http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/248.html
Tweet |
原発事故から3年…発達障害ある子と母の避難地獄
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140331-00010007-jisin-soci
女性自身 3月31日(月)0時0分配信
福島第1原発の事故後に「故郷からも、避難先からも追われた」家族がいた。発達障害のある子供は、環境の変化に適応できず、パニックを起こすことがある。狭い仮設住宅でさらに症状が悪化、夜中に奇声を上げて暴れ出す。幻覚や幻聴に苦しみ“死”を口にする子供も……。
「ボクなんか死んでやる!」と大声で叫び、奇声を発して外へ飛び出していく小学4年生の長男(現13)を、何度追いかけたことだろう。あるときは首から蛇のおもちゃをぶら下げたままでいた。なぜか聞くと、「耳元で誰かが言うんだ。蛇を首にかけていなければ、おまえを殺すって」。答える長男は真剣だった。
「発達障害のある長男は震災後、パニックを起こしがちでした。このときは幻覚や幻聴があったので、急を要すると思い、郡山の精神科まで連れていきました」
こう話すのは、母親の名橋君子さん(仮名・40)だ。カウンセリングを受けた結果、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と診断された。
「幻覚や幻聴は投薬でおさまり、今では笑い話にできるほど心も安定してきましたが、仮設に住み始めて3カ月くらいは、子供たちがよくパニックを起こして、私たち夫婦も精神的にキツかったですね。仮設住宅って壁が薄いので、隣家の話し声がよく聞こえるんですね。だから、息子がパニックになった声も、私たちがイライラして怒鳴った声も、きっと近所で有名だったと思いますよ」
発達障害のある子供は、とくに場所の移動や環境の変化に弱いという。
海野美緒ちゃん(仮名・11)は、4歳で発達障害と診断され、震災前まで療育施設でトレーニングを受けていた。震災後は体育館に避難したが、美緒ちゃんは大勢のなかでは過ごせないため、家族は車で寝泊まりし、トイレのときだけ避難所を使っていた。その後、千葉に避難し美緒ちゃんは落ち着いていたが、’11年秋、父親の仕事の都合で南相馬に戻ってきた。母・香織さん(仮名)は言う。
「美緒は千葉で仲のいい友達ができ、戻りたくないと言ったんです。しかも戻ると放射能で、公園など外では遊べなくなっていました。児童館では、障害のない子もピリピリしてキレやすく、美緒は以前は何もなかったお友達ともトラブルを起こすようになったんです」
震災前に通っていた療育施設は閉鎖。専門のスタッフも避難していなくなっていた。
「発達障害に関する本を何冊も書い、自分でも勉強しましたが、親が療育するって難しいと思う。いら立って怒ってしまうし、感情的にもなる。神様のようにはなれません」
もう限界と思ったとき、市内にできた「みなみそうまラーニングセンター」を知った。震災から1年後、’12年4月にオープンしたラーニングセンターは、発達障害のある子供を中心に、勉強ができ、安心できる居場所を、無償で提供してくれる施設だ。そこに通うようになって、美緒ちゃんはようやく落ち着きを取り戻せたという。
ラーニングセンターの代表、白井智子さんは、大阪で発達障害や不登校の支援をしてきた。震災で、発達障害のある子供の行き場がなくなるのではと、震災直後に視察に来たのが、センター設立のきっかけだった。
「案の定、子供たちは避難所でも環境の変化についていけず、迷惑がられて、居づらくなっていました。声を上げて騒ぎ、両隣の住民から壁をたたかれ、抗議される。親も遠慮し、仮設の端っこに追いやられ、迷惑がかからないようにひっそり暮らす。それを子供たちは自分のせいだと、さらにストレスを重ね追い込まれていくんです」
ラーニングセンターは、どこにも居場所がなかった子供たちが、自分らしくいられる場所だ。現在、ここに通う小学生は22人。その個性を見つめて伸ばす教育のおかげで、子供たちは笑顔を取り戻していた。
今後も、1人1人が福祉の目を大きく見開いて、“奪い続けるもの”から、子供たちを守ってあげなければ――。
▲上へ ★阿修羅♪ > 原発・フッ素37掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。