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岩波書店「科学」2014年3月号(345-347)
特集 震災・原発事故3年
『福島原発事故対応をめぐる問題』
荒木田 岳 福島大学准教授(行政政策学類)
http://www.ads.fukushima-u.ac.jp/article/arakida_takeru
事故の本質
原発事故の本質というときに、いつも「どの範囲にどれくらい放射能がまき散らされた」といった話になります。もちろん、その検証は必要ですが、なぜ現在のような状態に住民が置かれて3年も放置されることになってしまったのか、その点が問題にされてもよいと思います。
その原因はごく初期の事故対応にあったというのが私の見立てです。行政・マスコミ・学者らによってどのような事故対応が作り出されたのか。この辺りをもうすこし緻密に検証して、事故が引き起こした問題を考えていく必要があると考えています。
ー モニタリングデータやSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)のデータは福島県庁に送られていたけれども、メールが誤って削除された、ということになっていますね。
あれは、県庁が出してくれと要請したものです。それをデータが大きかったから削除したという説明が成り立つでしょうか。それとは別に、ファックスでも届いていたわけです。さすがにそちらは見なかったとはいえないので、見たけれども放出源情報がないから使えないと思った、と説明しています。 「緊急時環境放射線モニタリング指針」には、放出源情報がない場合も想定して、仮の値を代入してシミュレーションすべしと書いてあるわけで、実際、どちらの方向に放射性物質が流れるかということがわかれば対応が考えられたはずなのです。
こうした「指針」などのルールに基づいて、SPEEDIにしても、放射線モニタリングにしても、末端では着々とデータを集めて、政府や県庁に送っていました。 にもかかわらず、政府や県庁はルールに従わず、住民には公開せず、避難もさせなかったわけです。 SPEEDIのデータ以前にも、たとえば15条通報(原子力災害対策特別措置法15条にもとづく通報)が来たら付近住民の避難を開始させるとかも、機械的にできたはずのことです。しかし、ルールに従わずに、行政が場当たり的な対応をしてしまった。私は、そこに事故の本質があると思っています。
ー 現場はやろうとしていたわけですね。
いえ、現場は「やっていた」のです。福島県のモニタリング班は、2011年3月12日の朝に、テルルという核種が飛んでいるのを見て、原子炉が危ないという情報をつかんだはずなのです。地図に数値を走り書きした資料が残っています。 問題なのは、それが6月3日まで公開されなかったことです。組織的に隠したのです。
だから、SPEEDIの件もモニタリングの件も、組織として知らなかったという説明は成り立たない。成り立たない説明を、県民が真に受けているのか、あるいは信じていなくても問題にはしないのか、いずれにしても、何重にも根は深いですね。
ー それは、知事を含めて上層部の指示なりがあっただろうと。
知事・副知事レベルが指示しないと、そうはできなったと思います。
SPEEDIの電子メールが県に届きながら削除したことについて、佐藤知事は「情報共有が不十分で、県民に大変な心配をかけおわびしたい。情報が錯綜した組織上の問題」と陳謝した。
(2012年5月29日 東京電力福島原発国会事故調査委員会)
ー 秋に予定される県知事選挙において、重要なポイントになるのでは。
そう思います。県民がこの点を争点化すれば、ですが。
そもそも、既存の事故対応ルールを守っていれば、たとえ事故が起こってしまったとしても、これほど被曝が広がることはなかったと思います。JCO事故(1999年。茨城県東海村の核燃料加工施設JCOが起こした臨界事故)を受けて法律ができ新たな仕組みが作られて、それからわずか10年ほどで踏みにじられてしまう仕組みとは、いったい何だったのかと思います。
いっそう深刻なのは「被曝が広がっている」という実感が共有されない点です。モニタリングポストの周りだけ除染して、その数値を世界に発信していますし、3年も経って、一次データを自らが集めないといけない状態なのですから、もう理解の範囲を超えています。自分がどれだけ被曝したかについても、住民は知らないのではないでしょうか。
