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脱原発へ人格権「大飯原発から250キロ圏内の住民は、直接的に人格権が侵害される具体的な危険がある」
http://takumiuna.makusta.jp/e250187.html
2014年06月03日 子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば
「司法判断は変わっていくのではないか。原発の停止で経済が大混乱しているわけではない。電気代の値上がりや貿易赤字の増加があったとしても、そうした経済の面よりも人格権が優先されるだろう」 井戸弁護士
福井地裁の大飯原発運転差し止め判決は今後の原発裁判を変えていくことになる大きな力を持ってると専門家も語ってます。
いまだ14万人の避難者、故郷を壊滅させた原発とは人格権を侵害するものです。
脱原発へ人格権(東京新聞6/3)
関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを命じた福井地裁の判決で根拠とされたのが、個人の生命や平穏な生活を保障する憲法上の人格権である。原告側は「画期的」と快哉(かいさい)を叫んだが、実は、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の運転差し止めを認めた2006年の金沢地裁判決が最優先したのも人格権だった。脱原発を実現するためには、再稼働による人格権の侵害を堂々と訴えていく必要がある。
「ひとことで言えば、司法の矜持(きょうじ)を示した判決だ。われわれに続く第二の判決が、3・11後にとうとう出てきた」
06年の金沢地裁判決で裁判長を務めた井戸謙一弁護士は、大飯原発の運転差し止めを言い渡した樋口英明裁判長に賛辞を送る。 今回の福井地裁判決までは、金沢地裁判決が原発の運転差し止めを認めた唯一のケースだった。福井地裁判決の原点である。原発が安全基準に適合するか否かではなく、人格権の侵害が起きる具体的危険の有無を判断する─。これが金沢地裁判決と福井地裁判決の大きな共通点となっている。
井戸氏は金沢地裁判決で、人格権について「生命・身体・健康を中核とする権利」と定義。北陸電側が、住民側が示した疑問点にきちんと答えられるかどうかを検討した。 その結果、「耐震指針の計算法が妥当ではない」「耐震設計は直下地震の想定が小規模」などと断じた。そして「北陸電の想定を超える地震で事故が起こり、原告らが被ばくする具体的可能性がある」と人格権侵害の危険性を認めたのだ。
福井地裁判決も「人格権は法分野において最高の価値を持つ」と指摘した上で、「大飯原発から250キロ圏内の住民は、直接的に人格権が侵害される具体的な危険がある」と結論づけている。 「われわれよりもさらに住民に寄り添い、表現を大胆にしている。行政の判断とは別に、司法は司法で判断するという姿勢を明確に打ち出した。今の憲法秩序からすれば、さまざまな権利の中でも人格権が最も優位というのは法律家の共通認識だが、ここまで判決で明言するのは珍しい」(井戸氏)
では、なぜこうした考え方が、数ある他の原発訴訟で出てこなかったのか。井戸氏は「原発の設置許可取り消し訴訟の判例が影響していることが要因のひとつ」と分析する。
設置許可取り消し訴訟では、もっぱら技術面が争点となる。具体的には「安全基準は合理的か」「安全基準に基づいて審査した原子力安全委員会(現在は原子力規制委員会)の判断は合理的か」の2点だ。基準そのものや、基準に基づく審査結果が妥当とされた場合、住民側がそれ以上の危険を立証できなければ敗訴する。
原発訴訟の指導的な判例とされる伊方原発訴訟の最高裁判決(1992年)は、原発の設置許可取り消し訴訟では「現在の科学水準に照らして、行政庁の判断に不合理な点はないかをチェックする」という立場を示している。
人格権は、憲法の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(13条)、ならびに「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(25条)との規定によって保護される。 広く国民の生活に根ざした権利のため、原発の運転差し止め訴訟に限らず、民事訴訟で争点になるケースは珍しくない。原発労働者の権利救済訴訟などを手がけている水口洋介弁護士は「名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害などに関する裁判で特によく使われる論理」と解説する。
実際に全国の裁判所では、人格権に基づいて原告の主張を認める判決が数多く出ている。仙台地裁は2012年3月、市民集会などを自衛隊が監視していたのは憲法違反に当たるとして住民が損害賠償を求めた訴訟の判決で「人格権が侵害された」と明言した。女性職員に対する上司の暴言がセクハラと認定されたり、暴力団事務所の存在が住民の平穏な生活を脅かしているとされたりするケースもあった。
今回の福井地裁判決では、原発の運転が電力の安定供給やコスト低減につながるとの関電の主張について「多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、当否を判断すること自体、法的に許されない」と切り捨てた。 福井地裁判決については、脱原発派などから「画期的」と評価する声が上がったが、推進派はおとしめることに懸命だ。
全国原子力発電所所在市町村協議会会長の河瀬一治・福井県敦賀市長は「規制委員会の判断を待たず、司法が結論を出すことには疑問を感じる」とコメント。電力会社や原子炉メーカーの幹部、学者らでつくる日本原子力学会も「ゼロリスクを求める考え方は、科学技術に対する裁判所の判断として不適切」「対策を適切に行えば事故の再発防止は可能。原子力利用は人格権を侵すものではない」との見解を発表した。 しかし、関西学院大法科大学院の神戸(かんべ)秀彦教授(民法)は「原発の稼働には危険があり、人格権が侵害されていることは明らかだ」と反論する。
神戸氏が訴えるのは、福島事故の前と後とでは、裁判所の見方も変わっているという点だ。「抽象的な危険性だけだと人格権侵害ではないと言うかもしれないが、福島事故により、具体的な危険があることが分かった。その点を福井地裁も考慮したのだろう」 原発の運転差し止め訴訟は全国各地で起きている。脱原発弁護団全国連絡会のまとめでは、使用済み核燃料再処理施設(青森県六ケ所村)などの関連施設を含めて現在、約25件もある。福井地裁判決は、原発訴訟の「標準」となるのか。
水口氏は「福井地裁は、経済的な効率ではなく、守るべきものは何なのかをはっきりと打ち出した。今後の裁判でも人格権を認めることが基本になる可能性があり、影響は大きいだろう」と期待する。 金沢地裁判決は、上級審で覆された。関電は22日、福井地裁判決を不服として名古屋高裁金沢支部に控訴した。 前出の井戸氏は「私が判決を出した当時とは状況が違っている」と強調する。「司法判断は変わっていくのではないか。原発の停止で経済が大混乱しているわけではない。電気代の値上がりや貿易赤字の増加があったとしても、そうした経済の面よりも人格権が優先されるだろう」
[デスクメモ]
日本原子力学会の役員名簿をみると、関西電力大阪北支店長の名前がある。学会が、福井地裁判決を攻撃するのも合点がいく。原発の危険性を訴え続ける京都大原子炉実験所助教の小出裕章氏は三十数年前、学会の会長に関電副社長が就いたのを機に脱会した。原子力規制委員候補の田中知氏は会長経験者だ。
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