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ドライベント、3号機準備 震災3日後、大量被曝の恐れ
http://www.asahi.com/articles/ASG5N2F8DG5NUEHF003.html?iref=comtop_6_01
2014年5月21日03時00分 朝日新聞
東京電力が2011年3月14日、福島第一原発3号機で高濃度の放射性物質を人為的に外気に放出するドライベントの準備を進めていたことが分かった。国はこの時、混乱を避けるため3号機の危機を報道機関に知らせない「情報統制」をしており、多数の住民が何も知らないまま大量被曝(ひばく)する恐れがあった。当時の吉田昌郎(まさお)所長(13年死去)が政府事故調査・検証委員会の聴取に答えた「吉田調書」で明らかになった。
ベントは原子炉格納容器が圧力上昇で壊れて放射性物質が大量放出されるのを防ぐため、格納容器内の気体を人為的に抜いて圧力を下げる最後の手段。水を通して抜くウエットベントと比べ、水を通さないドライベントは100〜1千倍、濃度の高い放射性物質を外部に出す。今回の事故対応では実施されなかった。
吉田調書などによると、3号機は14日未明、注入する水が枯渇して危機を迎えた。東電はウエットベントで格納容器の圧力を下げようとしたが下がらず、14日午前6時23分、次善の策としてドライベントの検討を始めた。午前7時前の時点で甲状腺がんを起こす放射性ヨウ素が南南東の風に乗って北北西方向に広がり、3時間で福島県北部の相馬郡付近が250ミリシーベルトになると予測。この値は甲状腺被曝の影響を防ぐため安定ヨウ素剤を飲む当時の国の目安100ミリシーベルトを超えていた。
国から午前7時49分に情報統制に入ったと通告された後も、東電は再度、ドライベントを実施した場合の放射性物質の拡散を予測していた。
吉田氏は政府事故調の聴取でドライベントを検討していたかと質問され、「それはもちろん、しています」と明言。一方で、それに先だってウエットベントの操作をしている間に「爆発してしまって何か圧が下がってしまったんですね」と述べた。
これは午前11時1分に3号機建屋の爆発が偶発的に起きた後に圧力が下がり、人為的なドライベントを実施する必要がなくなった経緯を説明したものだ。爆発後、構内の放射線量はほとんど上がらなかった。偶発的な爆発と違い、人為的なドライベントには危険性を住民に周知する責任が発生する。
当時、国は3号機の圧力上昇を報道発表しないよう東電と福島県に要請していた。この情報統制について吉田氏は聴取で「そんな話は初耳」とし、「広報がどうしようが、プレス(報道発表)をするかしないか、勝手にやってくれと。現場は手いっぱいなんだから」と証言。原子炉の制御に追われ、住民への周知にまで気を使う余裕がなかったことを打ち明けていた。
東電広報部は取材に対し、3号機で放射性物質の拡散予測を含めドライベントの実施を検討したが、住民には知らせなかったことを認めた。最終的に実施しなかった理由については「事前の検討段階で、最終的に実施する必要がなくなった」とした。(木村英昭)
■住民の安全、誰が守る
《解説》吉田調書の教訓は、ひとたび過酷事故が起きれば電力会社にとって住民の安全は二の次になるという現実だ。福島第一原発を預かる東京電力社員たちは事故直後、原子炉の制御に精いっぱいで、避難住民に配慮する余裕がなかった。
大量被曝(ひばく)を招きかねないベントを実施する場合、住民にどう周知するのか。事故対応と住民避難は切り離せないのに、そのルールは事故から3年以上たった今もあいまいだ。
根本的な問題を解決しないまま、国は原発再稼働への道筋を描く。事故対応は電力会社に委ね、住民の避難計画は自治体に任せているのが実情だ。
再稼働の議論で欠落しているのは、避難住民の安全に誰が責任を負うのかという視点だろう。吉田調書の教訓を自治体や住民と共有し、透明なルールをつくることが必要だ。(堀内京子)
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