http://www.asyura2.com/14/genpatu40/msg/156.html
Tweet |
全町民2万人が避難し続ける浪江町、強盗で荒らされ、雑草が生い茂る廃墟、放射線量が高すぎて計測できず(9/1 SankeiBiz)
http://radiation7.blog.fc2.com/blog-entry-4418.html
Monday, September 01, 2014 東京江戸川放射線
■遠い「帰還」への道のり
「津波で海沿いの道は通れないのでみんなこの国道114号を通って浪江や南相馬から川俣や福島に向かって逃げたんですよ。パトカーに『先導しろ』って怒号も飛んだり混乱してましたね」
東日本大震災から3年5カ月の8月11日、東京電力福島第1原発事故の被害で全町民約2万人が避難を続けている福島県浪江町を訪れた。案内をしてくれた南相馬市の高村美春さんが、こう当時を振り返った。国道114号は浪江町と福島市をつなぐ道路だ。人々が海沿いから逃げた方向とは逆に川俣町から南相馬市を目指した。
◆放射線量高い山間部
浪江町は昨年の区域再編で3つの区域に分けられた。放射線量の低い地域は日中の立ち入りが可能になったが宿泊はできず、一部の地域は許可証がなければ立ち入れない。
川俣町と隣接する山間部は、放射線量が高く、立ち入りが制限されている「帰還困難区域」となっている。人の姿はなく、民家の入り口には背丈ほどの雑草が生い茂っていた。途中で車を止め放射線量を測ろうとしたが、線量が高く計測することができなかった。雑草に紛れて道端にはワレモコウが咲いていた。日差しが強く暑い日だったが、誰もいない場所で秋の訪れを告げていた。
帰還困難区域を抜けてしばらく走ると、コンビニエンスストアがあった。浪江町ではほとんどのコンビニが窃盗の被害に遭ったという。しかし、そこだけは被害を免れたと聞いた。店内には平成23年3月11日の新聞が売り場に置かれ、外のごみ箱には防護服が脱ぎ捨てられていた。本来なら放射性廃棄物として扱わないといけないものがむき出しのままで放置されていた。
浪江駅前には有志の人が書いたという放射線量を知らせる紙が貼られていた。駅前の商店街の建物は大きく傾き、窓ガラスが割られるなど人が住めるような状態のまま残っている建物はほとんどなかった。浪江町は29年3月に町に帰ることを目指しているが、こうした建物の修復を進めていくのは途方もない作業だと感じた。
駅前の商店街を少し歩くとコンクリートの隙間からネギが生えていた。高村さんは「ど根性ネギ」と名付け、浪江町に来るたびに成長を楽しみにしていると話してくれた。高村さんは「人間が自然に勝とうなんて愚かなことだと思いますよね」と話した。
◆津波被害残る海沿い
請戸(うけど)漁港などがあった海沿いの地域は比較的線量が低く、避難指示解除準備区域に指定されている。線量は低いが、津波の被害で建物などはほとんどない。がれきが山のように積まれ、流された船や車が当時の状態のままで放置されている。
最後に慰霊碑の前に行き、手を合わせた。月命日とお盆前ということもあり、たくさんの花や線香などが供えられていた。海から向かって右側には東京電力福島第1原発が見え、左側には建設が中止された東北電力の浪江・小高原子力発電所建設予定地があった。何度も足を運んでいる場所だが、雑草が伸びている以外はほとんど変わっていない。これから何年も続く廃炉作業や汚染水問題など多くの問題を抱えている中で、復興や除染、帰還という言葉の意味を改めて考えなくてはならないと感じた。(大渡美咲)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140901/fks14090102260001-n1.htm
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素40掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。