http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/821.html
Tweet |
福島県飯舘村の菊池製作所で
(プロメテウスの罠)震災と皇室:19 「飯舘村に行きたい」
http://www.asahi.com/articles/DA3S11120068.html
2014年5月5日05時00分 朝日新聞
◇No.910
狭心症を抱えていた天皇は2012年2月に冠動脈バイパス手術を受けた。しかし退院後の5月には皇后とともに東北訪問を再開する。
交通網の復旧は進み、自衛隊機ではなく鉄道と車での移動となった。
12年5月には仙台市。13年7月には岩手県大船渡(おおふなと)市と陸前高田(りくぜんたかた)市を訪れた。
しかし福島県だけは再開後に2回訪れた。強い思いがあったようだ。
12年10月に川内(かわうち)村を訪れ、防護服を着ずに除染作業を視察した。
13年7月には飯舘(いいたて)村と福島市。
飯舘村は11年4月22日、全域が計画的避難区域に指定された。しかし村長の菅野典雄(かんののりお)(67)は、屋内の線量は低いとして、避難に例外を設けるよう首相の菅直人(かんなおと)(67)に求め、特例を認めさせた。
この結果、特別養護老人ホーム「いいたてホーム」や企業8事業所は村内で操業を続け、従業員や職員が村外から通えるようになった。
飯舘村には13年6月ごろ、福島県を通じて宮内庁から、両陛下が訪問を望んでいるとの意向が伝わった。
宮内庁の要望は「菊池製作所をご訪問になりたいとのことです」。
菅野は驚いた。
「菊池製作所なんて、そんな村の企業の名前まで知っておられるのか、と思いましたよ」
菊池製作所は村出身の菊池功(きくちいさお)(70)が東京・八王子で創業した精密機器部品メーカーだ。故郷の優秀な人材育成を目標に、11工場のうち6工場を飯舘村に置いた。
震災にもかかわらず11年10月にはジャスダックに上場。12年には近くの川内村の誘致に応じ、新工場を建設している。
訪問は13年7月22日にあった。迎えた菅野は、侍従から「両陛下は1年前から、飯舘村に行きたいといわれていました」と聞く。
工場で、天皇も皇后も若い従業員たちに声をかけていく。
「これは何の部品?」
「どこから通ってきているの?」
従業員の多くは飯舘村の住民だが、震災後は村外の避難先から工場に通ってきていた。
菊池製作所が開発に加わった放射線測定装置「ガンマカメラ」の実演を見た。放射線をモニターに映し出して可視化する装置だ。
天皇は「こういうものがあると除染が効果的にできるでしょうね」。
皇后は去り際、菊池にいった。
「飯舘村が早く戻るよう祈っています」
(北野隆一)
*
【プロメテウス】人類に火を与えたギリシャ神話の神族
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素37掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。