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更衣室で防護服に着替え、現場に向かう作業員=2013年11月12日、福島第1原発
神話の果てに 第12部・廃炉の現場(下)家族の憂慮/夫の招集「赤紙」想起
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201404/20140411_63027.html
2014年04月11日 河北新報
<人身売買のよう>
「まるで人身売買でもしているような気持ちになった」。車を発進させ、ルームミラーに目をやると、社員の家族がいつまでも見送っていた。
福島第1原発の事故処理作業に携わる東北エンタープライズ(いわき市)の名嘉幸照会長(72)は事故直後、福島市や須賀川市に避難した社員を車で送迎した。
作業現場は福島第1原発の構内。待ち合わせ場所になぜか、社員が来ていないこともあった。
後で聞くと、夫を自宅から車に乗せてきた妻が、わざと別の場所に連れて行ったことを知った。
「家族に一体、どんな言葉を掛ければいいのか」。名嘉会長は悩むしかなかった。
事故直後に現場に入った同社の男性(44)は被ばく線量が限度を超え、今はいわき市内で連絡調整を担当する。
男性は「原発に行くのが恐ろしいと思ったこともあった。でも、古里は見捨てられないから」と言う。
<半数が福島出身>
福島第1原発の事故処理作業には1日約3000人が携わる。通常、半分近くを福島県出身者が占め、多い時は7割近くに達する。全て男性だ。
「家族への赤紙(召集令状)を受け取る戦時中の女性の気持ちが分かった気がした」。福島県富岡町から郡山市に避難する女性(53)は、夫が原発構内の事故処理に関わった。
夫は2011年4月、会社から呼び出しを受け、福島第1原発に向かった。月に1度、自宅に戻る度に頬がこけ、痩せていった。
約3カ月で積算被ばく線量はかなり高くなり、現場を離れた。
夫は「自分の体に何かあったら(放射線管理)手帳を持って、しかるべき機関に相談に行け」と言った。仕事内容や線量は「びっくりするから」と教えてくれない。
80代の父親は「俺たちが造った原発で、おまえたちに迷惑を掛けて申し訳ない」と言って除染作業に参加した。
<再び作業の依頼>
夫が原発の仕事を辞めて2年ほどたった昨年夏、以前勤めた会社から再び第1原発で働くよう依頼が来た。女性は必死で止めた。「二度と後悔したくなかったから」
女性は今、原発再稼働に反対する運動に時折参加する。
脱原発の世論を盛り上げたいという気持ちもあるが、むしろ、原発再稼働を期待する全国の立地自治体の住民に声を届けたいと思っている。
「事故が起きたら、地元の住民は家を追われた上に、収束作業も担うことになる。原発に依存する限り、自分の代で事故が起きなくても、子や孫が被害を受ける危険性は決してなくならない」
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