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チェルノブイリ事故28年 元の生活 戻らない
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2014年4月27日 東京新聞朝刊 こちら特報部:[ニュースの追跡]より 俺的メモあれこれ
1986年のチェルノブイリ原発事故から26日で丸28年。少女のころに被ばくし、甲状腺がんになったウクライナ人女性のシネオカヤ・インナさん(32)=写真=が来日し、東京都内で講演した。一人娘を心の支えに、がん再発の恐怖と闘い続ける。福島の子どもたちのため、今できる全てを尽くしてと訴えた。(榊原崇仁)
◆13歳で甲状腺がん インナさん 「福島の子のため 今できる全てを」
「原発事故の影響は一生、容赦なくついて回ります」。24日に講演したインナさんはこう聴衆に語りかけた。
事故は4歳の時。自宅のあったウクライナの首都キエフは、チェルノブイリ原発から南に約100キロ離れていたが、放射能の影響を免れなかった。
当初、政府が情報を隠したため、避難は事故から約1カ月後と遅れた。キエフから南西に200キロ離れたビンニツァに逃れたものの、親の仕事の都合もあり、その約1カ月後には、自宅に戻らざるを得なかった。
9年後、13歳の時だった。のどに鶏の卵ほどのふくらみができた。検査を受けると、甲状腺がんと診断された。
「母親が壁に手をつき、激しく泣いたのを覚えています。私自身、体にメスを入れることにおびえました」
事故で飛散した放射性ヨウ素が原因とみられ、事故による障害と認められた。甲状腺がんで治療のかいなく亡くなった友人もいる。幸い、インナさんは甲状腺と副甲状腺を摘出して事なきを得たが、首回りに残った手術痕が心を重くした。
「障害者になったという事実が何よりつらい。再発の不安がついて回り、元の生活は永久に戻りません」
手術後、体調が優れず、入退院を繰り返した。大学卒業後は教育関連の仕事に就き、今では母親となったが、新陳代謝をつかさどる甲状腺を摘出したせいか疲れやすい。代謝を促す薬を飲み続けるが、心臓が痛いと感じたり、頭痛がよく起きる。
不安は、インナさんだけでなく、一人娘にも付きまとう。6年前、身ごもった際に受けた血液検査で、がんの存在を疑わせる異常な数値が出た。精密検査で深刻な状況ではないと判明したが、その後は検査を避けている。もう心配したくないからだ。
「生きる支え」の娘は元気に育っている。「今、何よりも健康を気遣っている。自分のためではありません。私に何かあれば娘は母親なしで生きていかなければならなくなるから」
被ばくの苦しさを身をもって知るだけに、インナさんは福島第一原発事故は人ごとと思えないという。甲状腺がん手術後の療養生活で、日本の「チェルノブイリ子ども基金」による支援を受けており、「はるか遠くから手をさしのべてくれた人々」という思いもある。
「日本の悲劇に深い悲しみを抱いています」。そのうえで、こう訴えかけた。
「将来、子どもたちが病気にかかる可能性を少しでも減らすように努力してほしい。『あの時、あれをしておけばこうならなかった』と後悔しないでください。今できることを全力でやってほしい。甲状腺がんが見つかったとしても、子どもたちは絶望してはいけません。夢や目標、強い信念を持てば、病気に負けない人生を送ることができます」
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