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「仮設でパチンコできるのも 東電さんのおかげです
仮設で涙流すのも 東電さんのおかげです
東電さんよ ありがとう」
これは福島県浪江町の帰還困難区域に一時帰宅した住民が、自宅の窓に張り出した言葉である(「フクシマの首長」、雑誌「通販生活」夏号)。人間にこうした悲痛な言葉を発させるような事態は、二度とあってはならない。これは東電の人々も含め、誰しも同意することだろう。
「朝日新聞」が報道した「吉田調書」が反響を呼んでいる。そこで私が注目したのは、福島第一原発所員の9割が、3月15日朝に所長の命令なく無断撤退したことだった。
この日、福島第一原発所内では毎時400ミリシーベルトが計測された。これは5時間でも致死率5%、8時間では致死率5割に相当する線量だ。
報道では、所員の無断撤退が問題とされた。しかし本来、民間企業の従業員に、こうした状況で残れと命令する権利は誰にもない。拒否する権利、少なくとも辞職する権利は、保障されなくてはならない。
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このとき所員の9割は無断撤退したが、約70人が残留した。欧米では彼らを「フクシマ50」と呼んだ。それは勇敢さを称(たた)えたからだけではない。そんな状況で所員を働かせる人権無視に驚いたのである。
あるドイツ在住者は、当時の新聞投稿で、この問題への欧州人の反応をこう記している(本紙11年4月11日「声」欄=東京)。「民主主義の先進国で、これが可能なんて信じられない。ドイツ人ならみんな、残って作業するのを断るだろう」「欧州なら軍隊は出動するかもしれないけど、企業の社員が命をかけて残るなんてありえない。まず社員が拒否するだろうし、それを命じる会社は反人道的とみなされる」
軍人は死ぬ可能性のある命令でも従う旨を契約しているから、政府が軍の核対応部隊などに残留を命令できる。だがそんな契約をしていない民間人に、残留を命じる権利は誰にもないし、またそれに従う義務もないのだ。
この投稿者は、「日本でこのような議論があまり無かった気がする」と述べている。それはなぜか。日本では、民間企業の従業員が人権無視の契約外命令を受けても、拒否できないことが暗黙の前提とされているからだ。そして日本の原発も、その前提で運営されているのである。
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所員の9割が無断撤退した3月15日、菅直人首相は、東電に「撤退はありえない」と告げた。ただしこれに法的裏付けは何もなく、単なる「要請」である。東京消防庁が出動したのも「要請」によるものだ。
要請に応じるのは、原則的には、あくまで自己責任による自発的行為である。それゆえ要請に対しては、拒否できる権利が保障される。さもなければ、「法の支配」が確立した「民主主義の先進国」とは言えない。
だがそれなら、原発事故で誰が最後に残るのか。「日本人は要請に従うはずだ」とは誰も保証できないし、するべきでもない。残留する法的責任を負い、事故に対応できる技術と装備を持つ機関は、現在のところ存在しない。それなしには、冒頭の浪江町民の悲劇を繰り返さないための法制度が、整っていないことになる。
これは明らかに、法制度上の不備である。菅元首相は、福島第一原発の状況が悪化したら、東京を含む半径250キロ圏の避難が必要になるという試算を示され、国家の政治・経済機能が崩壊する危機感を覚えたという。それを考えれば、これは「グレーゾーン事態」よりも重大な安全保障上の欠陥ともいえる。この点の法整備なしに、原発の再稼働に賛成することは、私にはできない。(歴史社会学者)
http://www.asahi.com/articles/DA3S11182692.html
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