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20140920 R/F #089「小出裕章ジャーナル」【新安全基準は世界一厳しい?】
新安全基準は世界一厳しい?「ほとんどの日本の原発は90年頃までにできてるわけですから、そんな古めかしい原発が世界一の基準に合うはずがないわけです」〜第89回小出裕章ジャーナル
http://www.rafjp.org/koidejournal/no89/
2014年09月20日 「ラジオフォーラム
今西憲之:
政府や総理大臣の安倍さんが最近、「また原発再稼働させます」みたいなPRを始めました。鹿児島県の川内原発は審査に合格しました。世界で一番厳しい規制基準だということで、政府は胸を張って言っておりますけれども、「世界で一番厳しい基準」これ聞かれて、小出さんはどのようにお感じになられますか?
小出さん:
はっきり言ってしまえば「冗談を言わないでくれ」と思いました。
今西:
けど、その冗談を当たり前のように本気になって言っておるようなんですが、実際、原発を持つ国はたくさんありまして、欧米の基準なんかと比べまして、今回、世界で最も厳しい規制基準だと言っている点について、実際、どうなんでしょうか?
小出さん:
今、日本で基本的に動いている沸騰水型原子力発電所、加圧水型原子力発電所というのは、米国のエネルギー省の分類に従えば、第2世代と呼ばれている機体に属しています。その機械の事故の経験とか、様々なトラブルの経験を経て、第3世代の原子力発電所を造るという、今、時代に入っています。
例えば、ヨーロッパでは、欧州加圧水型原子炉というものを造ろうとして、私達「EPR」と呼んでいますが、そのEPRでは、もちろんフィルターベルトはもう義務付けられていますし、溶けてしまった炉心を受け取めるだけのコアキャッチャーというような構造物を付けるということも義務付けられていますし、格納容器も頑丈なもので二重構造にするというような基準にもなっているわけで、そんなものから比べれば、日本で今動いている原子力発電所など全くもう古めかしいものでしかないということになってしまいます。
今西:
EPRというのは、もうヨーロッパにはどれぐらいの数あるんでしょうか?
小出さん:
ないのです。今のフィンランドでオルキルオトという所に造ろうとしていますけれども、安全性を高めようとすれば、高めようとするほどお金もかかってしまうし、建設も大変だということで、ヨーロッパでなんとかこれからやろうとはしているわけですけれども、本当に、これが実用化できるかどうかわからないという、そういう状態になっています。
今西:
なるほど。商業ベースで考えると、それが採算に合うかどうか、なかなかわからないと。
小出さん:
多分、合わないと私は思いますし、安全性を求めれば求めるだけ、今度は、経済性が成り立たなくなりますので、やはり、原子力というものは無理だと思った方がいいと思います。
今西:
なるほど。今回の世界で最も厳しい規制基準だということで、胸を張ってるわけなんですけれども、逆に上がもう存在しているということなんですね。
小出さん:
そうです。ですから、もう日本の古めかしい原子力発電所、70年頃から、例えば敦賀美浜なんて動いているわけですし、ほとんどの日本の原子力発電所は、90年頃までにできてるわけですから、そんな古めかしい原子力発電所が世界一の基準に合うはずがないわけです。
今西:
そんな中で、もし、その欧州型の原発がそれほど安全性が高いということであれば、これ逆に考えれば、「東京ですとか大阪の大都会に、そういう原発を造ったらどうなんだ」みたいな論議が出たりしないのかなあとか思ったりもするんですが。
小出さん:
もちろん、当初からそうやるべきだったのですね。「原子力発電所が安全だ」というなら、電力が消費地に造るのが一番合理的なわけです。でも、それができないで、原子力発電所だけは過疎地に押しつけるということを日本もやってきましたし、世界中でそれをやってきたのです。本当に原子力を推進する人達が、絶対に安全な原子炉が造れるというなら、もちろん電力の消費地に造るべきだと私は思います。
今西:
そうですよね。結局、電力の消費するのは都会が圧倒的に多いわけででして、原発の周辺住民がそういう危険を引き受けるという構図というのは、やっぱり、終わりにせんといかんですよね。
小出さん:
そうです。そんなことは始めからやってはいけなかった。そのことだけ考えてもやってはいけなかったんだと、皆さんが気が付かなければいけないと思います。
今西:
小出さん、今日はスタジオに女優の木内みどりにお越し頂いておりまして、木内さんもぜひ、小出さんにいろいろお伺いたいということなんですが、木内さんから、ぜひ聞いて頂ければと思います。
木内みどりさん:
原子力のことじゃなくてもいいですか?
