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20140614 R/F #075「小出裕章ジャーナル」【原発の町・伊方住民の40年の闘い】
※文字起こし
原発の町・伊方住民の40年の闘い「なんで四国の一番大きな町、高松とか松山に原子力発電所を建てないで自分達の所に建てるのだという疑問がどうしても抑えられなかったわけです」〜第75回小出裕章ジャーナル
http://www.rafjp.org/koidejournal/no75/
2014年06月14日 ラジオフォーラム
聞き手:
今週のテーマなんですけれども、「原発の町・伊方住民の40年の闘い。これについて小出さんにお話を伺っていきたいと思っています。よろしくお願いします。
原発再稼働の有力候補の一つとして挙げられているのが、愛媛県の伊方原発です。四国電力伊方原発1号機が運転を始めた直後から、長年にわたって原発周辺海域の環境を地元の方達が独自に調べてきた、その調査が終了したと伺っています。
こちらの調査に対して、小出さんがかなり長い時間にわたって支援され、地元の人達にとっても凄く大きな精神的支えになっていたと伺っています。まず、小出さんがこちらの伊方原発の調査に関わるようになったキッカケというのは一体何だったのでしょうか?
小出さん:
はい、私自身は大学の時に東北大学という大学におりまして、宮城県の仙台におりました。ちょうどその頃に、東北電力が女川という所に原子力発電所を造ろうとしていました。女川というのは、三陸にある小さな漁業の町でした。そこに東北電力が原子力発電所を造ろうとして、私自身は一番初めはそれに賛成というか、ありがたい事だと思ったのです。私自身が原子力をやりたいと思っていましたので。
でも女川の人達が「なぜ電気をたくさん使う仙台ではなくて、小さな自分達の町に原子力発電所を建てるのか」という疑問の声を上げたがために、私自身はその疑問に答えなければいけないと思って、原子力発電所というものの存在を自分自身でキチッと考えなければならないことになりました。
女川に半ば住み込みまして、原子力発電所に反対をするようになったのでした。74年から京都大学原子炉実験所という所に職を得まして、こちらに来たのですけれども、ちょうどその時から伊方原子力発電所に対しての裁判というものが始まっていまして、私も京都大学に来た時からその裁判に関わるようになりました。
私自身も証人として裁判所に出廷したこともありますし、たびたび現地に行ったり、裁判の傍聴に行ったりしたのです。そんな中で、伊方の現地の人達とももちろん話をする機会がたくさんできましたし、今、景山さんが聞いて下さった伊方の住民達と海の汚染の調査をするというようなことを始めました。
聞き手:
もう40年にわたっての関わりということですね。
小出さん:
はい。伊方の原子力発電所の1号機というのは1977年から動き出してしまったのですが、動き出してしまえばもちろん環境が放射能で汚れます。住民達は女川と同じように、「なんで四国の一番大きな街、高松とか松山に原子力発電所を建てないで、自分達の所に建てるのだ」という疑問がどうしても抑えられなかったわけですし、自分達の住んでいる町がどんなように汚染していくかということを自分達の手で明らかにしたいと、彼らは言いだしたのです。
そうなれば、私は原子力の場にいる専門家として、彼らの疑問に答えるために仕事をしなければいけないと思いまして、それ以降、彼らと一緒に調査をするということになりました。
聞き手:
すごい長い時間ですね。今回、5月末に小出さんがこの愛媛県伊方原発に関する調査結果を発表されたんですけれども、少しこちら発表内容について教えていただけますか?
小出さん:
はい。調査を始めたのは78年頃からだったと思います。初めての結果を得たのは、1979年で伊方原子力発電所の前面の海が放射能で汚れているという事を公表しました。
調査をしたのはもちろん伊方の住民でして、中には漁民もいたわけです。その漁民が自分が漁をしている海が汚れているということを自分の手で調べて公表するということですので、大変苦渋に満ちたことだったと思います。
でも、調査をしてすぐに「やはり海が汚れている」ということがわかりました。当時は、四国電力としても海に流す放射性物質の量については、それほど気にしないまま、まさか住民の手でそんな汚染が検出されるとは思っていなかったはずだと思います。
でも、私達の調査で汚染が見つかったということで、四国電力としても「やはり、これはまずい」と思ったのだと思いますが、それから放射能を海へ流すという量を少しずつ、少しずつ減らしてくるようになりました。
それにつれて、住民達の調査でも段々段々、海の汚染が少なくなってくるということがわかってきまして、10年、20年、30年と調査を続けてきたわけです。
一応、住民達が監視をすれば、四国電力の方も海へ流す放射能の量を少しでも減らすということに結び付いてきたわけですし、住民達の苦渋に満ちた調査というものも、それなりに役に立ったんだと私は思います。
そして、調査を始めた時には、住民達の団体は、「磯津公害問題若人研究会」という名前だったのです。私もそうでしたけれども、彼らもみんな20代という若者でした。それが今やみんな60歳を超えてしまうというような年寄りになってしまいましたし、一定の役割を果たしたし、これで調査というものを一応は終了させようかということで、先日、記者会見を開いてもらって、これまでの調査結果を聞いていただくことになったのでした。
聞き手:
そうですか。なんか、今回この調査が終わりということでですね。地元伊方の方やラジオフォーラムのリスナーの方からも、「調査を継続してほしい」というような声が入ってきてたんですけれども。
それは、やっぱり小出さんがこれまで伊方の方とずっと続けてこられた関係性によるものだと思うんですね。私が今回一番このテーマで伺ってみたかったことというのが、そうした小出さんと地元の方達の調査での関わり方というところだったんですが、専門家ではない、その地元の人達と共同作業をずーっと続けてこられたんですけれども、この作業を通じて、小出さん自身が学ばれたこととか、あるいは気付きのようなものというのはありましたでしょうか?
小出さん:
はい、私は原子力の専門家ですし、彼らはもちろん原子力の専門ではなくて、それぞれに漁師であったり農民であったり、あるいはサラリーマンであったりという、そういう人達でした。でも、みんな生きているんですね。
それぞれの自分の場所を大切にしながら、それぞれ懸命に生きようとしていた人達がいてくださったわけだし、私は、言ってみれば結構原子力なんていうヤクザな世界で生きてきたわけですけれども、ほんとに素朴に自然に向き合って生きていてくれる人達がいる。
そして、原子力というものの正体と言うんでしょうか。電気を使う都会ではなくて、自然に寄り添うように生きている人達のところに危険を押し付けてくるという、そういう物がどうしても我慢できないという、そういう気持ちだったのだと思いますし、そういう彼らの気持ちを私も共有できたために、長い間一緒にやってこれたのだと思います。
聞き手:
はい。お話伺っていて、この専門家という、専門の知識持ってる人の役割というのを改めて考えさせられたお話だったかなと思います。小出さん、今日はどうもありがとうございました。
小出さん:
こちらこそ、ありがとうございました。
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