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3月12日、一号機爆発とともに南相馬に降り注いだ『銀色のキラキラしたもの』ってなんだろう?
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/5093fcb8ef031509440301652b83e56a
2014-06-18 14:04:05 原発問題
http://hibari-times.com/archives/89 より
3月12日、一号機爆発とともに南相馬に降り注いだ
『銀色のキラキラしたもの』ってなんだろう?
3月19日、南相馬市原町区から県外に避難したAさんという76歳の女性がいる。Aさんが息子のYさんに6月11日に語った、ひとつのエピソードがある。東京在住のYさんが避難中の母親に会いに行った時のことだ。
『地震の次の日の夕方3時過ぎかしら…病院に薬もらいに行こうと思って歩いてたら、突然どぉーーんって音がして、何かしら?と思ったんだけど、そのまま歩いてたのよ。そしたらしばらくして銀色のキラキラしたものが降り出したっていうか漂い出して、 それが今考えると原発の塵だったのね、辺り一面キラキラしてた。なんか繊維質のようなものだったわねぇ。あたし確実に被曝してるわよ』
Yさんは、その数日前に南相馬市の実家に帰った時に、従姉妹からも同じように『銀色の雨が降ったのよ』と聞かされたそうだ。その時は聞き流したそうだが、二人から同じ話が出て、その時初めて疑問を感じたという。そして先日、再びAさんに会いに行ったときに、以下の紙を手渡されたという。
なんだろう、このキラキラしたものは。
絹針のような 針の粉のような
空中を泳ぐものは
吸いこんでしまっても
いいのだろうか
口の中がカラカラする
魚群のように空中いっぱい泳いでいたものが
音も無く落ちてくる
水色、白、銀色、変な風と共に、
目の中にも入って来る
陽光とまじわって金色にもみえる
なんだろう
この、奇異な経験からすでに4ヶ月経っても、その時の不安は消えていないようだ。この紙に書かれた文章は、多分に回想が含まれている。記憶は反芻されるたびに、本来の事実が少しずつ変質していくものだ。それはそういうものだから、多少の形容句は割り引いて読まねばならない。
地震の次の日の午後3時過ぎの爆発音は、3月12日福島第一原発の一号機が水素爆発したものと考えてさしつかえないように思う。それ以外に妥当なものが見あたらない。Aさんは県外に避難してしまっていて、特殊な健康調査をしてもらえるはずがない。このような『銀色のキラキラしたもの』を体験したという人の声が、私の知りうる限り、問題意識として政治も報道も取り上げたことがない。しかし、ただなかったことのように誰にも知られないまま終わってしまうというのは、きっといけないことだと思う。
あの爆発の日から雪も降り、雨も降り、たくさんの風が吹いた。すでにその物質を収集して調査することは不可能に近い。ならば、できるだけ多くの目撃証言から「このように判断するのが妥当である」という合理的な見解が得られるべきだと私は思う。私や、友人のYさんでは限界がある。誰か、同じような経験をした人はいないだろうか?そして、壁材や建材などに詳しい方はいらっしゃらないだろうか?原発そのものに詳しい方がいれば、またお話を訊きたい。
福島第一原発3号炉の設計士である上原春男氏に自由報道協会の記者会見で伺ったところ、「まったくわからない」とおっしゃられた。おそらくは判断材料が少なすぎたのだろうと私は感じた。
20キロから30キロ圏にまで飛散した粉塵。
もし、このキラキラしたものが人体に有害だったなら。
午後3時過ぎ。
もし、この粉塵を外で遊んでいた子供たちが吸っていたなら。
別に私は危険を煽りたいわけではない。単純に知りたいのだ。妥当な答えが出て「なんだ、心配して損した」と言えればそれにこしたことはない。 なによりもまず、4ヶ月経ってもその時の体験を不安に思う76歳の女性がいるということだけは、知っていただきたい。
誰か、同じようにこの体験をした人がいれば、XXXXXXXXまで遠慮なくご連絡ください。
また建築や建材などに詳しい方からの声も聞かせていただきたい。
よろしくお願いします。
(枚田貴人)
(引用終了)
http://agora.ex.nii.ac.jp/earthquake/201103-eastjapan/radiation/timeline/documentary.html より引用
(*1) 3月12日、一号機爆発とともに南相馬に降り注いだ『銀色のキラキラしたもの』ってなんだろう?
