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2014年03月26日 板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
◆福島県北部の相馬双葉漁業協同組合(相馬市)は3月24日、相馬市内で会議を開き、東京電力福島第1原発「原子炉建屋」に入る前の地下水をくみ上げて海に放出する「地下水バイパス」計画を容認、実施を認める方針を決めたという。福島県南部のいわき地区の漁協もすでに受け入れを決めているので、これで県内の漁協の方針が一致したことになる。
だが、福島第1原発からの「放射能汚染水垂れ流し」は、依然として続いていて、完璧にコントロールされている状況ではない。しかも、汚染水を吸い上げて貯蔵するタンクを際限なく延々と造りながら、タンクから汚染水が漏れ出て、それが地中に沁み込み、地下水と混ざり、なおかつ、原発建屋の汚染水と合流して海中に流れ込む事故が跡を絶たない。このため、「地下水バイパス」計画を実施しても、「垂れ流し疑惑」が解消されるわけではない。それどころか、「地下水バイパス」を隠れ蓑にして、「放射能汚染水垂れ流し」を堂々と行うのではないかとの懸念が強まっているのだ。
福島県漁業協同組合連合会(県漁連)は25日、組合長会議を開き、国と東電に対し、海に流す水の検査や風評被害対策を求める要望書を手渡して、容認の考えを伝え、これを受けて、東電は地下水バイパスの具体的な手順づくりを急ぐという。
◆しかし、福島県漁業協同組合連合会(県漁連)、相馬双葉漁業協同組合(相馬市)、福島県南部のいわき地区の漁協が、「漁業関係者の生活優先」の立場から、「地下水バイパス」計画を容認、実施を認めた今回の判断と決定は、東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県など首都圏とその周辺地域をはじめとする多くの消費者の「底知れない不安」を増幅させており、むしろ、「福島産海産物拒否」の動きが、これまで以上に強まる可能性が大である。
首都圏のスーパーマーケットなどでは、「福島産」を明示した「海産物」が閉店間近になっても、売れ残っているケースが多々見られる。これは、消費者の多くが、風評被害を訴えている漁業関係者に対して同情しつつも、何かにつけて秘密主義を守ろうとする東電の「隠蔽体質」にほとほと呆れ果てて、ほとんど信頼せず、信用していないからである。それが、今回も「地下水バイパス」を隠れ蓑にして、「放射能汚染水垂れ流し」を堂々と行うのではないかとの懸念を招く元凶になっている。福島県漁業協同組合連合会(県漁連)は国と東電に対し、海に流す水の検査や風評被害対策を求める要望書を手渡したというけれど、国と東電が、どこまで誠実に応えるかは、怪しい。信じてはならない。それどころか、再び重大事件、事故が起これば、「想定外だった」と巧妙、狡猾に言い訳するに決まっているのだ。
こうした消費者の不信感を軽視、ないし無視して、「地下水バイパス」計画を容認、実施を認めたとなれば、これに対する反動は計り知れない。まかり間違えば、福島県漁業協同組合連合会(県漁連)、相馬双葉漁業協同組合(相馬市)、福島県南部のいわき地区の漁協は、今度こそ本当に壊滅状態に追い込まれる。その前兆が見られるのだ。漁業関係者のなかからは、「廃業を覚悟している」という悲壮な声が出始めている。孔子の「民信なくば立たず」(社会は、国民の信頼、信用がなければ、成り立たない)という有名な言葉をじっくり噛みしめるべきである。
◆東電は、「福島県で発生している子どもの甲状腺がん」の隠蔽を図ろうとして、ありとあらゆる姑息な手段を弄してきたという。福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センター、福島県医師会などに手を回して、子どもの甲状腺がん診療を抑圧しているとも言われている。福島県立医大が情報を一括管理しているというテレビ報道さえある。
医療というものは、「疑わしきは検査、診療すべき」なのに、福島県の医療現場は、「隠蔽医療」に懸命なのだ。
ところが、これに対して1986年4月26日1時
23分にソビエト連邦(現:ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉が大事故を起こしたときには、日本からも医師がソ連入りして「子どもの甲状腺ガン治療」に携わっていた。
たとえば、長野県松本市の菅谷昭市長(1943年11月22日〜、医師)は、1976年、トロント大学に留学して甲状腺疾患の基礎研究を学び、1991年から、松本市のNGOによるチェルノブイリ原子力発電所事故の医療支援活動に参加している。1993年、信州大学助教授に就任、1996年から、ベラルーシ共和国の首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターで小児甲状腺癌の外科治療を中心に医療支援活動に従事した。1999年、チェルノブイリ原発事故により高度に汚染されたゴメリ州の州立がんセンターで医療支援活動している。2011年3月11日に発生した東日本大地震、福島第1原発事故の直後は、テレビ出演して、「子どもの甲状腺がん」について詳しく解説していた。だが、いつの間にかテレビ映像から、菅谷昭市長の姿が消えた。そのとき、「どこからか圧力がかかったのではないか」という疑いの念を抱いた国民は、少なくなかった。
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