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海水注入止めたのは官邸の誰? 吉田氏「記憶が欠落」
http://www.asahi.com/articles/ASG5T7QVZG5TUUPI004.html?iref=comtop_6_03
2014年5月27日05時41分 朝日新聞
照明が復旧した3号機の中央制御室=2011年3月23日、東電提供
爆発後の3号機の原子炉建屋=2011年3月15日、東電提供
2011年3月13日、東京電力福島第一原発の吉田昌郎(まさお)所長は首相官邸から電話を受け、原子炉を傷める3号機への海水注入を断念して淡水に変更した。電話の相手は誰だったのか。東電が12年に開示した社内テレビ会議録で判明しなかった事実について、吉田氏は政府事故調査・検証委員会の聴取でも「記憶が欠落している」と答え、その人物の名を口にしていなかった。
海水注入を巡っては、吉田氏が12日夜、官邸にいた東電の武黒一郎フェローからの中止要請を無視して1号機で継続したことが知られているが、実は13日未明にも3号機を舞台に「海水か淡水か」を巡る論争が繰り広げられていた。
吉田調書などによると、3号機は原子炉の水位が下がり、核燃料がむき出しになる危機を迎えていた。午前5時42分に淡水の入ったタンクがすべて空だという報告があり、吉田氏は海水注入を決断した。
「緊急です、緊急です、緊急割り込み!」
午前6時43分、官邸に詰めていた東電社員から電話が入った。吉田氏がこの時、原子炉を傷める海水注入は極力避け、真水や濾過(ろか)水を使用するよう要請されたことはテレビ会議録で判明している。
吉田氏は12日夜と異なり、この13日朝はあっさりと要請を受け入れた。吉田氏はのちの聴取で、電話の主が「官邸の誰か」に代わったことを明かしたうえでこう語っている。
「私は海水もやむを得ずというのが腹にずっとありますから、最初から海水だろうと、当初言っていたと思います。その後に官邸から電話があって、何とかしろという話があったんで、頑張れるだけ水を手配しながらやりましょうと」
ところが、質問が電話の相手に及ぶと、吉田氏の歯切れは悪くなった。
「ここは申し訳ないけれども、私の記憶はまったく欠落していたので(中略)、本当に誰と電話したかも完全に欠落しているんです。ですから、そこは可能性だけの話しかない」
吉田氏は電話の相手の可能性として、当時官邸にいた東電と原子力安全・保安院の幹部の名を挙げたが、断定はしなかった。真相は今もはっきりしない。
テレビ会議録によると、吉田氏が淡水を注入することを決めた後の午前9時13分、福島オフサイトセンターに詰めていた東電の武藤栄副社長も「もう海水を考えないといけないんじゃないの。これ官邸とご相談ですか」と淡水注入に疑問を呈した。吉田氏はそれでも淡水注入を続けた。
吉田氏は使える淡水をかき集めようとしたが、うまくいかなかった。そして午後0時18分。吉田氏はついに「あの、もう、水がさ、なくなったからさ」と海水注入への切り替えを指示した。
吉田氏は10分程度で切り替えが終わると思っていたが、実際に海水注入が始まったのは午後1時11分。この間、1時間近く3号機には水が入らず、原子炉はますます過熱した。深刻な事態を招く発端となった「官邸からの電話の相手」は今も謎のままだ。(木村英昭)
■3号機への海水注入を巡る3月13日の動き
午前6時43分
「官邸の誰か」が淡水注入を求める。吉田所長は受諾
午前9時13分
武藤副社長が海水注入への切り替えを進言。吉田所長は淡水注入を継続
午後0時18分
吉田所長が海水への切り替えを決断
午後1時11分
吉田所長が海水注入開始を報告
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