http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/731.html
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http://blogs.yahoo.co.jp/taked4700/11529420.html
原子力規制委員会委員に新たに就任された田中知氏は本当に専門家なのか?
田中知氏の経歴は次のようなもの:
(*以下、ウィキの田中知氏のページから部分引用:)
1972年、東京大学工学部原子力工学科卒業。1974年、東京大学大学院工学系研究科修士課程修了(原子力工学)。1977年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(原子力工学)、工学博士。
同年、東京大学工学部助手(原子力工学科)。1981年、東京大学工学部助教授(工学部付属原子力工学研究施設・茨城県東海村)。1994年、東京大学大学院工学系研究科教授(システム量子工学専攻)。2008年、東京大学大学院工学系研究科教授(原子力国際専攻)。
2010年6月18日、日本原子力学会会長に就任。2011年10月、総合資源エネルギー調査会総合部会基本問題委員会委員に就任。
(*以上引用終わり)
そして、田中氏が学会長を務める日本原子力学会から、福島第一原発事故後の平成23年3月28日に「内部被ばくについて」( http://www.aesj.or.jp/information/fnpp201103/com_naibuhibaku20110328R.pdf )という資料が発表されている。ところが、この資料、重要なごまかしをしている。「粒子性の放射性物質の場合はマスクやタオルで口を覆うなど)ことである程度避けることもできます」と、放射性物質が大気中に微粒子となって漂っていて、それを呼吸で吸い込む可能性があることを認めているのに、微粒子による被曝を評価する方法が現在開発されていないことには触れていないのだ。単に、「各臓器・組織への放射性物質の沈着量、沈着した放射性物質が放つ放射線の種類、臓器・組織に与えるエネルギー、実際に沈着している期間の長さ(実効半減期)などに基づいて、内部被ばくの大きさ(内部被ばく線量)が計算できます」としていて、微粒子周辺の細胞が集中的に放射線を受ける場合の影響については無視したままだ。
放射性核廃棄物処分について、「放射性廃棄物地層処分の学際的評価」( http://www.aesj.or.jp/special/report/2013/r_gakusaitekihyoka_final20140204.pdf )という文書がやはりこの学会のサイトで公開されている。この報告書自体がとても回りくどい文書で読むのに苦労するが、結論は
>高レベル放射性廃棄物処分の最終的な方法としてわが国においても選択されている地層処分は、数十万年といった超長期の時間を対象として、地質学的状態の変遷を考慮に入れた安全確保が求められる技術である。このため、試験等による直接的な安全性の実証は困難であり、地質学的な状態予測など評価の前提に含まれる不確実性とその影響を組み込んで安全性を評価することが必要とされるが、逆に言えば、このような考え方を取ることで十分な安全確保を行うことは可能であると、地層処分の専門家は考えている。
ということのようで、簡単に言えば安全性の実証はできないが「安全だと考えることはできる」というものだ。机上の空論であり、安全だと想定はできると言っているだけだ。
日本原子力学会「福島特別プロジェクト」( http://www.aesj.or.jp/fukushimaproject/index.html )というものがある。「主な業務」として「 住民の方々への情報提供 放射線のモニタリング結果やクリーンアップ技術などに関する技術評価を行うとともに、放射線の健康影響も含め、一般向けに解説、報告を行います。その結果を住民説明用の資料などの形でとりまとめます。」と記しているが、資料として挙げられている2014年1月19日(日)にコラッセふくしま(福島市)で開催された本会シンポジウムにおける講演資料(pdfファイル)の中の一つの項目:
(3)放射線モニタリングと健康影響 竹安正則(放射線影響分科会/日本原子力研究開発機構)
は、多分もっとも一般市民が関心を持っているはずなのに、リンクが貼られていない。他の項目にはリンクが貼られていて、詳しい資料が見れるのにだ。
