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なぜ、いま原発を新規建設すべきか
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140408-00012105-president-bus_all&p=1
プレジデント 4月8日(火)14時15分配信 内閣参与(特命担当) 飯島 勲 写真=時事通信フォト
上がり始めた電気料金
■電気代が上がれば製造業は倒産する
恐れていたことが起きてしまった。
鉄のスクラップを溶解して棒鋼を製造する道内大手の電炉メーカー「新北海鋼業」が、北海道電力の電気料金値上げによる製造コスト増が原因で、事業を停止することを明らかにした。日本を支える製造業が、原発停止によるコスト増に耐え切れなくなったのだ。
北海道電力の値上げは、泊原子力発電所が順次停止させられたために、やむなく実施されるものだ。値上げしても北海道電力の有利子負債は1兆3000億円程度に達し、過去最高を更新する模様だ。前回の値上げから半年も経過せず再値上げを表明するのは、原子力規制委員会の審査に時間がかかり、泊原発の再稼働時期がいまだに見通せないためだ。
エネルギー供給における原発の比率を高めることで、電力会社は電気料金を年々下げることに成功した。近年、発送電分離や電力会社に自由競争させることで、サービスが向上し、電気料金を下げることができるという俗説が世間を賑わしているが、諸外国で発送電分離に成功した例はない。むしろ破滅的な失敗例ばかりだ。
また、原発なしでも夏の電力需要を乗り越えることができているではないか、という指摘もあるが現場を知らない人の物言いだろう。全国の電力会社は、古くなったために操業を停止した老朽火力発電所までをも急遽稼働させ、供給力をなんとか確保している状態。緊急停止のリスクも大きく、いつまでもこの状況が続くとは考えられない。
さらにエネルギーを自給できない日本は、諸外国に足元を見られている。輸入する燃料費用が割高になっており、今後どんどん値段が上がる。電波規制で守られるおかげもあって暴利をむさぼるソフトバンクの社長や民間企業でない新潟県の知事、大阪市の市長は、燃料費増などに関心はないのかもしれないが、電力会社、中小零細企業は倒産の危機を迎えるほどに苦しみもがいている。企業が倒産すれば、その家族や地域社会もがダメージを受ける。そして、日本社会にも影響を与えていく。
脱原発グループに言わせれば、世の中には「原子力ムラ」なるものが存在していて、自分たちの既得権益を守るために悪行の限りを尽くしているのだという。本当にそうなのだろうか。むしろ、専門家として、今後の日本社会にとって大切なエネルギー供給を必死で守ろうとしているのではないだろうか。自分たちが住んでもいない地域のデモに参加して、自分たちの「正義」を振りかざすほうがよっぽど無責任だ。
しかし、私が本当に怒っているのは何をしたところで反対する脱原発運動の連中ではない。原子力規制委員会だ。一刻も早く再稼働させなければならない原発について、ダラダラと新規制基準の適合審査を長引かせ、揚げ句の果てに4週間のパブリックコメントを求めるなどして、再稼働のさらなる遅延をもたらしている。
田中俊一原子力規制委員会委員長は、月刊誌「FACTA」(14年3月号)で「原発再稼働に向けた、新規制基準への適合審査が遅れています」との指摘を受け、島崎邦彦原子力規制委員会委員長代理への批判が一部マスコミで高まっていることに対して、「あえて社会や経済との軋轢に目をつぶり、科学者としての矜持と専門家としての見識を貫いています」と答えている。そんなに科学者としての矜持があるならば、パブリックコメントをとる理由などない。自分たちの科学的知見が正しいかどうかを、なぜ国民に聞く必要があるのか。パブリックコメントには、全国の市民運動家からの「再稼働反対」のコメントが定形文とともに大量に届くのだろう。まったくもって浅はかで、審議を遅らせたいがための妨害工作にしかうつらない。この妨害が事実なら、田中氏、島崎氏には「国賊」という言葉がふさわしい。
夏の電力供給を乗り切るためにも泊、大飯、高浜、伊方、川内、玄海にある原発の審査を急ぐべきだ。
原発が事故を起こせば、人が死ぬのと同様に、自動車にぶつかれば、人が死ぬ。自転車でも同様だ。
「20日午後4時55分頃、千葉県酒々井(しすい)町中川の町道交差点で、歩いていた男性と右から来た同県印西市に住む高校1年の女子生徒(16)の自転車が出合い頭にぶつかり、男性は転倒して頭を打ち、約14時間後に搬送先の病院で死亡した。県警佐倉署の発表によると、男性は80歳くらい。交差点に信号はなかった。同署が男性の身元と詳しい状況を調べている」(2014年1月21日・読売新聞夕刊・原文ママ)
自転車事故で、12年に563人、11年に635人の人が亡くなっている。原発が自転車より安全かどうかという議論がしたいのではない。人が死ぬからといって、クルマを動かすな、自転車に乗るなという極端な話を聞いたことがない。事故を起こした関係者が痛切に反省し、一層の安全確保に向けて努力するというのが筋ではないか。現実に、原発の安全対策は幾重にも及んでいる。健康被害、社会への危険性で考えれば、PM2.5のほうが危険だし、心配だ。
識者の多くが反国家主義者やマスコミに煽られて大騒ぎしてしまい、一度口にしてしまった「脱原発」について、引っ込みがつかなくなっているのだろうが、冷静になってほしい。
■今来ているのは中核派で……
以上述べたとおり、原発再稼働の議論はすでに終わっている。原発を心よく思わない、なんとなく不安だという勢力による嫌がらせ、実力行使にどう対抗していくかの局地戦に移るであろう。今後は、原発の新規建設に向けた議論を再開することが重要だ。
山口県にある上関町では、原発の新規建設に向けて進められていた工事が、東日本大震災によって中断したままだ。
原発推進派が得票率を伸ばす
そんな中、この2月に実施された町議会選挙では、定数10のうち、推進派が8議席(得票率73.5%)、反対派が2議席(得票率26.5%)という結果となり原発新規建設推進派が圧勝した。計画がもちあがってから8回連続で町議選は推進派が勝利しており、震災前の推進派の得票率は70.9%で、震災を通じてむしろ原発推進に賛成する町民の割合が増えていることがデータから判明している。
これだけ長期間推進派が支持を受けながら、上関原発が建設できないのはなぜか。石原伸晃環境大臣(当時自民党幹事長)は、「上関原発予定地近くの祝島で続く反対運動についても『今来ているのは中核派で、地元の人たちは本当に少ない』と述べた」(毎日新聞11年6月19日付)ということだ。もしこの石原大臣の指摘が事実であるならば、反対派には特定のイデオロギーに染まり、地域の将来のことなど考えない人たちが含まれていることになる。選挙結果から明らかなように、上関町民の大勢は原発推進であり、一部の特定勢力により民意が阻害されるなら由々しきことだ。
広島市からクルマで90分、最寄りのJR柳井駅からバスで50分かかる上関町だ。1985年には、6155人だった町民は、05年には3706人になった。これといった産業もなく、上関町で進む過疎の問題について、反対運動を起こしている彼らはどう捉えているのだろうか。
科学的知見をもとにした議論で敗れ、選挙で負け、民意にそっぽを向かれても、原発反対のグループが自分たちの主張を取り下げることは絶対にない。疲弊した地域経済のために、新規建設に向けた工事が行われるよう安倍総理を支えていきたい。
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