今西:
どうぞ。
木内さん:
私が小出さんに聞きたいのは、お育ちになる過程で誰かの言葉がすごく自分の変わり目だったとか、例えば少年期に読んだ本とか、どっかの誰かが言った言葉とかで影響されたことって何かありますか?
小出さん:
特別、象徴的な、この言葉がというのは特に記憶にありません。ただ、私の周りにももちろん、みどりさんの周りにも、今西さんの周りにもたくさんの方が生きていたはずですし、私の周りにもいろいろな方がいて、そういう方々一人ひとりからいろいろな影響を受けたということはもちろんありました。実際にお会いできなかった人の中でも、例えば田中正造さんであるとか宮沢賢治さんであるとか、私が生きていく上で、指標になるような言葉を彼らから学んだということはあります。
木内さん:
私の場合は、小出さんが私にとっての指標なんですね。なので、その秘密をどうしても知りたいんですけど、例えば、お母様からは相当な影響を受けていると思うんですけれど。お答えになれる範囲で結構なんですが、やっぱり小出さんのお母さんというのは、時代的にも、そしてお兄様のことを考えてもすごく頭のいい方で、そして、その時期、お兄様も含めて、どうやって小出少年、2人の男の子を育てたのかなあって。お母さんが、他のお母さんと違っていた点というのを思い付きますか?
小出さん:
思い付きません(笑)。というか、私は東京の下町の零細企業の家に生まれたのです。父親は戦争に招集されて出て行ったのですが、その父親も本当であれば、大学などに行って勉強したかったと思っていたはずなのですが、そういうことも許されない時代に私の父親が生きていました。
それで、私と兄を育てる時に、私の父親は何も残してやれるものはないけれども、勉強だけはさせるという風に言っていました。その中で、実際に私の面倒をみるというか、学校に行かせる、あるいは、弁当を作るというようなことも含めて、ひとつひとつのことを私のお袋はやってくれたということです。
ただ、大学に行く時には、もうこの親からは自立したいと思いましたので、必ず自宅からは離れる、東京からも離れるというふうに思っていました。それで実際に、東北大学という所に私は行ったわけですが、その時点で、私は家というつながりからは切れたし、お袋というつながりからも基本的には切れたわけです。ですから、ときどきお袋は「あの時、あんたは出て行っちゃって、それ以降帰ってこなかったね」というようなことは、よく聞かされてきました。
木内さん:
お母さんはお元気ですか?
小出さん:
はい。2年半ぐらい前になりますけれども脳梗塞で倒れまして、今、療養中です。あまり元気とは言えませんが、まだ生きていてくれますので、ときどき顔を見に行きたいと思っています。
木内さん:
私にそういう力があればですけど、小説を書く力があれば、私は小出さんのお母さんを取材して、いっぱい聞いていろんな写真を集めて、少年・小出裕章子育てとお母さんの時代というのに迫ってみたいなあっていう風に時々思います。
小出さん:
そんなことをしても何にも出てこないです(笑)
今西:
たまには、こういう話がオンエアされるとリスナーの方も、逆の意味で、興味を持って聴いて頂けるかなあと思ったりもいたしますが。小出さん、どうもありがとうございました。
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