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泥沼にはまった福島・中間貯蔵施設
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2014年7月18日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ
原子力ムラの人びとが居並ぶ原子力規制委員会は16日、新規制基準「合格」の第1号を出した。福島原発事故の収束を二の次にした暴挙といえる。その福島では、除染ごみの中間貯蔵施設の建設が難航している。予定地の大熊、双葉両町とも受け入れを留保。住民は事故で「カネと人生の交換」という原発の本質を知った。だが、政府の姿勢は事故以前のまま。その隔たりが建設を阻んでいる。(上田千秋、榊原崇仁)
[中間貯蔵施設]
福島県内の除染で取り除いた土壌や放射性濃度の高い焼却灰などを最長30年間保管する施設。施設確保や維持管理の責任を負う環境省は、帰還困難区域分などを含めて2800万立方メートルの搬入を想定している。現在は福島第一原発周辺の大熊、双葉両町の16平方キロメートルが予定地として挙がっている。
◆「口先ばかり」政府不信 「最終処分場化」に住民ら懸念
「簡単に『はい、そうですか』というわけにはいかない。国は納得できる説明をしていない」
17日、多くの大熊町民が暮らしている同県会津若松市の仮設住宅で、同町の男性(67)が語気を強めた。
大熊、双葉両町の大半は放射線量が高い帰還困難区域に指定され、全住民が避難生活を続けている。国は5月から6月にかけて計16回、各地で説明会を開いたが、両町とも「国は住民の質問に明確に答えなかった」として、施設受け入れの判断を留保している。
建設予定地に自宅がある男性(72)は「いまはまだ一時帰宅できるが、施設ができれば永久に自宅に帰れないことになる。絶対に認められない」と訴えた。
住民の最大の懸念は、なし崩し的に汚染土を置きっ放しにされかねないという疑念だ。国は30年以内に最終処分場を設けて、すべて搬出するとしているが、使用済み核燃料の最終処分場がいまだ決まらない現実からも説得力はない。
冒頭の男性は「最終処分場にしないというなら、現段階で場所を示すのが筋だろう。安倍首相は復興公営住宅の整備を急ぐと言ったのに、一向に進まない。国の言うことは口先ばかりで信用できない」と憤る。
住民も施設の必要性を理解はしている。一人の女性(56)は「先祖代々の土地を奪われるのはつらい」としつつも「子や孫の代になっても大熊で暮らすのは難しいだろう。そうである以上、原発の地元で引き受けるのは仕方がないと思っている」と胸中を明かした。
だが、そんな住民の気持ちを逆なでしたのが、石原伸晃環境相の「最後は金目でしょ」という発言だ。先月16日に飛び出した。
別の女性(88)は「あの人は何一つ不自由なく育ったお坊ちゃん。人の痛みが分からないのだろう。施設を造らなければいけないことは分かる。でも、あんな言い方をされて、賛成できるわけがない」と話した。
福島第一原発の西8キロにある大熊町の行政区「野上1区」は今月3日、住民の総意として「帰らない宣言」をした。効果のない除染などやめて、その分、新天地で生活再建できる十分な補償を求めている。
施設予定地は国が買い取ることになっている。同区は予定地に入っていないが、同区の木幡(こわた)仁区長(63)は「道1本隔てただけで、予定地か否かの線引きがされてしまう。それは自宅や土地を国が買い取るかどうかの違いになる。これでは、町民の間にしこりができてしまう」と懸念する。
「国はあいまいな態度をとり続けるべきではない。戻れるのか戻れないのかをはっきりと示すのが先。そうしないと、予定地の住民も判断できないだろう」
◆安全管理も不安山積
こうした状況下、政府が描いた来年1月からの施設の使用開始というシナリオは厳しさを増している。
これまでの経緯を振り返ると、こうなる。政府は2011年10月に中間貯蔵施設に関する基本的な考え方をまとめた。ここでは、施設の確保や維持管理は国の責任で行う○汚染土壌などは福島県分のみを搬入する○30年以内に福島県外で最終処分を完了させる─などの方針を示した。
翌12年3月には福島第一、第二原発が立地する大熊、双葉、楢葉の3町に分散設置する案を提示。比較的線量が低い楢葉町が早期の住民帰還のため受け入れを拒んだのを踏まえ、今年2月には大熊、双葉両町に集約する案を示した。
ただ、2町がすんなりと受け入れるはずがない。
政府は使途の自由度の高い交付金の創設を提案したが、住民説明会では「なぜ大臣が来ないのか」などと不満が続出。加えて、金目発言で怒りが爆発した。
問題は補償などの金銭面に限らない。除染廃棄物は「フレコンバッグ」という袋に詰め込み、現在は仮置き場などに置いてあるが、管理面で課題を抱える。
環境省の担当者は「耐用年数が3年の袋を使うルールにしており、期限を超える前に詰め替えるようにしている」と説明する。しかし、同県飯舘村の住民らによると、3年もたたないうちに破れて、放置されている例もあるという。
さらにバッグを手がける業界団体の関係者は「1枚数百円の安い外国製品も少なくなく、除染場所から仮置き場に運ぶ時に破れることもある」と漏らす。
県内各地の仮置き場から中間貯蔵施設への輸送も、すんなりとはいかない。
中間貯蔵施設で保管する廃棄物は最大で2800万立方メートル、重さにして3500万トンになる。環境省の試算では、10トンダンプを使って3年間で運び終えようとすると、1日2000台程度必要になる。これは県内で登録される10トンダンプの8割強に当たり、除染以外の復興関連工事も本格化する中で、これだけの台数を確保するのは困難を極める。
仮にダンプが確保できても、積載した除染廃棄物が交通事故で飛散してしまう恐れがあるほか、深刻な交通渋滞や排ガス、騒音などの被害も予想される。
決定的なのは、施設の最終処分場化という懸念だ。石原環境相は今年5月、国の特殊会社「日本環境安全事業」の関連法を改定し、同社に施設運営を担わせたうえ、30年以内に県外で最終処分する旨を明記する方針を示した。
しかし、それが空約束になり、半永久的に「中間貯蔵」が続きかねないという住民たちの不安の方が、よほど現実味がある。
◆受け入れ迫る手法「原発建設時と同じ」
そもそも、「迷惑施設」をカネで住民に受け入れさせようという国の姿勢に、住民たちは既視感を覚えている。大熊町住民の聞き取り調査をする大妻女子大の吉原直樹教授(社会学)は「原発建設時の手法と変わらない」と批判する。
あれだけの惨事であったにもかかわらず、政府は何も教訓を学んでいない。だが、被災した立地町の住民の中には、原発の恩恵に頼り切り、国や電力の言いなりになってきた「原発さまの町」の歴史を見つめ、脱却する動きも出ている。
吉原教授はこう話す。
「町民たちは国の原発政策で自らの生活が奪われた。再び自立するうえで『もう国に言いくるめられるわけにはいかない』と強く思う人が少なくない。強引に原発再稼働を推し進める今の政府の姿勢も、不信感ばかりを生んでいる。そんな中で国の意向通りに、中間貯蔵施設の問題が進むと思ったら大間違いだろう」
[デスクメモ]
原子力規制委員会の委員長は「(新基準適合でも)安全だとは申し上げません」と言う。その委員会にげたを預けたふりをする現首相は8年前の答弁書で、全電源喪失事故の可能性を否定していたが、起きても素知らぬふりだ。誰も責任を取らない。先の戦争と同じである。これからの戦争でもきっと同じだ。(牧)
2014年7月18日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014071802000135.html
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