(相馬ひばり新聞)によると、
3/12の午後には南相馬で繊維質のようなものが降っていたとのこと。
福島第一原発1号機の建屋に使われていた
断熱材や防火材のようなフワフワしたものが、
建屋の爆発で上空に巻き上げられ、
南風にのって南相馬まで運ばれた可能性がある。
放射性物質そのものは目に見えないので、
このような目に見えるもの(トレーサー)の動きを追っていくことは、
当日の実際の風向を推定する上で有用だと思う。
記事が確かなものだとすれば、
南相馬には日没(国立天文台のこよみによると3月12日は17:42頃)の前に
福島第一原発からの物質が到達していたことの一つの証拠になりうる。
南相馬の最初の測定値は17:46となっており、これはちょうど日没時刻の頃である。
(引用終了)
パラパラと白い小さな物体が降り注ぐ
ようやく作業に取り掛かったA氏だが、妙なことに気づく。パラパラと、白い小さな物体が
降り注いでいるのだ。
「雪かなと思いましたが、よく見ると灰なんです。2号機からは絶えず白煙が上がっていたので、中で何かが燃え続けていたのでしょう。雪と勘違いしたのは、放射線量の強烈に高い2号機からの粉塵だったのかもしれません。まさに死の灰です。もしマスクをしないで作業をしていたら・・・考えただけで、背筋が寒くなります」
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/736eb02e72c67efc0904258cfb2e5e4b
これまで取材した劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車からも、
今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも
計測したことのない数値だった。
1000マイクロシーベルトの測定器は、”瞬時に針が振り切れた”
http://www.kyoto-np.co.jp/environment/article/20110322000024 (京都新聞) リンク切れ
...双葉町役場に直行したが、役場玄関の扉は閉ざされたまま。緊急連絡先などの張り紙もなかった。静まりかえった町に、ときどき小鳥のさえずりが聞こえる。
入院患者に被ばく者が出たと報じられた双葉厚生病院に向かったが、ここも無人。玄関には患者を運び出したとみられるストレッチャーが何台も放置され、脱出時の慌ただしさがうかがえた。地震で倒れた医療機器や診療器具が散乱。消毒薬の臭いが漂う。
原発から約3キロの同病院前でも測定器の針は100マイクロシーベルトで振り切り、上限に張り付いたまま。そこで1000マイクロシーベルト(1ミリシーベルト)まで測定できるガイガーカウンターを取り出したが、これもガリガリガリと検知音を発し、瞬時に針が振り切れた。「信じられない。怖い」。私は思わず声に出していた。
放射性物質の違いなどにより同列に論じられないにしても、これまで取材した劣化ウラン弾で破壊されたイラクの戦車からも、今も人が住めないチェルノブイリ原発周辺でも計測したことのない数値だった。
放射能汚染地帯の取材経験が一行の中で最も多い広河さんも信じられない様子。「これから子どもをつくろうと思っている人は、車から降りない方がいいかもしれない」と真顔で言った。...
===過去記事===
日本政府が隠している3号機燃料プールが核爆発の決定的証拠が
世界機関より発表されている
http://blog.goo.ne.jp//jpnx05/e/469fc0126f2b1da8eddeaa981c48e957
2012-07-04
太平洋の魚を安心して食べられる日は、
もう10世代先までありません(NPO法人 小若順一氏)
http://blog.goo.ne.jp//jpnx05/e/5a6ec7c208935fd71023a00490e58207
2014-04-14
効かない、高い、飲み過ぎ──日本の薬がおかしい!
http://blog.goo.ne.jp//jpnx05/e/647b3b02969dea7f045968f12a117da3
2014-04-18
データ改竄で「効果」をでっち上げ 製薬会社と医師の「不適切な関係」
<いわき市で、原発が爆発したときの体験談>
放射線量460倍に。現在、私達母子3人ともに、甲状腺に異常有
http://blog.goo.ne.jp//jpnx05/e/aed78344e2b4e9e4dd248887485b3744
2014-03-05
★外の放射線量は10cm違っても様々に異なる値
2.3マイクロ、5マイクロ、普段の46倍、100倍・・
★3月12日1回目の爆発。23μSv/h 普段の460倍
屋内退避等の広報車もなく、爆発を知らずに外に2時間居た。
★子供たちのホールボディカウンター
・事故直後に受けさせようとしたが、どこに問い合わせしても不可。
・東京まで行って受けた人いたが、データを渡してくれない。
・データを渡してくれるところを探したがなかった。
★甲状腺の血液検査
電話したが、いわき市内一斉に「検査しない」という耳を疑う結果
★福島県に問いあわせ
Q「どこで被曝した証拠を残せるか」 A「ない」
★事故から5か月後
・いわき市発表の放射線量は0.12μsv/h
・私が測ると0.24〜 22.14μsv/h
・有志で検査20000bq/kg
★事故後に家族、友人に実際おきた体の変化
毎日続く下痢、鼻血、口内炎、鼻の中のできもの
★行政の対応
・ストロンチウムやプルトニウムなどの核種の測定値を
見たいというと、「市民が混乱する」という理由で
詳細なデーターを出さず。
・学校は生徒、児童を守らない。
放射能を怖がらないように私が指導をうけた。
★避難することを許してもらえず。
夫を捨て、年老いた両親を福島に残し、北九州に避難
★九州の産廃、セメント工場では『福島の石炭の焼却灰』を受け入れ、
リサイクルしている。瓦礫受け入れ以前から今も粛々と・・!!
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