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絶望の吉田所長が感謝した 原発事故直後の「間組」の矜持
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/150497
2014年5月27日 日刊ゲンダイ
必死のがれき撤去(東京電力提供、右は吉田元所長)
朝日新聞デジタルが順次公開している「吉田調書」。その中身は、衝撃の一言に尽きる。
当時、福島第1原発の最高責任者であり、昨年7月に他界した吉田昌郎氏(享年58)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた約50万字の肉声だ。
9割の所員が事故直後に逃げ出し、付近住民に内緒でドライベントの作業準備を始めていたといった、吉田氏の驚きの証言が詰まっている。
その吉田氏が「ものすごい恨みつらみ」と本音をぶちまけたのが、誰も救助や応援に来てくれなかったと語ったくだりだ。
そのやりとりを一部抜粋してみよう。
「本店(東京電力本社)にしても、どこにしても、これだけの人間でこれだけのあれをしているのにもかかわらず、実質的な効果的なレスキューが何もないという、ものすごい恨みつらみが残っていますから」
――結果として誰も助けに来てくれなかった?
「消防隊とか、レスキューだとかいらっしゃったんですけれども、これはあまり効果がなかった」
――(原子力安全)保安院はどうなんですか?
「オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点)が(60キロ離れた)福島(市)に引き揚げるとなったとき、みんな福島に引き揚げられて。結局、16日、17日ぐらいまで、自衛隊や消防がピュッピュやっているときはいなかったような気がする」
現場にいるべきはずの保安院の担当官まで逃げ出していた。まさしく四面楚歌(そか)で、吉田氏の絶望が見てとれる。
そんな中、特筆すべき吉田氏の発言もあった。がれきの撤去作業のために駆けつけてくれた“ある会社”の存在だ。
「バックホー(油圧ショベル)が数台、もともとこちらにあったのと、間組さんがどこからか持ってきてくれて、主として最初のころは間組なんです。土木に聞いてもらえばわかりますけど、間組さんが(放射)線量の高い中、必死でがれき撤去のお仕事をしてくれていたんです」
「6号への道が途中で陥没したりしていたんです。その修理だとか、インフラの整備を最初に嫌がらずに来てくれたのは間組です」
実は、間組(現・安藤ハザマ)は震災直後に社内有志を募り、パワーショベルやトレーラーの運転士ら7人の社員を現地に送っている。選ばれたのは、すべて50代のベテランのみ。「健康被害が心配」(間組関係者)ということで若い社員の派遣は見送られたという。 7人のおじさんは、退避する車の流れに逆行して福島に到着し、15日から作業を始めた。
企業事情に詳しいIMSアセットマネジメントの清水秀和氏がこう言う。
「間組には〈現場から逃げ出さない〉という社内風土がある。171人の犠牲者を出しながら完成させた黒四ダムの施工者も間組です。福島原発と同社は縁もゆかりもない。それでも現場に駆けつけた。彼らは“土方の矜持(きょうじ)”と言うはずです」
誰も知らなかったが、現場にはこんなドラマがあったのだ。
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