26. 2014年4月15日 20:34:13
: esmsVHFkrM
>>23、IKAさま、「文句は別にありませんよ」とのこと、うれしく思います。 本来ならもうあなたに何も申し上げることはありませんが、あなたがそに「文句は別にありませんよ」に続けて>>23で述べたことについて若干の意義と考察がありますので以下に述べます。 IKAさまは、なにかわたしが「政府やマスコミの言うことを何でも嘘だと決めつける」愚かな人間であるかのように書いておられますが、それは違います。 ふつうの民主主義国家であれば、そのような穏健で中庸な態度が当然であることは言を待ちません。わたしもそのように他人に説教してみたいものです。 しかし、わたしたちが住むのは、東京裁判取引でアメリカの犬となることにより敗戦を生き残ったファシズム利権官僚がそのまま支配する利権官僚政府の日本です。この戦後民主主義の檻に閉じ込められた利権官僚政府は自民党の永久政権を通じて憲法と戦後平和民主主義の諸原則を徐々にかつ執拗に破壊して今日に至っています。 そのような反民主主義的な政府が、戦前と同じく人民大衆や社会的弱者や社会的少数派に対して常に冷酷で残酷であったことは当然で、そのもっとも顕著な表れが水俣病を含む数々の公害病問題です。そこで行われたことは、公害病被害者に対する自民党官僚利権政府のサボタージュです。被害事実、その原因、患者認定等々における事実の隠蔽、情報の隠匿、必要で当然の調査の忌避、そのような自民党利権官僚政府のサボタージュは、水俣病についてはすでにわたしの>>15に述べたとおりです。 このような事実の隠蔽と情報の隠匿についてさんざん「前科」がある官僚利権政府は、原発についても当然現時点ですでに数々の「前科」を重ねています。 「地震にかかわらず原発は無事だった」、「ベントはしたが放出した放射能は微量だ」、「爆発はあり得ない」、「格納容器は健全だから放射能漏れはない」、「水素爆発はしたが圧力容器は健全だから放射能漏れはない」、「核燃料は依然健全だ」、「核燃料が一部溶けたようだがメルトダウンはない」、「メルトダウンはしているようだがメルトスルーはない」、「メルトスルーはしたようだが依然格納容器内に留まっている」、「核燃料は地中に達したようだがそれは一部だ」、「放射能漏れはあるものの軽微だ」、これらはみんな東電と官僚利権政府の原子力ムラが事故後についてきた嘘です。そして今は「放射能漏れはあるが、実は放射能はそれほど危険ではない」と言っています。 この嘘が悪質であるのは、真実は常に長期間隠蔽された後で「実は」という形で後追いで公表されることです。原子力ムラが今言っていることが事実かどうかを確かめようにも、今公開されている情報は限定的で断片的です。状況の判断のために必要で当然行われるはずの調査がまったく行われていないためそもそもあるべき情報がありません。 だから、「自分できちんと検証し、判断」すると自負する人の検証なるものは、そんな限定的で断片的な情報、必要な情報の不在に依拠しますから、常に「現在得られる情報からは立証されない」です。 これはまさに、水俣病において穏健で中庸を装う人々の口からさんざん聞かされたセリフです。このような穏健で中庸を装う人々のお陰で、どれだけ水俣病患者が苦しめられたことでしょうか。 このような公害病と原発問題における自民党利権官僚政府と御用学者と御用マスコミの「前科記録」から、わたしは「政府やマスコミの言うことを何でも疑ってかかる」ことにしています。悲しいことですが、自民党官僚利権政府にさんざん騙されてきた日本人としては止むを得ないことでしょう。必要で当然な調査がちゃんと行われてその情報が完全に公開されない限りまともな検証や判断は不可能です。だからこそ、その必要で当然の調査ををあえて行わないで情報を限定している当事者である自民党政府、利権官僚、御用学者の言うことに疑いの目が向けられるのは当然のことです。 次に、IKAさまは、わたしを水俣市を公式に代表するのが市長であると言うことを理解できないような馬鹿であるかのように書いておられますが、それも違います。 そもそも、わたしが水俣病を提起したのは、多摩散人が「政府や権威ある学者が認めていないから放射能被害は存在しない」と主張したことに対し、そのような単純な決め付けは正しくない、何故ならば、あの水俣病では患者の存在も健康被害とチッソの工場廃液との因果関係も「政府と権威ある学者」は最後の最後まで認めなかったではないか、と反論した際です。ですから、始めから福島原発事故放射能被害を論じるに際して水俣病と水俣病被害者との類似が問題とされたのであって、わたしはのどかに水俣市や水俣市民の戦後史を「語った」わけではありません。 