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【今日の赤旗】政府は東電福島第1原発事故で政府の事故調査・検証委委員会が行った吉田昌郎元所長(故人)の聴取記録調書を内閣官房ウェブサイトで公開した。調書は、冷却電源喪失で炉心溶融、放射性物質大量漏出という最悪の事態が迫るなか極限状況に追い詰められていく様子を生々しく伝えている(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)調書が示しているのは、ひとたび過酷事故が起きれば制御困難に陥る原発の本質的な危険性だ。
吉田氏の聴取は、事故4カ月後の2011年7月から11月にかけて行われた。調書はA4用紙で400枚に上る(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)吉田氏は非常用ディーゼル電源を含む全交流電源喪失の報告を受けた際の状況について「みんなが愕然という感じで、声が上がらな」かった、「参ってしまった」「絶望した」と答えている。原子炉冷却について「自分で考えてもこれというのがない」と八方ふさがりだった状況を振り返った(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)津波が襲った後、緊急時に1号機の炉心を冷却する非常用復水器が動いていなかったことに東電が気づかず、事態を悪化させた。吉田氏は「思い込みがあった。猛烈に反省しているが、現場からのSOSがこちらに届かなかった」と答えている(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)11年3月14日夜、2号機の原子炉への海水注入に苦心した際の状況について吉田氏は、炉心溶融が進むと「放射性物質が全部出て、撒き散らしてしまうわけですから、我々のイメージは東日本壊滅ですよ」という心境を述べている(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)2号機が危機的状況に陥った11年3月15日、第1原発で事故対応を指揮する幹部級職員を含む650人が福島第2原発に退避し、約70人が残ったことについて吉田氏は・・・(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)「本当は私、2F(第2原発)に行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、線量の低いところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたというんで、しょうがないなと」と吉田氏(続
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
(調書)「よく考えれば(線量の低い)2Fに行った方がはるかに正しいと思った」と吉田氏は語っている(了
― 赤旗政治記者 (@akahataseiji) 2014, 9月 11
「しんぶん赤旗」紙面版(2014年9月12日付)の該当記事はこちら ⇒
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