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【IWJブログ・特別寄稿】山本太郎氏など、日本の「反原発運動」がシェーナウ電力「電力革命児」賞を授賞(文・斎藤幸平)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/153832
7/12 18:15 IWJ Independent Web Journal
ドイツとスイスの国境に位置するシェーナウは人口が数千人規模の小さな町であるが、市民による電力発電のパイオニアであるシェーナウ電力(EWS)によって、ドイツ国内のみならず、ヨーロッパ中で幅広く知られている。日本でも福島の原発事故後に、映画『シェーナウの想い』上映企画が全国で組まれ、『原発をやめる100の理由―エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち』(築地書館、2012年)の翻訳が刊行されたことで、チェルノブイリの事故の後に、原発に依存するドイツの大手電力会社に抗して立ち上がった一般の市民たちによるシェーナウ電力の取り組みを知っている人も少なくないかもしれない。
シェーナウ電力は近年の成長は目を見張るものがあり、今や15万人もの顧客を有するドイツ最大級のエコ電力会社に成長した。それでも、シェーナウ電力は今も設立当初の理念に則って創設者であるスラーデク夫妻によって運営されている。脱原発運動支援の一環として、シェーナウ電力は10年ほど前に「電力革命児」賞という環境保護と持続可能なエネルギー政策への貢献を称える賞を設立し、積極的にネットワーク作りを促進してきた。福島の事故を受けて,ドイツでは、メルケル首相が2022年までの脱原発を決めたが、それによって、シェーナウ電力「電力革命児」賞の目標は実現に大きく近づいたと言えるだろう。
第10回となった今年の電力革命児賞は、初めてドイツ国外の取り組みが選考対象となり、日本の反原発運動が表彰されることになった。選考に際しては、岩上安身氏(※)、広瀬隆氏、飯田哲也氏、伊藤宏一氏、海南友子氏、満田夏花氏らが推薦人となり、山本太郎氏(衆議院議員、俳優)、大塚愛氏(福島から避難したママたちの代表)、佐藤弥右衛門氏(会津電力、酒蔵経営者)がシェーナウ電力へと推薦された。日本からの推薦は、シェーナウの選考委員の全会一致をもって正式に決定された。
選考理由は以下のようなものである。
大塚愛氏は震災以前には、福島で農家を営んでいたが、原発事故によって田んぼを一瞬で失ってしまった。放射能被害を恐れ、子供をつれて、家族で岡山に避難した。新たな地で大塚氏は、他の人も安全な場所へと避難し、新たな生活を始められるための手助けをするために、市民団体を設立し、パンフレットを発行する傍ら、全国で講演会を行っている。大塚氏の助けがあってこそ、岡山に避難してこれたママも数多い。また、大塚氏に限らず、全国のママたちは、それまで社会運動への参加経験などなかった人が大半であるにもかかわらず、子どもを守るという一心で互いに協力し合い、基金を立ち上げ、自主的に甲状腺検査を行い、また行政に情報公開を求めるなどして、精力的な活動を行っている。原発難民としての不安定な生活にも関わらず、日本社会の矛盾に勇敢に立ち向かう彼女たちの行動が高く評価された。
■動画「大塚愛さんとフクシマの母たち」
山本太郎氏は周知の通り有名な俳優であったが、原発事故後の原子力エネルギー批判によって、「過激な反原発派」というレッテルをはられることで俳優業から閉め出されてしまう。そうした困難にも関わらず、各地の反原発集会やデモに積極的に参加しながら、東日本の放射能汚染の危険性を訴え、日本の矛盾を厳しく批判した。2013年の参議院選挙で当選したのちにも、政治家として議会内で子どもたちの避難権確立の必要性や被曝の危険性を説いているが、そうした反原発活動への貢献が授賞の理由となった。
■動画「山本太郎氏 俳優、反原発活動家」
