http://www.asyura2.com/14/genpatu39/msg/871.html
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亡くなられた吉田元所長は、「政府の事故調査・検証委員会に対し、官邸などから指示や質問が相次いだことを「ずっとおかしいと思っていました」と述べ、重大事故が起きた際の指揮の在り方に疑問を呈し」たそうであるが、法的権限としてもあの福島第一事故の対応には政府が責任を有している。
指揮ないし指示の経路が、政府対策本部→東電本店→福島第一原発であるべきなのに、ダイレクトに福島第一に指示するのはおかしいということかもしれないが、進まない事故対応や要領を得ない説明と回答といった状況のなか、政府が現場に対しダイレクトに口を出すことを批判することはできない。
「ずっとおかしいと思っていました」ではなく、具体的な経緯に即して、間違った指示が何であったかを明確する必要がある。
もう一つ、「事故発生から3日後の3月14日の午後、吉田元所長は2号機の格納容器の圧力を下げる「ベント」という操作を検討していましたが、当時の原子力安全委員会の班目春樹委員長や清水正孝社長からは、注水を優先するよう指示を受けました」とあるが、吉田元所長がほんとうに2号機の格納容器の圧力を下げる「ベント」という操作を検討していたとしたら無能と言うしかない。
2号機は14日昼頃から原子炉圧力容器の水位が低下しはじめ、原子炉隔離時冷却系の機能喪失が見えていた。
この時点でやるべきことは、原子炉隔離時冷却系の機能を支えるだけでなく、原子炉の圧力を低下させる「主蒸気逃がし安全弁」操作にも必要な圧力抑制室(S/C:格納容器の周りにあるドーナツ型の圧力抑制プール)に注水することだったのである。
原子炉隔離時冷却系の水源及び復水装置として使われ続けるなかで、2号機圧力抑制室の水が減っていったのである。
(もっと早い時点で、圧力抑制室に注水を始めていれば、原子炉隔離時冷却系の機能喪失を先に延ばすことができたはず)
まず、吉田元所長の格納容器ベントは事故対応としてまったく意味がないもの(それどころか放射性物質を外界にまき散らす行為)であるが、ベントを実施するにも、放射性物質をできるだけ除去する役割を果たす圧力抑制室の水が必要である。
班目春樹委員長や清水正孝社長が主張したとされる「注水」(原子炉圧力容器)を行うためには、消防ポンプの圧力で注水できるよう原子炉の圧力を10気圧よりずっと低いレベルにしなければならない。
そのために必要なステップが「主蒸気逃がし安全弁」操作であり、原子炉の高温・高圧の蒸気を圧力抑制室(S/C)に送り込んで復水させるためには、圧力抑制室(S/C)に水がたっぷりと必要である。
2号機が15日早朝に膨大な放射性物質漏れを起こしたのは、圧力抑制室(S/C)の水が枯渇した状態で「主蒸気逃がし安全弁」操作を繰り返したことが原因である。
噴き出された高温・高圧の蒸気が圧力抑制室の壁を破壊し、それが膨大な量の放射性物質の漏出につながったのである。
※ 関連参照投稿
「事故を「レベル7」まで深刻化させた政府・東電の大罪:2号機圧力抑制室損壊は事故対策チームの極めて深刻な失態」
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/549.html
「[2号機圧力抑制室損壊問題]東電資料より:S/Cプールの水は隔離時冷却に使われ防護機能を喪失:圧力破壊の可能性が大」
http://www.asyura2.com/11/genpatu12/msg/219.html
「田中三彦氏:米国で脆弱性から“噴き出す蒸気の勢いで圧力抑制室が損壊する”可能性が指摘されていた[週刊エコノミスト]」
http://www.asyura2.com/11/genpatu13/msg/822.html
「2号機圧力抑制室の損壊原因≠「水素爆発」発表(東電)から読み解く事故の経緯」
http://www.asyura2.com/11/genpatu17/msg/298.html
「2号機の“爆発”は「計器故障」とうそぶく東電:2号機のS/C損壊まで否定する腐敗臭漂う東電中間報告書」
http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/836.html
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吉田元所長 官邸などの指示に疑問[NHK]
8月25日 22時03分
東京電力福島第一原子力発電所の事故で現場責任者として指揮をとり、去年亡くなった吉田昌郎元所長は、政府の事故調査・検証委員会に対し、官邸などから指示や質問が相次いだことを「ずっとおかしいと思っていました」と述べ、重大事故が起きた際の指揮の在り方に疑問を呈しています。
政府の事故調査・検証委員会などによりますと、事故発生から3日後の3月14日の午後、吉田元所長は2号機の格納容器の圧力を下げる「ベント」という操作を検討していましたが、当時の原子力安全委員会の班目春樹委員長や清水正孝社長からは、注水を優先するよう指示を受けました。
これについて吉田元所長は、政府の事故調査・検証委員会に「四の五の言わずに減圧、注水しろということがあって、現場も分からないのによく言うなと思いながらいました」と述べています。
そのうえで「私だって、早く水を入れたくてしようがない。そう思っているんですよ。現場はできるかぎりのことをやって、なかなかそれが通じないんですね。ちゅうちょしていると思われているんです」と困惑した心境を証言しています。
吉田元所長は、このほかにも官邸から指示や質問があったとしたうえで「何で官邸なんだというのがまず最初です。本店の本部は何をしているんだ。ずっとおかしいと思っていました」と疑問を呈しています。
政府は、来月にも吉田元所長の証言の記録を公表することにしていますが、原発の再稼働に向けた動きが進むなか、重大事故が起きた際の指揮の在り方が改めて問われています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140825/t10014074211000.html
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