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避難区域、乏しい情報で決断 責任者の「福山調書」入手
http://www.asahi.com/articles/ASG6J4QKHG6JUUPI004.html?iref=comtop_6_01
2014年6月17日04時00分 朝日新聞
取材に応じる福山哲郎氏=13日、木村英昭撮影
東京電力福島第一原発の事故時、官房副長官として住民避難政策の責任者を務めた福山哲郎参院議員が政府事故調査・検証委員会の調べに答えた聴取記録「福山調書」を朝日新聞は新たに入手した。専門知識や情報が乏しい中、刻々と悪化する原子炉の状況に追われるように、慌ただしく避難区域を決めていった当時の首相官邸内の初動対応を詳細に語っている。
当初の避難区域の線引きはそこに住む人々の人生を左右した。福山調書は政権中枢の意思決定過程を当事者が証言したもので、原発事故に伴う住民避難の難しさを考える貴重な資料だ。
政府は事故後、福島第一原発周辺の避難区域を@半径3キロ圏=2011年3月11日午後9時23分A10キロ圏=12日午前5時44分B20キロ圏=同日午後6時25分と同心円状に徐々に拡大した。15日午前11時には20〜30キロ圏に屋内退避を指示した。
福山氏は聴取で、避難指示区域を段階的に広げた理由について、原発から遠いところの住民を先に逃がすと、渋滞が起きて原発に近い住民が逃げられず危ないからだと説明。一方、東電から情報が届かない状況を調書で「埒(らち)があかない」と批判し、自らも原発の知識が不足していたと認めた。
さらに20〜30キロ圏への屋内退避について「避難をしているオペレーションの最中に何らかの爆発や何らかの放射性物質がたくさん飛散するような状況になるけれども、そのときに避難をしてもらう方がいいのか、屋内退避で家の中にいてもらった方がいいのかという議論を散々した」と説明。2号機格納容器の損傷が疑われ、4号機で火災が発生する異常事態の中、同圏内の6万2千人を含む30キロ圏内の全住民14万人を逃がすには4〜5日かかると試算され、緊急対応的な屋内退避を選ぶしかなかった経緯を答えていた。
政府は10日後の25日になってようやく20〜30キロ圏の屋内退避区域に自主避難を要請。福山氏は屋内退避が長引いたことについて「本当にご迷惑をおかけした」と聴取に語っていた。
朝日新聞は福山氏に調書を示して取材した。福山氏は自ら答えた内容と認めた上、避難指示について「限られた情報しかなかったが、一つひとつ理由を持って決めた。当時の判断が正しかったかどうかは歴史が決めるべきものだ」と述べた。「調書そのものは関係者のプライバシーに配慮して公開されるべきだ」とも語った。(宮崎知己)
◇
《解説》今なお13万人に避難生活を強いている福島原発事故。住民を我が家から引き離した始まりは、国による避難区域の設定だった。政府が限られた情報を頼りに住民一人ひとりの人生を左右する「線引き」をあたふたと決めていった現実が「福山調書」からは読み取れる。
整然と避難を進めるために徐々に避難区域を広げても、実際は渋滞が激しくなり、避難所の確保も難航した。朝日新聞と福島大の今井照(あきら)研究室が共同で行った避難者への聞き取り調査では、政府の避難指示は「全く適切でなかった」「あまり適切でなかった」と答える人が8割を超えた。福山氏も取材で「避難指示がどの程度伝わったのか自信はない」と認めた。
福島原発事故では避難区域の合理的な線引きは極めて困難であり、高度な政治判断が求められた。原発再稼働にはこうした経験を反映した避難計画が不可欠だが、安倍政権はその策定を国家のような強い権限を持たない自治体に任せている。無責任だ。(堀内京子)
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