佐藤弥右衛門氏は、会津で200年以上続く大和川酒造を営んでいたが、福島の事故を受けて大きな生活の変化に直面した。震災後の数多くの困難にもかかわらず、佐藤氏は原発事故原子力に依存しない持続可能な地域づくりを目指して、仲間とともに、太陽光、バイオマスや水力を用いた100%再利用可能エネルギーの市民発電を目標に掲げる会津電力株式会社を設立した。会津電力の地域分散型の電力供給の試みは、まさにシェーナウをモデルにした未来の日本のあるべき姿を示しており、その実現にむけた佐藤氏のリーダーシップが評価された。
■動画「佐藤弥右衛門氏、酒造家、電力パイオニア」
6月末に行われた授賞式は、シェーナウ電力の出資者たちが400人ほど集まる総会にあわせてシェーナウで執り行われたが、2013年に山本太郎氏と広瀬隆氏とシェーナウ電力を取材で訪れた経緯もあり、授賞者たちの代理として参加してきた。総会に前後して、再利用可能エネルギーについての勉強会や講演が数日間に渡って開催され、同じ問題意識を共有する市民たちが積極的に自分たちのエネルギーのあり方について学び、議論する姿はまさに市民たちの電力会社と呼ぶにふさわしいものであった。
今年の総会ではシェーナウ電力の創始者であるスラーデク夫妻が年齢を理由に経営から退く旨が突如発表され、新たな代表として息子が任命された。その総会の後にウルズラ・スラーデク氏自身によって、「電力革命児」賞が日本の反原発運動へと送られることがアナウンスされ、会場では各氏についての紹介とインタビュービデオが上映された。福島の現状や反原発運動についての三氏の取り組みの経緯が紹介されると、社会の矛盾に果敢に立ち向かう姿に多くの人が心を動かされるとともに、依然として終結を見せない未曾有の事故の深刻さや不十分な日本政府の対応によって苦しむ人々の現状を前に、会場は怒りと物悲しい雰囲気につつまれた。
式が終わると、多くの人々が直接私に話しかけてくれ、今の日本の現状に大きな関心と同情の意を示し、日本の反原発運動が成功することを願っている事を日本の方々に伝えて欲しいと頼まれた。日本では今も続く事故の記憶が急速に風化されつつあるが、今回の授賞にみられるようにドイツの人々は、日本で懸命に戦う人々のことを見てくれているという事実は今一度銘記されるべきであろう。
またシェーナウの方と話していて、今回の授賞者たちの姿が四半世紀前のシェーナウの方々の姿に重なり合っているということを感じた。福島から避難した大塚氏ら大勢のママたちも、山本氏も、佐藤氏もそれぞれの地域で普通に生活する市民であったが、スラーデク夫妻もチェルノブイリの事故以前は、学校の教師や町の医者だったのであり、シェーナウ電力に関わっている多くの人々は決してエネルギーの専門家であったわけではない。
そもそも最初から電力会社を作ろうとしたわけでもなく、放射能汚染の心配をした人々が立ち上がり、食物の測定をし、また、省エネのためのアイデアを募集したり、汚染がより深刻な他の地域の子どもたちを一時的に受け入れたりすることから、徐々に運動が大きくなっていったのである。
『シェーナウの想い』で詳しく描かれているように、シェーナウ電力の道のりは決して平坦なものではなかった。しかし、今シェーナウはドイツのエネルギー革命を代表するまでに成長したのである。ビデオのなかで山本氏や佐藤氏が、シェーナウのように市民が自分たちでクリーンな電力を管理することを実現したいという目標を実現したいと述べていた。その言葉を聞いたシェーナウの方々は、日本でも必ずできると、私に断言してくれた。今年の「電力革命児」賞はそうした新たな「シェーナウの想い」を日本の反原発運動に託しているのである。
(※)岩上安身による山本太郎氏推薦の文は以下の通り
山本太郎氏のここ三年間の軌跡は、独立系メディアや地域住民組織が発達したドイツの市民社会においては、想像しがたい困難なものである。日本の芸能界やメディアは、歴史的な経緯から、欧米にくらべてはるかに、大手メガバンクを含めた原子力大企業のスポンサーに依存している。3・11以降、反原発の姿勢を鮮明にした山本太郎氏は、売れっ子俳優であったにもかかわらず、所属事務所から契約を打ち切られ、テレビ、映画、舞台など、あらゆる芸能界のビジネスからホサれた。
