http://www.asyura2.com/14/genpatu38/msg/333.html
Tweet |
吉田氏、非常冷却で誤った対応 「思い込みがあった」
http://www.asahi.com/articles/ASG5Q7GJPG5QUUPI005.html
2014年5月23日05時25分 朝日新聞
東京電力福島第一原発の吉田昌郎(まさお)所長が東日本大震災が起きた2011年3月11日、電源喪失時に原子炉を冷やす1号機の非常用復水器(IC)の仕組みをよく理解していなかったため、異変を伝える現場の指摘を受け止められず、誤った対応をしていたことが分かった。吉田氏は政府事故調査・検証委員会の聴取で「ここは私の反省点になる。思い込みがあった」と述べていた。1号機は冷却に失敗し、同日中にメルトダウン(炉心溶融)した。
吉田氏の聴取を記録した「吉田調書」によると、中央制御室の運転員が11日夕にICの機能低下に気付き、冷却水不足を疑って吉田氏のいる緊急時対策室へ伝え、軽油で動くポンプで水を補給するよう促した。
だが、吉田氏はICの仕組みを理解していなかったため、「水の補給」が機能低下のサインと認識できず、ICが機能している間に行う「原子炉への注水準備の継続」という指示しか出さなかった。
吉田氏はICが実際に作動したのはこの20年間で今回の事故が初めてだったと聴取で証言。政府事故調の報告書は「訓練、検査も含めICの作動を長年にわたって経験した者は発電所内にはいなかった」とした。
吉田氏は「ICそのもののコントロールの仕方はほとんど分かりません」「ICというのは特殊なシステムで、はっきり私もよく分かりません」とも述べ、「中操(中央制御室)との意思疎通ができていなかった」と反省した。
吉田氏は「日本を救った男」と評されたが、調書には「反省の言葉」が多くある。「私は今、猛烈に反省している」「現場側からのSOS発信がこちらに届いていなかった」などだ。
吉田氏は本店の対応にも言及し、「サゼスチョン(助言)というものは本店から一切なかった」とも証言。本店が適切に指示しなかったことを指摘する発言で、東電の危機管理体制の問題点を示すものだ。
1号機は11日午後3時37分に全交流電源が喪失。高い所から重力で原子炉に水を注ぎ込むICが極めて重要な局面だった。全電源を失っても原子炉を制御できる切り札だ。後にICが作動しなかった可能性が指摘されたが、この時の現場からの指摘でICの機能不全に気付いていれば、ベント(排気)やICの復旧など他の対応策に早く移り、被害拡大を抑えられた可能性がある。
吉田氏は午後10時ごろ、1号機原子炉建屋の放射線量上昇を聞き、やっとICが動いていないと疑い始めたが、事態はすでに深刻さを増していた。国の解析では1号機は午後6時に炉心損傷し、その2時間後に炉心溶融した。(木村英昭、堀内京子)
◇
〈非常用復水器(IC)〉 非常時の冷却装置。原子炉圧力容器で熱せられた蒸気が配管を伝ってICに入り、冷却水で冷やされ水になる。ICは原子炉圧力容器より高い所にあり、水は重力で再び原子炉圧力容器に戻る。この循環が続くとICの冷却水は蒸気になって放出口から外部へ出るため、ICに冷却水を補給する必要がある。
■切迫した場面、対応には限界
《解説》福島第一には原発が6基あった。異変はあちこちで同時多発し、情報は交錯した。原発のプロも緊迫した場面で「勘違い」や「思い込み」から逃れるのは難しい。それを防ぐ東電全体の支援体制も不十分だった。吉田氏が自らのミスを率直に認めた「吉田調書」が残す重大な教訓だ。
調書にはもう一つ、吉田氏がミスを認めた箇所がある。原子炉から漏れ建物にたまった水素が爆発したとされる12日の1号機爆発。吉田氏は水素を抜く装置が稼働していると勘違いし、「水素がたまっているという発想になかなか切り替えられなかった」と述べた。
柏崎刈羽7基、大飯4基、玄海4基……。切迫した場面でひとりの責任者が複数の原子炉について正しい決断を下せるのか。人間の能力の限界を踏まえた対応策が用意できないなら、原発再稼働への不安はぬぐえない。(宮崎知己)
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素38掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。