丸善出版から「福島第一原子力発電所事故 その全貌と明日に向けた提言 −学会事故調 最終報告書ー」という400ページを超す文書が出版されている。田中知氏が委員長としてまとめた報告書だ。ところが内容はありきたりであり、ある意味、ぞんざいとさえ思えるものだ。今年3月11日という事故後3年が経過した時点での出版だが、現地調査は行っていない。また地震時に現場に居た人たちへの聞き取り調査も実施していない。今までに公開された各種事故調報告書や東京電力の公開資料をもとにした報告書でしかない。
「8 事故の根本原因と提言」として353ページから371ページまでを費やしているが、書かれていることはほとんどあまりにも当たり前で無意味だ。例として津波に関する部分を一部を引用する。
>津波に関しては豊北地方太平洋沖地震の発生前に二つの新しい知見が得られていたにもかかわらずこれらへの対策が実施されなかった。新しい知見とは、第一が貞観三陸沖地震津波についてである。古文献に記述があり、これと対応する津波堆積物が宮城県を中心に発見され、それを再現する津波波源が学術論文として発表されていた。第二が福島県沖海溝沿いの津波地震についてで、文部科学省の地質調査研究推進本部が発生の可能性を指摘していた。平成20年(2008年)に東京電力はそれぞれの津波に対するシュミレーションを実施し、福間第一原子力発電所において最高で9.2mおよび15.7mの波高を計算結果として得ていた。しかしながら東京電力は、第一にこうした津波波源が学会の一致した意見ではない、第二に発生確率が対策を必要とする程度に高くないという判断によって、これらの津波に対する対策を先延ばしにしていた。ただし、確率論的に津波対策を検討するのであれば、むしろ、想定波高を上回る津波に対して炉心損傷確立が急に高くなるといういわゆるクリフエッジを問題とすべきであろう。(*353ページから354ページ)
>国際的な取組みや共同作業から謙虚に学ぼうとする取組みが不足していた。 過酷事故対策や自然災害への対策を、海外での経験やIAEAなどの国際的な取組みから学ぼうとする姿勢に欠けていた。たとえば、マグニチュード9.1を記録した平成16年(2004年)のスマトラ島沖地震では巨大津波が発生しており、インド洋の対岸にある原子力発電所が浸水するという事態に至っている。しかしながら、このような規模の地震と津波がわが国の近海で発生すると想定し、その場合に原子力発電所が浸水する事態になることを予測し、対策を施すということがなかった。(*356ページ)
>今回の事故は、地震による想定外の津波という自然現象を起因として、直接要因により原子力災害へと拡大したものであり、その背後にはさまざまな組織面を中心にさまざまな問題点が複合的に存在していたことが明らかとなった。(*356ページ)
>津波がある高さを超えて施設が浸水すると安全設備の多くが機能と(原文のまま)喪失し、厳しい状況となった。なお、今回の事故を踏まえ、新規制基準で、既往最大を上回るレベルの津波を「基準津波」として設定し、この基準津波への対応として防波堤などの津波防護施設などの設置が義務づけられた。(*360ページ)
>津波対策を強化することは重要であるが、一方で、これまで地震対策のみに注目する中で津波対策が不備となった経験を踏まえ、地震と津波への対策と同時に、それ以外に今回の事故と同様、共通要因により一度に様々な安全設備の機能喪失を招くおそれのある事象に備える必要がある。そのためには、今後の地震、津波などさまざまな外的事象に対して、確率論的リスク評価(PRA)を活用してリスクを定量的に評価し、巨大な自然災害などへの耐性を確認することが有効である。(*361ページ)
>自然現象に対する予測の質を高めるために、自然現象の不確かさやプラントシステムの耐性の不確かさを考慮する確率論的リスク評価の活用に優先的に取り組むべきである。(*364ページ)
>直接的要因としてその代表的事例を具体的にあげれば、津波対策としての防潮堤のかさ上げが検討されていたものの検討が遅かったため、事故に間に合わなかったこと、社内で水没の危険性を指摘されていながら非常用発電機がタービン建屋の地下階に設置されたままとなっていたこと、直流電源や配電盤についても同様の指摘があげられている。トップダウンとボトムアップにより品質マネジメントシステムを適切に運用することが必要である。(*365ページ)
>福島第一原発事故の背後要因として、国の規制当局が事前に津波想定に関する新しい情報を得ていたにもかかわらず、対策を指示しなかったなど、その安全に対する意識の不足があったことを8.1節で指摘した。また、過酷事故対策に関する安全規制は国際的に大きな後れをとり、その検討も行われていたが、迅速な対応はとられなかった。防災対策も実効性のある措置がとられず、緊急時に関係組織を十分統括し、適切な対策を実施するためのマネジメントが確立されていなかった。(*366ページ)