フリージャーナリストとして長く仕事をしてきた私自身も、3・11のわずか3ヶ月前に独立インターネット報道メディア「Independent Web Journal(IWJ)」を立ち上げ、一般市民による会費とドネーションでまかなってきたので、原発問題とそれに関連するテーマ、グローバリズムや核の問題を取り上げようとするときの風当たりの強さは身をもって体験している。現役俳優の中で、彼のように、芸能界から引退に追い込まれてもなお、反原発活動を継続して貫こうとする人物は、日本では彼以外に存在しない。
IWJの軌跡と、アクティビストとしての山本太郎氏の営みは、重なりあっている。まだ俳優として仕事をしていた山本氏が、都内で行われた反原発デモに初めて参加をしたのは2011年4月10日のこと。その時、IWJのカメラはめざとく彼の姿を見つけ、路上でインタビューを行った。
それ以降、我々IWJが全国の反原発集会やデモを取材するたび、彼の姿をとらえ、映し出すこととなった。IWJは年間に約3000本の中継配信(ライブ・ストリーミング)を行っているが、山本太郎氏はおそらく最多登場回数を誇ると思われる。
よく知られているように、彼はアクティビストとして全国を駆け回る活動をしながら、昨年の参議院選挙に出馬し、議席を勝ち取った。彼の作った党派は「新党今はひとり」というユニークな名前で、先日の鹿児島県の補選で候補者を出馬させ、「新党ひとりひとり」と名前を換えたが、2人目の議員誕生は果たせなかった。
身近で彼の活動を見てきた人間としては、彼の歩みは決して平坦なものであったとはいえないことを付け加えておきたい。彼自身、自分を含めた家族の将来を考え、関東の放射能汚染地域から避難する必要があるのではないかと悩み続けてきた。彼の反原発運動は、福島のみならず関東を含めた放射能汚染の実態を告発し続けることと不可分であったのである。
しかし、彼が「自主的な」避難を市民に呼びかけ続けたことは、しばしば、彼を「過激派」として非難する一部のメディアや知識人の主張とは異なり、彼が福島や関東に住む「自主的」に避難できない経済的弱者の存在を無視していることを意味しない。
むしろ、彼はそうしたマイノリティの立場に常にたち、自分だけが汚染地域から避難するのではなく、自らの知名度を活用して「政治家」になることによって、旧ソ連の「チェルノブイリ法」と同様の「避難権」を制定するための立法活動や、原発再稼働を阻止するための情報公開請求を行ってきたのである。
現在、日本では国民的漫画『美味しんぼ』が、「F1の原発プラントを取材した主人公が鼻血を出す」という描写をしたことで、政治問題に発展している。安倍総理以下、閣僚がこぞってマンガの一描写を非難する声明を出し、言論の自由すら脅かしているのである。福島県や日本政府は福島県内の高濃度汚染の実態や低線量被ばくの危険性をかき消すべく、放射能による健康被害の実態に言及した者に「デマゴーグ」というレッテルを貼り、「風評被害」を煽っていると非難するプロパガンダを行っているのだ。山本氏は、事故直後から放射能汚染による健康への影響を訴え続け、国会議員としてもそのような政府の責任逃れの姿勢を追及している。
本日(5月21日)、大飯原発の立地自治体である福井県の福井地裁において、画期的な判決が下された。「発電の一手段にすぎない原発より、人格権が上回る」として大飯原発の運転差止め請求が認められたのである。こうした画期的な判決が下された背景には、原発依存からの脱却をのぞむ大多数の市民の思いがあり、そうした世論をリードしてきた山本氏のようなオピニオン・リーダーの活躍があったのである。
日本の極右政治家の一部は、原発を推進させるとともに、その延長線上に「将来における日本の核兵器の保有」を視野にいれていることを隠そうともしなくなった。
日本の集団的自衛権行使容認、憲法解釈の変更によって、第二次第戦後、一貫して日本が貫いてきた平和主義の理念を崩されようとしていることと、日本の支配層の原発への偏愛は決して無関係ではない。
山本氏の震災後の一連の取り組みは、日本の電力革命を確実に前に押し進めたのであり、シェーナウ電力革命賞の受賞に値すると考える。
ジャーナリスト IWJ代表
岩上安身
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