事後的に変更されてしまうルール
もう一点、私が問題にしたいのは、事後的にルールを変えてしまうというやり方です。食品の安全基準、児童の被曝線量限度年間20mSvも含め、みんなそうです。事故が起こってから、安全基準を変えました。本来、こういう場当たり的な対応(権力の濫用)を封じるために、事前に基準を作っているのです。その基準を、緊急時を口実に変更してしまうという、前近代的というか、驚くようなことが起こっています。
余談ですが、多くの国では、法も「平時」と「戦時」の二元論になっており。平時に認められる権利等についても「戦時においてはその限りでない」という留保がつけられることがあります。しかし、日本の憲法は戦時を想定していないので、「戦時法」の体系を持たず、非常時だから各種の安全基準を守らなくてよい、ということ自体も本来存在しようがないのです。
ー 政府は、昨年10月に、山本太郎議員の質問主意書への答弁の中で、「一般公衆の被曝線量限度の規制は定められていない」などと言い出しました。
法律のレベルで年間追加被曝1mSvとは明示してなくとも、規制・内規のレベルでも実際の運用でも、1mSvで運用されていたのは、自明なことです。それを法律にないからといって「線量限度は定められていない」と説明してしまうことが問題です。
また他方で、法律上の被曝線量限度が定められていないというのなら、政府が行っている年間20mSvを基準とした避難指示や、避難解除にも根拠はないわけで、なぜそれが正当化できるかについて、政府が説明責任を果たす必要もあるでしょう。
もっとも、法律化すると守らなければならなくなるので法律化しなかったのだろうという推測はできます。最近では、原爆被災者の認定基準のほうを福島事故「基準」並みに引き上げたと聞きますから、もはや何をかいわんや、という感じですね。
不信の発端から3年
当時(2011年3月末〜4月初旬)、メーリングリスト上に、モニタリングの情報が流れていたのです。たぶん、内部にリークした人がいたのだと思います。テルルが飛んでいるというメールを読みました。でも、そのころテレビでは、メルトダウンしたのか、していないのか、という論争をしていたわけです。
現地住民にしてみれば、放射性物質が漏洩して周囲を飛び交っている以上、格納容器・圧力容器が健全であろうとなかろうと、メルトダウンしていようといまいと、大差ないわけですよ。空虚な論争をする前に、ほかにやることがあるだろうと思っていました。
仮に、その論争に意味があったとしても、早い話、福島に来てダスト・サンプリングすれば一発で答えが出たはずですし、立ち入り禁止になっているのならともかく、「直ちに健康には影響がない」と言って現地住民にはそこに住まわせていたわけですから、そこの住人の「安全」を証明するためにもモニタリングが行われて当然でした。調べればわかるし、こんな核種が飛んでいます、発表すればすむ。イデオロギーではなく、「事実」を発表するだけです。それを5月まで隠すことが通用しているこの社会は何なのかと、激しい違和感をもちました。科学論争というなら、そこをなぜやらないのか、と。結局、科学的知見・医学的知見は、住民が被曝している現状を正当化する文脈で動員されていたと思います。
ー 個人線量計をもっての帰還に、サポートとして相談員をつけるという政府の方針です。医療・行政サービスが必要だとは書くけれども保証はしていない。こういう態度をどう思われますか。
個人に線量管理させるというやり方は、国は面倒を見ませんから自己責任で、ということですよね。これを農薬や化学物質に置き換えて考えてみたら、どうでしょうか。野放しにして、「当たって」しまったら自分のせいだと言っているのと同じです。それは、行政のやり方として到底理解できません。これを、なぜ放射線にだけ許して不思議とも思わないのか。測定値がどうかという科学的議論以前の、前提の話です。
結局、終わりのないトンネルのなかに3年いるという感覚です。「普通にやってください」という言葉しか浮かばない。情けないですよ。(談)
【科学編集部より】本稿は、2014年1月23日の原子力市民委員会会合後に収録し、加筆修正されたものです。
【投稿者より】当たり前のことですが、この投稿のタイトルは投稿者がつけたもので、荒木田岳 福島大学准教授とはいっさい関係がありません。
Divina Commedia
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