと言えようか。家族が急死した後に、悲嘆に暮れ、その原因に思いを巡らして、ようやく原因はあれかと気づく人は多い。
相手に嫌な顔をされながらも、折に触れて放射能によるリスクを説いていた人にとっては、無力感に打ちひしがれることになる。
そして、家族を失った人が、友人知人が、放射能で汚染された飲食物を必至の思いで回避していたのに、自分は何もしていなかったと悟るとき、その人の自責の念は深まる。
日本の社会は、放射能によるリスクを避けようとするか、しないかでは両極に分離しつつある。家族、友人、知人に助言、警告しても、彼らが回避策を取らないのであれば、もう仕方がないのではあるまいか。
ノイローゼになるような人がいる家系は、意外と長く続くのだそうだ。戦のとき、武勲を立てようと真っ先に駆け出していく勇気ある者より、物置の隅に隠れて戦が終わるのを待つ人のほうが生き延びる可能性ははるかに高い。
リスクに向き合う姿勢は、教養とはあまり関係ないようだ。もちろん、有効、適切な回避策を取るためにはそれなりの知識が必要だが、自分の日常生活を守る程度なら別にたいした知識はいらない。
情報源として新聞に頼る人は、新聞社の選択が生死を分けることもある。読売新聞や産経新聞はどちらかという安心論を強調している。保守的な論調の新聞で、そのような新聞を購読していること自体がリスクであるのに、それにも気付かない。
テレビが情報源の場合は最悪だ。私が、友人に放射能によるリスクを説くたびに、「テレビではいつも出演者が福島や東北の産物をおいしい、おいしいと言って食べている」と反論したものだった。「彼らはカネもらって汚染物食べている。私はカネを払って汚染されたものを喰いたくない」
この冬は寒そうだ。すでに死亡者数が前年同月を大きく超えているところも出ている。病院はすごい混雑らしい。大動脈かい離をやって大学病院に5年以上通っている友人は、開業医に回されそうだという。友人は、年寄りが増えていくから混むのは仕方がないと言うが、そうじゃない、私は訃報の死因を見て、友人の再発を大変心配しているのに。
壮年期以下の男性が心筋梗塞などで急死された例は、読者からも伺っている。ツイッターや訃報情報を入れれば数え切れないほどある。周りの人達は、心配し気をもんでいただろう。でも、説得などが及ばず、功を奏しなかった。
私は、プライベートでは、多くの人に何度も言った。嫌がられるほどに言った。年賀状に書いた人もいる。
誰でも、一度や二度は放射能の危険を聞いているから、子供の健康状態がおかしくなって徹夜でネットで調べたという読者もおられる。知る気になれば、情報はある。ちっぽけなこのブログでも検索エンジン経由の来訪者が高水準で続いている。月に何万人にもなる。
友人にフィールドワークのために手伝いを依頼したが、断られてしまったことがある。汚染地域に行くのが恐いのだと思う。夏にはすごい汚染地域に避暑に行っているのだが。世間の多くの人も同じなのだろう。恐い話、嫌な話はしたくないし、自分の生活の中に持ち込みたくない。だから、不幸が起きて初めて向き合うことになる。
「もう、何のために働いてますか?って聞かれたら、安全な食材購入の為って言っても過言じゃないくらい?こんなにしてても、意見の合わない主人は子供に怪しい物食べさせてしまうし・・・。 こんな生活がこれからずっと続くかと思うとうんざりします。」
生活の維持、安定のためには、気をつけなければならないリスクは多い。そんな中でさらなるリスクに気を配るのはごめんなのだ。
「『お別れしなければならなかった食べ物はたくさんだったけど、お陰で栄養学とアイデア料理法の達人になったよね。』 …とこんな風に、苦境も前向き志向で楽しむことにしております。」というふうに切り替えていかないと、いつかは放射能に負ける日が来てしまう。
行政は、汚染食物を私達に食べさせよう、食べさせようとしている。汚染回避は、終わることのない日々の戦いにほかならない。
ずくなし様へ。毎日戦っておられる姿、頭が下がります。本当にお疲れ様です。
私達は、移住前も、今居る所も、放射能の話をすると速攻で村八分になりました。私も、話す相手が心配で、言わなければ罪を重ねる気がして、口を開かずにいられません。
食べ物は、笑えるくらい輸入食材に頼りまくりです。体質的に妥協が許されず、全く日本食とは言えません。
だから日本食が、無形文化財になってしまうのかと納得しました。
最近、テレビを視ると気が滅入ります。グルメリポートで食べている芸人さんの喉(甲状腺辺り)が腫れまくりです。病院通いで、あれは甲状腺だな…てのを見過ぎたせいか、もう、テレビ自体がストレスです。番組で会話が噛み合わないやり取りがあったり、相手の言う事をオウム返しに話したりするのが目立ってきました。彼らがどうなってしまうのか…頭を離れず、娯楽である彼らの番組を楽しめません。
ちなみに、私の生まれ育った土地には、鍍金工場が近くにあり、付近の人々はそこに働きに行き、何人も癌で亡くなりました。私の友人の親も。そして付近の子供は、アトピーだったり、虚弱体質だったりが目立ちます。私も風下に住んでいたので、それでアレルギーが早くから出た可能性がありました。
一時期騒ぎになったものの、立証が難しく、皆途中で諦めてしまいました。亡くなった方々の遺族も結束して立ち上がる事はありませんでした。
日本人はなぜ闘わないのか、闘えないのか…自分も含めて、これからどうするべきか悩みます。
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