以上の記述を読んで、まず最初に感じるのは、無責任さとでも言う感覚だ。基本的に「事故が起こったのはヘマをしたからで、うまくやれば大丈夫」という感覚があふれているように思える。対策として提言されているのは確率論的リスク評価だ。
しかし、そもそも地震や津波という自然災害は実験することが出来ない。つまり、科学性の基本である再現性というものが大規模な自然災害に対しては機能しないのだ。例えば車の開発であれば、時速50キロとか100キロで衝突実験をくり返し、車体の安全性を評価する。ところが、大地震や大津波については実験がそもそもできないから、基本的な科学性が欠如している。このことを誤魔化すために使われているのが「確率論的リスク評価」という考え方だ。
確率論的リスク評価は、もともと、運転員があるスイッチを押し忘れる確率がどの程度あり、そういった確率の組み合わせでどんな事故がどのぐらいの頻度で起こるかを評価するものだ。そして、あるスイッチを押し忘れる確率は実際の日々の運転業務から求めることが出来る。つまり、実際の確率をかなりきちんと評価出来てこそ信頼性のある理論なのだ。しかし、大津波が来る可能性というのはかなり大雑把な数値でしか推定できない。よって、もし、大津波に対する確率論的リスク評価をするなら、かなり安全側に立った評価をする必要があるが、現実の評価についてはこの報告書では触れていない。
津波については、実はもっと深刻な問題がある。M9以上の大地震は数年から十数年間隔で連鎖することが分かっていた。だから、2004年のスマトラ島沖大地震があったため、近いうちに日本近海でも大地震が起こる可能性が予期されていなければならなかった。しかし、超大型地震の連鎖ということについては全く記述がない。1000年程度前に貞観地震が起こっていて、それにほぼ匹敵する大地震が2004年に起こっていたということを考慮に入れれば、津波対策が必要なことは誰でもが認めることのはずだ。これでは、原子力学会として超大型地震が連鎖することに気が付いていなかったのか、または、規制庁や東電が知らなかったのか、報告書からは判断が付かない。
更に、このことに関して報告書は、「東京電力は、第一にこうした津波波源が学会の一致した意見ではない、第二に発生確率が対策を必要とする程度に高くないという判断によって、これらの津波に対する対策を先延ばしにしていた」としている。この文面からは東電が超大型地震連鎖という現象に無知であったのだと読めてしまうが、実際は異なるはずなのだ。つまり、貞観地震で大津波が来たということについては、研究者から東電だけではなくて規制機関に対しても同じ場で伝えられていたからだ。原子力安全委員会や保安院の関係者にも貞観地震とその津波については伝えられていたのであり、東電がそのリスクを無視したのは監督官庁も知った上でのことのはずだ。だから、監督官庁の関係者も超大型地震の連鎖について気が付いていなかったと考えられる。しかし、2004年に始まる現在進行中の超大型地震連鎖の前回版は1960年前後のものだ。つまり、太平洋戦争終戦前後の東南海地震や南海地震もM7から8級ではあったが、超大型地震連鎖の一環として起こっていたのであり、学会も監督官庁も事業者でさえつい数十年前の現象を知らなかったことになってしまう。これでは、消防士が水とガソリンの区別がつかないのと同じで、危険極まりない。そして、事実、過酷事故は起こってしまったのだ。
更に悪いことに、地震で原子炉が壊れた可能性については無視をしている。「明日に向けた提言」というからには、原発事故の経過がはっきりしないため地震で壊れた可能性があることを認め、確率論的リスク評価の対象に含めるべきだと思うが、そういったことも述べていない。
ある意味、この報告書で述べている「根本原因」は事故対策に不備があったというだけであり、「提言」は対策をきちんとやれと述べているに過ぎないものだ。具体的な実効性はほとんどないと言っていい。
なお、この報告書はそれなりに指摘をしている部分がないわけではない。例えば、121ページで「国際的にも1000年に一度から1万年に一度程度までの発生頻度の自然現象を考慮することを求めている国は多い」として、わが国が、「さまざまな自然現象などについて、バランスよく体系的にリスク分析をするという視点に欠けていた」とまとめている。
以上、今回新たに原子力規制庁の委員に任命された田中知氏が学会長をされてきた日本原子力学会について述べたが、みなさんは日本原子力学会及び田中氏についてどう思われるだろうか。
2014年06月16日01時50分 武田信弘 ジオログはヤフーブログへ移行しました。127
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