水俣病被害者は、その病苦により苦しめられたばかりか、声を上げて被害の存在を主張し原因解明と救済を求めていく過程で、まずはその病気の過酷さゆえに地域社会から差別と偏見を受けて苦しみました。その被害を「政府と権威ある学者が認めない」ことから風評被害を恐れる地域社会からは「嘘つき」だと誹謗中傷され地域社会から孤立して苦しみました。水俣病とチッソの工場廃液との因果関係が認定された後も「お前は水俣病ではない」と患者認定を「政府と権威ある学者」から拒まれたため「金目当てだ」と誹謗中傷されて苦しみました。それで、水俣病が「政府も権威ある学者も認める」公害病となり患者認定が進んで初めて、水俣病による水俣市全体に対する外部からの差別と偏見に苦しんだのです。 この一連の被害者の苦しみが今福島で起こっている放射能被害者の苦しみと平行し類似するからこそ、水俣でさんざん使われた多摩散人の「政府も権威ある学者も認めていない」から被害はないとの主張を批判して、すでにその手は水俣病で被害者に対して使われた挙句に破綻しているとの指摘を行ったのです。 だから、現在の水俣市長が言う、水俣市民全員が苦しんだ「風評被害による差別と偏見」を言われても戸惑うばかりです。これと今の福島にどのような関連があるのでしょうか。この市長のアピールで、どうしてわたしは「こういった水俣市の思いを考慮せずに、安易に「水俣病〜」とか言うのはどうかと思いますけどね」と言われることになるのでしょうか。まったくわけがわかりません。 わたしは、「政府と権威ある学者が認めていな」くても放射能被害が現に存在すると思いますから、被害者は理解され共感され支援されるべきだと思います。水俣で起こったような、風評被害を恐れるあまりの地域社会からの迫害や「政府や権威ある学者が認めていない」ことを根拠とする事実認定や救済の遅れや言われのない誹謗中傷によって被害者が長く過酷な困難に見舞われることがないようにしなければならないと思います。 IKAさんは、どうも、「政府と権威ある学者が認めていない」から放射能被害はない。だから存在しない被害者に起因する風評被害はあってはならない。現に水俣ではそのような風評被害で水俣病被害者を含めた水俣市民が苦しんだ。その苦難が繰り返されてはならないと思っている(>>12で、あの現水俣市長のアピールを挙げ、>>23で「有機水銀中毒の発症者以外は差別を甘受しろと?」とか「先にあげたように「放射線由来の死者、病気」は確認されていません。存在しない(少なくとも現段階では)被害者のために「福島は風評被害を甘受しろ」とおっしゃりたいんでしょうか」とか述べていることを論拠とします)。 わたしが奇妙に思うのは、そのようなIKAさまの議論においては、水俣病被害者は、風評被害に苦しむ水俣市民の一員としてしか出てこないということです。IKAさまは、「「水俣と言えば有機水銀中毒」しか語らない人の方が、「水俣市民」にとって迷惑な存在なのでは?と思います」と書いていますが、わたしにはむしろ「水俣を問題にして「有機水銀中毒」をまったく語らない人の方が、「水俣病患者」にとって無念で残酷なな存在なのでは?」と思いますが。 ではなぜIKAさまの議論に水俣病の水銀中毒患者被害者が出てこないのかと言えば、それは、「政府や権威ある学者が認めていない」から福島に放射能被害者は存在しない。あるのは風評被害だけだ。その福島をesmsVHFkrMが水俣になぞらえるならば、水俣の被害とは水俣病患者ではなく水俣病被害差を含めた水俣市民全員の風評被害だ。現に水俣市長が水俣病被害者の苦難について触れないまま水俣市民の風評被害ばかり問題にしたアピールを出している。これを根拠に、「「「水俣と言えば有機水銀中毒」しか語らない人の方が、「水俣市民」にとって迷惑な存在なのでは?」と主張できるというところでしょうか。 そのような議論の当否はさておき、問題は要するに、「政府と権威ある学者が認めていないから放射能被害は存在しない」を認めるかどうかで、認めなければわたしのような議論へ、認めるならばIKAさんのような議論へと言うことになるのでしょう。 わたしが「政府と権威ある学者が認めていないから放射能被害は存在しない」を認めないのは上述したとおり、自民党官僚利権政府の水俣を含めた「前科記録」からの不信によるものです。 IKAさまがそれを認めることは、わたしにとっては不思議ですが、まあ原発については自民党官僚利権政府=原子力ムラを無条件に支持する右翼保守という勢力がありますから(多摩散人は自称右翼です)IKAさんもお仲間なのでしょう。 いやはや、水俣も福島もあるのは風評被害だけですか。 まさに、「水俣の教訓が生かされていないとわかったら、その「真の被害者」である水俣病患者は嘆き悲しむ」と思いますよ。
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