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確率的に起こる病気と「鼻血」問題・・・指導者の見識を問う
http://takedanet.com/2014/05/post_edfc.html
平成26年5月21日 武田邦彦(中部大学)
鼻血の問題は小さいようで原発と健康の本質をついている。それにしても「有識者、指導者」、「情報発信の人」と呼ばれる人の言動を見ると、本当に日本という国は「野蛮国」ではないかと心配になってくる。
低線量被曝で病気になるかどうかは、「確定的」ではなく、「確率的」であることが知られていて、それを前提に私たちは放射性物質を扱ったり、治療を受けたり、原発を運転したりしている。
「確定的」というのは「火の中に手を入れると火傷をする」というようなもので、「ほとんどの人がある条件になると発病する」という場合で、「確率的」というのは弱い打撃を10万人の人が受けるとどのぐらいの人が病気になるかというもので、1年1ミリシーベルトの場合、10万人あたり6.6人が「致命的発がん、重篤な遺伝性疾患」になるとされている(国立がんセンター見解)。
だから、10万人の人が被曝しても、そのうち99993人の人には異常がなく、わずか7人の人が病気になるということだ。「そんなに少ないの?」と驚くかも知れないが、10万人で6.6人ということは、日本人全体では8000人を超える犠牲者がでるということだ。
交通事故が1万人を超えた時、「交通戦争」と言われたぐらいだから、8000人の犠牲者はかなり多い。「原発の事故というのは電力会社のミスだから、それで犠牲になる人は日本人全体で8000人以下に止めたい」というのが1年1ミリシーベルトという規制の趣旨である。
子どもを持つお母さんとしては、いつも子どもに「車に注意しなさい!」と言っているのだから、それが2倍になるというのはギリギリだろう。それ以上になるなら原発は止めてくれと言うのではないか?
原発事故の後、「もっと犠牲者が出ても構わないじゃないか」という人はい無いが、「1年1ミリシーベルトは厳しすぎる」という人はいる。その人に「それじゃ、何人ぐらいの犠牲者なら良いのですか?」と聞いても答えない。
低線量被曝で鼻血がでる線量はハッキリしないが、“1年1ミリシーベルト並み”とすると、鼻血が出た人はそれほど多くない。たとえば重篤な病気より10倍から100倍多いとしても、10万人あたり60人から600人ぐらいだから、その他の99940人から99400人は鼻血を出していない。
つまり1660人から166人に一人が鼻血がでたということになるので、「俺は出なかった」とか、「100人の記者を調べたら、だれも出たと言わなかった」などと言っても、それは何の意味も無い。
「俺は交通事故で死んでいないよ。だから交通事故で死んだ人がいるなんてウソだ」とか、「俺の職場で交通事故に遭った人はいない。東京で交通事故があるなんて風評を立てるな」など言う人はどういう人なのだろうか??!
また、国会議員が10回か数回、福島に行っても時間が短いので被曝量は格段に少ない。
このことで判ると思うが、「鼻血が出たと言って騒ぐな。俺は出ない」とか、「職場の人に聞いたら鼻血が出たという人はいなかった」などというのはまったくナンセンスだ。特に、議員さんが数回、福島に行っても、被曝量は(時間×線量率)だから、そこに住んでいる人とは全く違う。たとえば3ヶ月福島にいた人と、3日間(24時間ずっと)福島にいた人では30倍違う。
そうなると3日間フルに福島に行った議員さんが鼻血を出す可能性は、さらに低く5万人に一人から、5000人に一人というレベルになるので、まずちょっと福島に行ったぐらいでは鼻血が出ないことが多いということになる。
でも確率的というのは「ちょっと行っても鼻血が出る人もいる」ということだから、簡単に言うことはできない。面倒なようだが、「有識者、指導者」ともなれば、このぐらいのことを知らないで原発を云々することはできないのは当然である。
指導者は指導者らしく、高い見識と慎重な配慮が必要である。日本の将来を議論していくためには、「こう言った方が得だから」と言うことを止めて欲しいものだ。
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